お勉強

インタビュー、インタビュー、それからまたインタビュー

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どーも、ゆーすけです。

アメリカの片田舎にある小さな大学で研究者をやってます。それと同時に一応大学の先生でもあります。渡米した時は、まずポスドクと言う仕事をしてました。このポスドクと言うのは、独立して自分の研究室を持っている訳ではなく、基本的に誰かの研究室に雇ってもらって研究者になるための下積みをすると言うポジションです。

ポスドクとして3−4年ほど経った頃「いろいろ経験も積んできたことだしそろそろ自分の研究室を持って独立していなぁ」と思う様になりました。その頃の僕は研究にどっぷりで独立するための準備なんて何もしていませんでした。

そして

ゆーすけ
ゆーすけ
いい仕事さえしてれば独立なんて簡単にできるだろ

ぐらいに考えていました。だから特に情報を集めたりもせず安易に職探しを始めました。

でもこれがこの後に続く長〜い長〜い地獄の始まりだったのです。

大学の教員になるのは狭き門

このご時世博士号を取得する人が増えた関係で、大学教員への道のりがえらく難しくなっています。大学教員の定員に対して博士号取得者の数が多過ぎて、受容と供給が一致していないのです。

どのくらい一致していないかと言うと、アメリカの場合では1つの大学教員のポジションの公募に対して300から500の応募が来ると言われています。まぁそれくらい供給が足りていない訳です。

職探し初期の頃の僕はそんなこと知らなかったので、10箇所ぐらいに応募すればなんとかなるだろうぐらいに思ってました。案の定それは甘い考えでした。最終的に今の職が決まるまでには100−150箇所に応募することになります。

でもまだこれは書類選考の段階。ここからインタビューに呼ばれないと始まりません。これは大学によってまちまちだと思いますが、応募してきた中で選考のトップ3−5に入った候補がインタビューに呼ばれると言われています。

僕は運よく7回ほどインタビューに呼んで頂きました。でもこのインタビューが気が狂うほど過酷な試練だったのです。

インタビューのスケジュールが半端ない

まずインタビューのために1泊2日ないしは2泊3日の日程が組まれます。その間ホテルで1人になるかトイレに行くかぐらいしか気の抜ける時間はありません。基本的に常に誰かに見張られている状態になります。

まずはインタビュー初日に大学のある街まで飛行機で向かいます。大学によっては空港にタクシーを用意してくれますが、時に大学教員の誰かが空港まで迎えに来てくれていたりします。ありがたいっちゃありがたいのですが、そうなってしまったらもうここからインタビューはスタートです。

とにかく黙っている訳にはいきません。スモールトークをしたり仕事の話をしたりと会話を盛り上げなくてはいけません。無口な僕にとってはこれはかなり辛いものでした。

で一旦ホテルにチェックインしたら、今度は大学へ連れていかれます。そうなったらもうカゴの中の鳥状態です。もうなされるがままです。基本的にはものすごい数の教員と1対1のインタビュー(30分間)が始まります。そして1つのインタビューが終わったら、次の教員のオフィスに連れていかれまた30分1対1のインタビューってのが朝から夕方まで続きます。2泊の場合はこれが2日間続くと思ってください。大体15−20人の初対面の人と話します。もうこれだけでも地獄です。

でも実際はこれはまだメインイベントではないのです。なんとインタビュー期間のどこかの時点で約1時間の自分の研究のプレゼンテーションをしなくてはなりません。これが一応インタビューのメインです。1対1で話せなかった教員やらポスドクやら学生やらがやって来ます。そして発表後にはものすごい厳しい質問が飛んで来ます。

でもこれだけでインタビューが終わるかと思ったらそうは問屋が卸しません。「朝ごはん」も「昼ごはん」も「夕ごはん」も誰かと食べなきゃいけません。この時間は候補者への接待とは言われていますが気は抜けません。黙ってもくもくと食べる訳にもいかないし、変なこと言えないし、美味しいものを食べさせてもらっても実際は「早く終わってくれないかな?」としか思えなくなってしまっています。

なんやかんやで1日の工程が終わってホテルで1人になったらもうぐったり。何もやる気が起きません。こんな感じなのがアメリカの大学教員に対するインタビューなんです。僕はこれを7回やりました。かなりきつかった記憶しかありません。

でもこれは1回目のインタビューってだけで、実は最終候補にはあと1−2回似たようなインタビューがあります。それで最終的にオファーが出ると言う仕組みです。アメリカで大学教員になるってそれはそれは大変なことなんです。

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インタビューの戦い方を知らなかった

とまぁここまで、いかにもインタビューが上手に出来てた様に書いて来ましたが、これは今になって振り返っているからって言うだけで、初めの数回は本当にひどいもんでした。自分の仕事さえ良い内容のものであればインタビューなんかそこまで重要じゃないと正直思っていました。

でも今は逆にインタビューする側になって、インタビューでみんなと気が合いそうな人じゃなきゃ選ばれない可能性が高いってことがわかってきました。あの頃の僕はそんなことも気にせず、静かに聞かれた事だけに答えていました。緊張していてあまり喋れなかったってのもありますが、インタビューって相手が質問するものだと思ってました。でもそれは大きな間違いだったのです。

なん回目かのインタビューの後にインタビューの時に話した教員の1人から電話を受けた事がありました。なんの事かと思っていたら、いきなり僕のインタビューに対するダメ出しを1時時間ぐらいされたのです。「もっと相手の研究にも興味を持って質問しなきゃいけない」とか「食事中も話を聞いているだけじゃダメだ」とか「プレゼンテーションは今までの仕事だけじゃなく将来の仕事についても話さなきゃいけない」とかとか。もう死ぬほどダメ出しされました。

今でもなぜそんなことをしてくれたのかはわかりません。結局その大学には誘ってもらうことはできなかったのですが、このダメ出しにはかなり助けられました。その時はすごく悔しかったですが、今となってはとても感謝しています。

これをきっかけに何かを根本的に変えなきゃいけないと思い、アメリカ人の友達を誘ってはランチに行き食事の中の会話の練習をし、トーストマスターズ(こちら)と言うスピーチクラブに入会して会話の練習・プレゼンテーションの練習をする事にしました。その甲斐もあって最終的には今の職場にオファーをもらう事ができました。最終的には職探しを開始してから3−4年かかりました。その間100から150のポジションに応募し、7回ファーストインタビューに呼ばれ、3回セカンドインタビューに呼んで頂きました。もう2度とやりたくないですが、とても有意義な経験だったと思ってます。

まとめ

長い苦しい道でしたが、最終的に今の職場に就職する事ができたのは本当に運が良かったんだと思います。こんな低い確率の中をくぐり抜ける事ができたのは運以外には考えられません。でも何もせず待っていただけではなく、自分なりに努力したのも確かです。

今回のこのインタビューの経験から学んだことは

  1. インタビューにはテクニックがあること
  2. どんなに拒否られても諦めないこと
  3. 人の忠告は素直に聞いてみること
  4. 上手くいかなかったら、今までのやり方を捨ててみること

ってとこかなぁって思ってます。

まぁどんなことでも簡単に手に入るってことはあまりなくて、何かしらの壁にぶつかったり、何かしらの努力をしなくてはいけない事が多いと思います。でも諦めない限りは確率がゼロになることはないので、もし「どうしてもやりたいこと」や「手に入れたいもの」があるなら、しつこくしつこく粘ってみるといいんじゃないかと思います。きっといつか出来るようになるし、手に入れることもできると思いますよ。

ゆーすけ

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ゆーすけ
アメリカ在住のがんの研究してる人です。自分の経験を元にした「よりよく生きるためのヒント」を発信し、読む人の心を少しでも軽くすることを目指しています。
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