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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、自分の周りにいる人に気をつかったりしながら生きてますか?なんかこんな事を言うとなんか息苦しいなって感じてしまうかもしれません。もっと自由に生きたいって思うかもしれません。まぁ僕は、別に気をつかい過ぎる必要はないとは思います。ある程度自分が生きたい様に生きるって事は大切だとは思います。でもだからと言って、自分の好き勝手に生きるってのはどうなのかな?って思うんです。自由に生きるって言っても、ある程度の制限みたいなものはあった方がいいと思うんです。
で、その時に自分にかける制限として覚えていて欲しいのは、他人を不快にしないってルールです。僕は、この他人を不快にしないって事を心がけているのなら、自分の生きたい様に生きていってもいいんじゃないかと思います。まぁでもそんなに難しく考えなくてもいいとは思います。考え過ぎたら動けなくなってしまうとも思うからです。ただ何をやるにしても、「これは誰かを不快にしないかな?」って思いながら生きていくって事は忘れない様にして生きていって欲しいと思っています。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
他人を不快にしたら、こちらの自由は快く認めて貰えない
じゃあまずなぜ僕が、他人を不快にしない様にした方がいいと思ってるかと言うと、そんな事をしていたら、周りはこちらの自由ってものを快く認めてくれる事はなくなっていくと思うからです。まぁ誰にでも自由に生きる権利ってものはあるので、周りが認める認めないってのはそこまで問題じゃないのかもしれません。でもね、周りがそれを心から認めてくれてないのであれば、自分がどれだけ好きな様に生きていたとしても、その生き方を自分も心から楽しめないですよね。まぁそれでも気にしないって言うのなら、それもアリかもしれませんが、僕は、きっと多くの人は、自分が自由に生きてる事を周りからも認めて欲しいと思ったりするものなんじゃないかと思います。てか、そんな風になって初めて自分は自由に生きてるって思えたりするものなんじゃないかと思うんです。だからこそ、僕は、他人を不快にしたりなんて事はしない方がいいんじゃないのかな?って思います。
まぁ自由ってそんなに簡単なものじゃないんですよ。きっと多くの人は履き違えているんじゃないかと思います。自由になるってなんでもかんでも自分の好きな事を好きな様にやってもいいって事じゃなかったりするんです。好きな事をやる為に自分であらゆる事に責任を持つって事だったりするんです。もし自分の自由を周りにもきちんと認めてもらって自由を謳歌したいってのなら、それなりに周りがそれにどう思うかってのは考えなくちゃいけないし、少なくとも周りを不快にしないって事は忘れてはいけない事だと僕は思います。自分が自由を得たいなら周りを不快にしないって事は心に刻みながら生きる様にしていく事が大事なんじゃないかと思います。
他人を不快にしないには、自分がされたら不快に思う様事はしない
でも、まぁ何が他人を不快にしないのかってのはよくわからないってのが実際だったりすると思います。自分が不快に思わない事であったとしても、他人にとっては不快って感じてしまう事もあると思うからです。じゃあどうしていけばいいかと言ったら、僕は、まずは自分がされたら不快に思う事はしないって感じにしていくといいのかな?って思います。もし皆さんが自分がされたら不快に思う様な事を他人には平気でしているって言うのであれば、これからは、そう言う事は絶対にしない様にしていって欲しいと思います。もうね、これに関しては、最低限の自分のルールって感じにしていって欲しいと思います。だって、自分はそれが不快に感じるってわかってるんですよ。それなのにそれを他人にするってのは僕は確実に間違ってると思います。
まずはそこから始めていきましょう。そこから先は、他人の反応を見ながら調整していくしかない様な気がします。だって、本当に他人が何を不快に思うかなんて事前にこちらが分かるなんて事はないんですから。で、もし自分がやった事で他人を不快な気持ちにさせてしまったって事があったのなら、そこは素直に謝って、もうそれに関しては2度とその人にはしないって感じにしていけばいいんじゃないかと思います。てか、そうするぐらいしか方法はないのかもしれません。人が何に対して不快に感じるかは人それぞれです。それは自分が経験して見つけていくしかないのかもしれまえん。だからこそ、僕は、他人が何を不快に感じるかって事には常にアンテナを張っていて欲しいんです。そう言う事を何も考えずに自分の好き勝手になんでもかんでもやればいいってのは、これからは卒業していきましょう。自分の生きたい様に生きる事は大切です。でもそれと同じぐらい他人を不快にしないって考える事も大切だと僕は思います。
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他人を不快にする事に必要以上にビビらない
そして、これはちょっと矛盾する様な事を言ってしまうかもですが、僕は、そんな風に他人が何に対して不快に感じるかを考えているのなら、他人を不快にする事に必要以上にビビらないって事も大事だと思うんです。もうね、自分がきちんと気をつけているのなら、そこから先は自分にはどうする事も出来なかったりるんです。だって、本当に何を人が不快に思うかは、その場になってみないとわからないと思うからです。全ての事を未然に防ぐなんて事は誰にも出来ないと思います。だからそこから先はビビらずに自分の生きたい様に生きていけばいいんですよ。で、相手を不快にしてしまったら、そこで自分を改善していけばいいんですよ。それぐらいの開き直りは持ちましょう。
それに加えて、人は、相手がビクビクしていたらそれだけで不快に思います。だからね、他人を不快にしない様にビクビクしてるってのは、それだけで他人を不快にしてしまうんですよ。もうそれだったら、他人を不快にしない様にと必要以上にビクビクするのって意味がない事だと思いませんか?それよりも開き直って好きな人生を楽しんで生きている方が他人は不快さを感じる事って少なくなっていくと僕は思います。結局どっちなんだよって思うかもしれません。でも僕は、不快にしない様には気をつけるけど、必要以上に気をつけ過ぎないって事が大事なんじゃないかと思います。必要以上に気をつけたって不快にしてしまう時は不快にしてしまいますし、そこでビクビクし過ぎてたらそれはそれで不快にさせてしまうんです。それならある程度注意をしたら、そこから先は開き直ってしまうってのがいいんじゃないかと僕は思います。
まとめ
いかがだったでしょうか?誰だって自由に人生を生きたいって思うものなんじゃないかと思います。好きに生きたい様に生きるってのは大事な事だとは思いますが、その時に忘れないでいて欲しい事があるんです。それは、他人を不快にさせないって事です。僕は、それが守れているのなら、自分は生きたい人生を好きな様に生きていってもいいんじゃないかと思います。
それはなぜかと言うと、そんな風に他人を不快にさせる様な生き方をしていたら、周りの人がこちらが自由に生きる事を快く許してくれる事になんてならないと思うからです。まぁそりゃそうですよね。不快にしてくる人を自由にのさばらせる事なんて誰もしたくないですもんね。じゃあどうしていったらいいかって言ったら、僕は、まずは自分がされたら不快に思う事は誰にもしないって所から始めてみるといいんじゃないかと思います。そこから先は、相手の出方を見ながら相手が何を不快に思うかを見定めていくしかないんじゃないでしょうか?でもだからと言って、必要以上に人を不快にしない事にビビらない方がいいとは思います。ある程度気をつけているのなら、そこから先は開き直るって事も大事だと思います。あまりにビクビクしていたら相手を怒らせて、結局不快にしてしまう事にもなるからです。
ゆーすけ
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