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どーも、ゆーすけデス。
突然ですが皆さんは、誰かのお手本になりたいなんて思った事ってないですか?と言うよりも、人のお手本になれる様にしなさいなんて事を言われた事ってないですか?まぁ多くの人は、こんな風に言われた事は何回かあるんじゃないかと思います。まぁそれが出来るに越した事はないかもしれませんが、なんか重い感じがしますよね。だって、手本になるって自分が良い人間であるって事が条件の様な気になってしまいますもんね。要は、良い子ちゃんでいろって言われてる様なもんですもんね。
だからこそ、僕は、多くの人は、手本になるって事には、憧れがあってもそこを目指す事に難しさや辛さみたいなものを感じてしまっているんじゃないかと思います。でも、誰かに自分の生き方を参考にして貰える様に生きるって事は、僕は、とても素晴らしい事だと思いますし、そんな風にして生きるって自分の為にもなると思うんです。じゃあどの様にしたらそんな風に生きられるかって言ったら、僕は、手本になろうとするのではなく、見本になろうとすればいいんじゃないかと思います。まぁ言葉遊びをしてる感じがしてしまうかもしれませんが、僕は、これからは人の見本になれる様に生きていくって感じの生き方をするといいんじゃないかと思っています。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
手本になろうとすると自分が辛くなる
じゃあまずなぜ僕が、人の手本ではなく見本になれる様に生きるといいと思ってるかと言うと、手本になろうとすると自分が辛くなっていくと思うからです。まぁこれは僕の勝手なイメージではあるのですが、手本になるって言うのは、自分がその分野で優れているってのが前提にある様な気がするんです。もしかしたら、これは間違ってるのかもしれませんが、手本になる人ってのは、その分野で突き抜けた人でみんながその人を目指してしまうって感じの人の様な感じが僕にはしてしまうんです。で、自分がその手本になる事を想像したら、ちょっとプレッシャーがきつい感じがしませんか?まぁ自分はその分野で第一人者なんだって感じに心の中で自信を持つって事は大切だと思います。でも、それを他人に示して、他人に憧れて貰うって言う立場になってしまったら、それはそれで自分の事を楽しめなくなってしまうんじゃないかと思います。
だからこそ、僕は、見本ぐらいでいいと思うんです。これも僕の勝手なイメージなのですが、見本ってのは要は例えみたいなもんですよね。そこに良い悪いってあまり関わってこない様な気がするんです。まぁ確かに周りにいる人の為に自分を見せるって事には違いはないのかもしれません。でも、見本の場合は、その分野で突き抜けている必要はない感じが僕にはしてしまうんです。だから、そこまでのプレッシャーを感じずにいられるんじゃないかと思うんです。まぁどちらにしても他人に見られるって事には変わりはないので、それなりの緊張感は生まれると思います。でも、必要以上なプレッシャーを自分が感じてしまうってのは自分にとっては辛くなってしまう事なんじゃないかと思うんです。だからこそ、僕は、手本じゃなくて見本を目指すといいのかな?って思っているんです。
見本になろうとすれば、自分らしくいられる
そして、僕が次に見本になる様に生きるといいと思ってるのは、そんな風に生きる事が出来れば、自分が自分らしくいられると思うからなんです。もうね、手本になろうとすると、自分を良くしなくちゃいけないとか、自分のレベルを落としちゃいけないとかって考えてしまって、自分が自分でない様な感覚に陥ってしまうんじゃないかと思うんです。だって、自分はみんなの憧れの的じゃなきゃいけないって気持ちになってしまいますもんね。でもね、僕は、そこまで考える必要はないし、そこまで自分を追い込む必要もないと思うんです。だから、見本なんですよ。
見本だったら、相手がこちらに憧れるか、こちらみたいになろうとするかは、相手次第って思える様な気が僕にはするんです。これぐらいだったら、そこまで自分を作る必要ってなくなっていきますよね。そして、それに加えて、自分らしくしてる自分ってものを見て貰うってのが見本として生きるって事なのかな?って言う風にも僕は感じてしまうんです。だからこそ、手本ではなく見本ってのが僕にはしっくりくるんです。まぁもしかしたら、皆さんはそんな風には思えないかもしれません。見本であってもカッコつけなくちゃいけないって思うかもしれません。でもね、そこで他人の為に自分を作るって僕は辛い事だと思うんです。なので、例えカッコ悪かったとしても、自分は自分でいる様にして下さい。そして、そんな風に自分らしく生きてるって事を周りに示せる様な人間になっていって下さい。僕は、それが見本として生きるって事だし、そんな生き方をしていれば、生きてて心地いいって思える様になると思います。でも、手本の様な生き方だったら、そんな風にはならないんじゃないかな?って僕は思うんです。
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見本であっても気は引き締まる
で、もう1つ僕が見本になれる様に生きるといいと思ってるのは、見本であってもそれなりに気は引き締まると思うからです。まぁ基本的には、手本であれば、誰だって気は引き締まると思うんです。だって、自分は常に突き抜けてなくちゃならない訳ですから。もういつも自分の能力を最大限に引き出そうって頑張っていくんじゃないかと思います。まぁでも先ほどからも言ってる様にこれってかなりのプレッシャーになってしまいますよね。だからやっぱり、手本じゃなくて、見本の方にいった方がいいんじゃないかと僕は思ってるんです。
でもね、見本であっても人の目にはさらされますよね。そうなれば自分の中に緊張感ってやっぱり生まれると思うんです。見本であったとしても、自分は他の人が目指せる様な人間になっていこうって心の中では思っていたりすると思うんです。僕はこんな感じに生きるって事が大事なんじゃないかと思うんです。人の目はそこまで気にしないけど、自分は見られてるんだって思う様な感覚です。こう言うものがないと、人は、だらけていってしまいますからね。そんな風に自分の気持ちを引き締めて自分を成長させていく為にも、僕は、人の見本になれる様な生き方をしていってみて欲しいんです。別に自分が特別になる必要も、優秀になる必要もないです。ただ、自分らしくいる事を突き詰めてみて下さい。で、そう言う事を誰かは見てくれてるし、憧れてくれるんだって思って、そう言う人たちをがっかりさせない様な生き方をしていってみて下さい。きっと自分の人生は素晴らしいものになっていくと僕は思います。
まとめ
いかがだったでしょうか?人の手本になれる様に生きろなんて事を言われた事があるかもしれません。確かにそんな風に生きる事が出来れば素晴らしいかもしれません。でも、それって自分にとっては負担になってしまう事が多いんじゃないかと思います。だからと言う訳じゃないですが、僕は、人の手本になるんじゃなくて、人の見本になれる様に生きるって感じにしていくといいのかな?って思います。
じゃあなぜ手本ではなくて、見本なんでしょう?それに関して僕が思うのは、手本になろうとしたら自分が辛くなってしまう可能性があるからです。手本ってのは良い存在でなければいけないって感じがしてしまうと思うからです。だからね、人によっては、それがもの凄いプレッシャーになってしまったりするんですよ。でも、見本だったら、そこまでプレッシャーは感じなくて済むと思います。そして、見本だったら、自分らしくもいられる様になるとも思うんです。だからこそ、僕は、手本じゃなくて見本がいいんじゃないかと思っているんです。それに加えて、例え見本であったとしても、人に見られてると言う緊張感ってものをある程度感じる事が出来て、自分の気持ちを引き締めながら生きていく事が出来る様にもなっていくんじゃないかと思います。気が引き締まって生きてりゃ人生はきっと素晴らしいものになっていくと僕は思うんです。そんな意味からも、僕は、人の見本になれる様にして生きていってみて欲しいと思っているんです。
ゆーすけ
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