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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、やりたい事、やりたくない事を選り好みして生きてますか?まぁ基本的には、自分のやりたい事を優先して、やりたくない事はやらないってスタンスでいる事って大事だとは思います。そんな風に意識してないと、気がついたら自分のやりたいくない事ばかりやらされてしまうって感じになってしまったりもすると思うからです。でもね、人生を生きていたら、本当に自分がやりたい事だけをやって生きていくなんて事は基本的に不可能だったりすると思うんです。
やりたくない事もやらなきゃならない時ってのはあると思うんです。でも、そのやりたくない事に対しては、どの様な姿勢でいればいいんでしょう?もうね、これに関しては僕の感覚なので、もしかしたら伝わらないかもしれませんが、きた球を打つって姿勢でいるといいと思うんです。まぁ自分から何かをつかみにいく時は、自分のやりたくない事は選ばずに自分のやりたい事をつかむ様にするけど、向こうからやりたくない事がやってきてしまったとしたら、それを変に選り好みせず素直にやってみるって感じでしょうか。まぁこんな事を言うと、それじゃあ結局やりたくない事ばかりになっちゃうんじゃないの?ってなるかもしれません。でもね、こんな感じで流れに逆らわずに乗ってみるってのも案外大事な事だったりするんじゃないかと僕は思っているんです。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
選り好みばかりしてたら球はいずれこなくなる
じゃあまずなぜ僕が、きた球を打つって言うスタンスでいるといいと思ってるかと言うと、自分にとっていい球だけを打とうと言う感じにきた球を選り好みばかりしていたら、いずれ球はこなくなってしまうと思うからです。まぁこれだけ聞くと、なんかとても素晴らしい事の様な気がしますよね。だって、自分にとって嫌な事自体がこなくなるんですもんね。自分のやりたい事だけに集中出来ますもんね。でもね、これって本当にいい事なんでしょうか?僕には、長い目で見たらちょっともったいない事の様な気がするんです。確かに、人生では自分のやりたい事に集中するって大事です。でも、時には自分の視点を変えて、自分の視野を広げるって事も大事だと思うんです。だって、そうじゃなくて自分のやりたい事だけをやっていたら、自分ってどんどん偏っていくと思うからです。
だからこそ、自分にきた球ってのには手を出してそれを打ってみるって事も大事になってくるんじゃないのかな?って思うんです。だって、自分で自分の視野を広げようと思って本当にやりたい事以外のものに手を出そうとしても、結局自分の好みの中での選択みたいになってしまうので、自分が選ぶものは似たり寄ったりになってしまうと思うんです。だからこそ、外からきた球を打ち返すってのがいいのかな?って思うんです。だって、そう言うものって自分の予想の外にあるものだったりするからです。まぁ確かにそれがやりたくない事だったりもするとは思います。でも、僕は、出来る限り自分にきた球ってのはそのまま素直に打ち返すってスタンスでいて欲しいんです。だってそうじゃなくて、投げた球を選り好みされて打ってくれないなら、投げる方も投げたくなくなってしまうと思うからです。そしたら、自分の幅って永遠に広がらないままで終わってしまうなんて事にもなりかねないからです。自分の視野や幅を広げる為と思ってきた球は打つ様にしてみて下さい。
きた球の中には自分の未来を決めてくれるものが紛れている事もある
そして、次に僕がきた球を打つスタンスでいるといいと思っているのは、そう言うものの中に自分の未来を決めてくれるものが紛れている事もあったりするからです。まぁこれに関しては、100%そうだって事はないとは思います。大抵の場合は、きた球ってのは自分にとってそこまで興味のない事や、自分のやりたい事ではないって事は多いとは思います。でもだからと言って、それが全てでもなかったりするんです。それに手を出したから自分の未来が変わっていったなんて事も正直言って起こり得るんです。もうこればっかりはやってみるまでわかりません。もしかしたら、きた球を打っても自分には何のメリットもないなんて事もあるかもしれません。でもね、時にはそう言うものが自分にぴったりあっているなんて事もあるんですよ。
でも、そこできた球を選り好みして手を出さすにいたら、そう言う自分をどこかに導いてくれるチャンスってものを見逃してしまう事にもなってしまうんです。だからこそ、僕は、きた球は素直に打つって言うスタンスでいるといいと思っているんです。まぁチャンスかどうかがわからないならとにかく手を出してみろって感じでしょうか。チャンスはどうやっても手を出さない限りはつかめないですもんね。でも、手を出しまくっていれば、いずれ本物のチャンスを手に入れる事は出来る様になるものなんです。これは確率の問題です。確かに、本物のチャンスだけを効率的に手に入れたいって思うかもしれません。でも、それって相当難しいし、もの凄い数の経験が必要だと思います。だからこそ、僕は、きた球には手を出していって欲しいんです。じゃなきゃ経験を積む事すら出来なくなってしまうと思うからです。
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きた球を打つからと言っても完全な悪球には手を出さない
もしかしたら、これを言ったら、矛盾してるって思われてしまうかもしれませんが、僕は、きた球に手を出すのは大切だと思いますが、だからと言って、完全な悪球には手を出さない様にした方がいいとは思っています。もうね、どう考えてもこちらの事を利用してるだけって感じのものには手を出したりはしない方がいいとは思うんです。ではどの様にしたらそう言うものに手を出さない様にしていけるかと言ったら、僕は、先ほども言った様に経験を積むって事だと思うんです。自分が沢山の事を経験して、これは絶対に手を出してはいけない球なんだって事を自分の肌で感じていくしか方法はないんじゃないかと思うんです。
だからこそ、僕は、まずはきた球は打つって言うスタンスでいて欲しいんですよ。そんな風にしていれば、この球は打ってもいいのか、打ってはいけないのかって少しずつでもわかっていくんじゃないかと思います。まぁもしかしたら、初めのうちは間違って悪球に手を出してしまうかもしれません。でもね、それも経験です。そうやって間違いを繰り返していれば、いずれ本当に自分で判断出来る様になっていきます。そう言うものを通り越さないで、初めから、きた球の中で自分にとって良い球だけに手を出したいって思っていたりするから手が出せなくなるんじゃないかと思います。まずは失敗を恐れずにきた球には手を出しまくってみて下さい。きっとそれが自分の糧になってくれると僕は思っています。
まとめ
いかがだったでしょうか?出来れば自分のやりたい事だけをやっていきたいって多くの人は思うんじゃないかと思います。でも、人生を生きてりゃやりたくない事なんかもやらなきゃいけない時はあると思います。でも、何を持ってやっておいた方がいい、やりたくない事を選んでいけばいいかってわからないと思います。そして、なぜやりたいくない事をやらなきゃいけないのかってわからないとも思います。で、そんな時に僕が有効だと思うのが、きた球は打つって言うスタンスなんじゃないかと思うんです。基本的には、自分で選ぶ時には自分のやりたい事を選ぶけど、きた球に関しては選り好みしないってスタンスがいいのかな?って僕は思っているんです。
それはなぜかと言うと、もし自分がきた球を素直に打たずに選り好みばかりしていたら、いずれ球は自分の所へこなくなってしまうんじゃないかと思います。まぁそうなればいいやって多くの人は思うわれるかもしれません。でもね、そう言う球の中には、自分の未来につながる様な素晴らしい球も紛れていたりするんです。まぁ全ての球がそうとは言い切れませんが、時には、そんな感じのチャンスが紛れている事もあるんです。だからこそ、僕は、きた球には手を出していって欲しいんです。でもだからと言って、明らかな悪球には手を出さないって事も忘れないでいて下さい。じゃあどの様にしたら、良い球、悪い球ってのを判断していける様になるかって言ったら、それは沢山の球を打って経験を積んでいくしかないと僕は思っています。その為にも僕は、きた球には手を出していって欲しいと思っているんです。
ゆーすけ
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