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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、自分にとっては当たり前の事だと思っていた事が通用しなかったって経験はないですか?僕なんかは、トイレの便座なんかがそうでした。僕が育った環境では、便座を上げて小をして、そのまんまの状態でトイレから出ていくってのが普通でした。これが良いか悪いかは別として、僕は、その環境の元で育ってきてしまっていたのです。

で、奥さんと出会って、便座を上げたままトイレを出たら、「便座は下げて出るもんだ」って言われて、そこで初めて「えっ?そう言うもんなの?」って言う事を知ったんです。まぁ今では、ちゃんと便座は下げてトイレを出る様になりましたし(笑)、我が子もその様に育てています。これが僕の今の当たり前になっています。この例えが的確かそうでないかは置いといて、自分の当たり前って他人にとっての目から鱗だったりするんですよ。それは知っておいて損はないんじゃないかと思います。で、自分の当たり前が誰にとっても当てはまる訳じゃないって事も忘れないでいて欲しいと思います。

ここでは、なぜ僕がその様に考えてるかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
自分が当たり前に出来る事を他人が同じ様に出来るとは限らない
じゃあまずなぜ僕が、自分の当たり前ってものが他人にとっての目から鱗だったりすると思ってるかと言うと、自分が当たり前に出来る事を他人も同じ様に出来るとは限らなかったりするからなんです。そんなの当然だって多くの人は思うと思います。でも、僕の感覚では、多くの人は、そうは思っていても、自分の当たり前が世間の当たり前でもあるって言う風に思っていたりするんですよ。だからこそ、他人にとっては目から鱗だったりするんです。これは、僕の経験からわかった事なのですが、僕は骨格の形成が人と違って少しおかしいらしいんです。なぜこれがわかったかと言うと、今から約10年ぐらい前に趣味でサッカーをやっている時に、激しい反則をされて手首を折った事があるんです。その時に、僕は、必死でリハビリをしました。本当に必死で頑張ったので、リハビリの先生が驚くほどの速さでほとんどの筋力とか柔軟性とかは取り戻していったのですが、ある一定の角度にだけ肘の関節が回らなかったのです。

それをみたリハビリの先生は「ここだけサボったな」みたいな感じでからかってきたのですが、どれだけ頑張ってもそこだけは一向に回復する事がなかったのです。それで、先生も僕も「これはどうもおかしい」と言う事になって、反対の骨折をしていなかった側の肘を回しみたら同じ様にその関節はある角度には回らなかったんです。それで、やっと僕がリハビリをサボっていた訳ではないって事は証明されたのですが(笑)、その代わり僕は普通の人とは骨格の形成が違っていると言う事実も突きつけられました。そして、僕の様な人は実は他にもいるらしく、その手の人はコンピューター仕事をしている時に普通のマウスやキーボードを使っていると手首や肘を炒める事になりやすいと言う事で、その時から特殊なマウスやキーボードを使う羽目になってしまいました。まぁこれは特殊な例かもしれませんが、こんな風に自分にとっては当たり前に出来る事が同じ様に出来ない人もいるって事は覚えておいて下さい。そして、同じ様に出来ない人もそれが出来ないって事に気付いていない場合もあるって事も心のどこかに入れておくといいんじゃないかと思います。これを知っていると知らないとでは、自分と同じ様に出来ない人に対する理解度が変わってくるんじゃないかと思うからです。本当にね、自分の当たり前って他人にとっても当たり前じゃないんですよ。

自分が当たり前の事実だと思ってる事を知らない人もいる
で、次に僕が、自分にとっての当たり前が他人にとっての目から鱗かもしれないって思ってるのは、自分が当たり前の事実だと思ってる事を知らない人もいるって事なんです。これは違う文化に入ってってみたり、違う国にいってみたりして、人と接したりするとわかりやすいのかもしれません。まぁそりゃそうですよね。生まれた場所も違えば、生まれた年も違うし、育ってきた環境も違う訳なんです。価値観だって、考え方だって違うだろうし、自分の知っている事を相手が必ずしも知らないなんて事はあってもおかしくはないですよね。まぁこんな風に言われたら、そりゃそうだって思うと思うんです。でも、ほとんどの人がこう言う事を時に忘れてしまって、自分の常識はみんなの常識でもあると思ってしまっているんじゃないかと思うんです。

これも、僕の経験からなのですが、以前に僕はアメリカ人の学生を引き連れてアメリカのSUSHI屋さん(このSUSHIって所でおわかりかと思いますが、皆さんが思い描いている様なお寿司屋さんではありません)にいった事があるんです。で、みんなにどれを食べたら日本ぽいのか?なんて聞かれて(まぁ基本的にはアメリカンな日本食なのでどれを食べても日本ぽくはなかったのかもしれませんが(笑)。ちなみに僕はこんなアメリカンな日本食も好きです)、まぁ無難な所でEDAMAMEを頼んであげたのです。まぁ日本人の我々なら、普通に考えて枝豆の食べ方なんて誰だって知っていると思いますよね?でも、そこにいたアメリカ人の学生はEDAMAMEを皮ごとムシャムシャと食べ始めたのです。皮ごと食べてもそんなに悪いもんでもないし、皮を普通に食べる人もいるかもしれませんが、その時の僕にはその発想はなくて、びっくりして大爆笑してしまったんです。でも、その学生からしたらそれが普通の事だと思っているので「何笑っての?」ぐらいの顔でこっちを見ていた訳なんです。こんな感じで、「自分にとっての常識は他人にとっての非常識」なんて事はよくある事なんです。だからと言う訳じゃないですが、自分が正しいと思っている事が常に正しいとは思わない方がいいと思うんです。もしかしたら、自分が当たり前に思っている事も他の人にとっては当たり前じゃなく目から鱗な事かもしれないと言う考え方は心の何処かに入れておくといいんじゃないかと思うんです。

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自分の常識が常に通用するとは考えずにちゃんと確認する
じゃあこれからはどうしていったらいいのかって言ったら、僕は、自分の常識ってものが常に通用するとは考えずにちゃんと確認をしていくって事に尽きるのかな?って思います。そして、自分の常識とか、当たり前とかってものを常に疑ってみるってのも大事なのかな?って思ったりします。だって、本当に自分が当たり前だと思ってる事が、他人にとっても当たり前かどうかなんてわからないんですから。もうね、これは先ほども言った、違う国とか、違う文化とかの人とだけじゃないんです。自分の身近にいる様な人とであってもわかり合えないなんて事はあるんですよ。もうね、本当に自分の当たり前は、他人にとっての目から鱗だったりするんです。

その逆もまた然りです。他人にとって当たり前だと思ってる事が、こちらにとっては目から鱗だったなんて事もよくある事なんです。時には理解出来ない事もあるかもしれません。でも、人にとって当たり前はそれぞれ違うんです。そう言うものは否定しないで、受け入れましょう。どっちが正しい、間違ってるなんてないんですよ。きっとどちらも正しいって感じだと思います。で、上も下もないんです。それは忘れないでいて下さい。自分の当たり前は全ての人にとっての当たり前じゃないし、周りの人の当たり前が自分の当たり前でないって事もあったりするんです。でも、別にそれでいいんです。ただ自分の当たり前が全てだとは思わない方がいいよって感じです。

まとめ
いかがだったでしょうか?時に、自分がこんな事誰でも当たり前に知ってるだろうって事が通用しなかったり、自分にとっては簡単に出来るって事が他人からしてみたらとても難しいなんて事はあるんじゃないかと思います。で、その逆の事が起こるって事もあると思います。もうね、それは当然の事だったりするんです。これからは、自分の当たり前は他人にとっては目から鱗なのかもしれないって感じに思いながら生きていく様にするといいんじゃないかと思います。

それはなぜかと言うと、自分にとって当たり前に出来る事が他人にとっても同じ様に出来るとは限らなかったりするからです。自分に簡単に出来る事に難しいと感じる人だっているんですよ。そして、自分が当たり前だと思ってる事を知らない人だってこの世の中には沢山いたりするんです。もうね、人にとっての当たり前ってのは本当に人それぞれだったりするんです。なので、これからは、自分の常識みたいなものが常に通用するとは思わずにちゃんと確認していくって事が大事だったりすると僕は思います。本当にね、人が何を当たり前と思ってるかは人によって違うんです。他人からしたら目から鱗だったりするんです。それは忘れないでいて欲しいと僕は思っています。

ゆーすけ
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