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どーも、ゆーすけです。
僕は、今アメリカに住んでいますが、日本生まれの日本育ちです。基本的には「控えめでいる」ってのが美徳だと習って育ってきました。
そんな日本人の中でも僕は比較的自分を主張する方だと言う自覚は持っています(このブログを読んでくれている方はもしかしたら、もうすでにお気づきかもしれませんが(笑))。それでも時々はアメリカ人の同僚に「そこまで控え目でいる必要はない」みたいな事を言われる事もあります。まぁおそらく生まれた頃からの習慣ってなかなか拭い去るのは難しいんだろうと思います。
その様な経験から、確かに「控え目過ぎる」ってのはあんまり良い事ではないんじゃないかな?って思う様になりました(だからと言って必要以上に強気になった方がいいとも思いませんが)。そして、これはアメリカだからって言う訳じゃなくて、どこにいても(例え日本にいたとしても)当てはまる事なんじゃないかと最近は思う様になってきたんです。
特に自分を卑下する様な「謙遜」の仕方はしない方がいいんじゃないかと思うんです。
もくじ
「謙遜」したところで「控え目でいい子だな」とは決してならない
まず、なんで「謙遜」をしない方がいいかって言うと、謙遜ってのは自分をへりくだるって行為に近いと思うからです。例えば、10の実力があるのにわざと6ぐらいに見せている(もしくは見せようとしている)って感じです。
これって、自分を控え目に見せようとしているつもりなのかもしれませんが、基本的にはその様な効果は全くないと思った方がいいと思います。
だって、10の実力がある人が、周りに人に6の実力でしかないって映る事はまずありえないからです。やっぱり10実力がある人は9とか11ぐらいの力があるって周りには伝わるもんなんです。
そこで、「自分は6です」なんて言われても、それは「ちゃんと自己評価が出来ていない」と映るか、「自分に自信がないんだな」としか映らないと思うんです。決して、「この子は控え目でいい子だな」って感じに受け取られる事はないんじゃないかと思うんです。
確かに自分を必要以上に大きく見せる事は逆効果です。10の実力しかないのに、「自分は15」だと言い張ってもそれは相手にも伝わりますし、かなり印象が悪いのは確かです。でも、それと同様に自分を必要以上に小さく見せるのもあまり得策ではないのです。
やっぱり、10の力があるなら、自分は10(もしくはその周辺)の実力があると言えるのが1番いいんじゃないかと思うんです。自信過剰である必要もないし、自分を卑下し過ぎる必要もないんです。そして、自分の今現在の実力(立ち位置)をちゃんと把握しているって事が大事なんじゃないかと思います。
「謙遜」されても周りは思った程嬉しくない
で、もう1つ多くの人が「謙遜」する理由って、相手を持ち上げるためって感じもあるんじゃないかと思います。でもね、はっきり言います。「謙遜」されても周りは思った程喜びません。
「えーっそうなの?」って思った方、じゃあみなさんが謙遜されている場面を想像してみて下さい。例えば、何かの場面で相手を褒めた時なんてどうでしょう。相手に褒め言葉を言った時に、「いやいや自分なんて」とか「自分なんてまだまだ」ですって返事が返ってきたらどう思いますか?
おそらく「何こいつ嘘言ってやがんだ」とか「またまた心にもない事言っちゃって」とか思うんじゃないかと思うんです。だって、謙遜しているのって大抵の場合はバレバレですもん。そして、もし万が一謙遜しているって気がつかない場合があったとしても、謙遜されたからと言って「あーこの人は自分をへりくだってっていてとても好感が持てるなぁ」なんて決して思わないとも思うんです。
それだけならまだしも、謙遜なんてされたら褒めた自分が否定された様に感じませんか?だってせっかく「あなた凄い」って言ってんのに、「いやいやそんな」って返されたら、自分の評価が間違ってるって言われてるのと同じ様な感じを受けませんか?
もうね、褒められたら素直に「ありがとう」と言えばいいんです。例え、相手が嫌味で褒め言葉を言っていようが関係なく感謝すればいいです。もし、それでバカにするなら、それは相手の問題です。初めっから褒めなきゃいいだけの話なんです。

もうここまで聞いてきたみなさんにはもうお分かりでしょう。そうなんです、謙遜には相手を喜ばせる要素って1ミリもないんです。残念ですが、本当なんです。
だから、どんなに相手を立てようと思っていても、「謙遜」だけはしない方がいいと思うんです。逆に相手を怒らせないとも限らないのですから。
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点数を聞いてくる人には「60点」と言っておけばいい
それでも、中には相手に「謙遜」の様なものを求めてくる人ってのいるんじゃないかと思います。僕の中では、なんとなく点数を聞いてくる人ってそんな感じがします(全員が全員ではないとは思います)。
例えば、何かをやった後に「今の自分の中で何点?」みたいな感じで。
なぜかと言うと、僕の中ではその手に人に「100点」って答えてもなんとなく嬉しくなさそうな感じを受ける事が多かったからです。おそらくその手の人って、低い点数を期待していて、「次は頑張れ」って言いたかったりとか、「もっとこうした方が良くなるぞ」って無理矢理指導とかをしたかったりするんじゃないかと思うんです(まぁ僕の完全な妄想なので、もしそう言うつもりじゃなくて点数を聞いちゃう人がいるなら、ごめんなさい)。
だから、そう言う人には「今の出来は60点」とでも言っておけばいいと思います。これは「謙遜」して60点にしているのではなくて、「60点とでも言っておけば相手の気も済むだろ」の60点です。気持ちの中では100点でいいと思います。いやむしろ120点でもいいんじゃないかとおもいます。自己評価はそれぐらい高くて全然いいと思います。

でも、あまりに自分はすごいオーラを出しまくるのもなんなので、嫌われない程度には謙虚でいるってのも世の中を上手く渡り歩いていく為には必要なスキルなのかもしれません。だからと言う訳ではないですが、低い点数を欲しがっている人にはそれに合わせて低い点数を言ってあげればいいんです。でも、その一方で自分の正当な評価を期待してくれている人も全くいない訳でもないと思うので、そう言う人にはちゃんと心の中で思っている点数を正直に言えばいいんじゃないかと思います。まぁ要は、何事もTPOが大事って事ですかね。
まとめ
アメリカにいると多くの人が思っているステレオタイプの通りに、根拠のない自信に満ち溢れた人に出会う事は確かに多いです(アメリカ人と言っても全員が全員っていう訳ではありませんが)。

かと言って、僕はそうやって常に自信に満ち溢れている事が必ず正しい訳ではないとも思います。やはり、ある程度は控え目であるって事もとても大事な事だと思います。
でも、だからと言って、相手を喜ばそうと(もしくは相手を持ち上げようと)する為に、自分を卑下する事はやめた方がいいと思うんです。自分を大きく見せる必要もない代わりに、自分を必要以上に小さく見せる必要もないと思います。とにかくありのままの自分で勝負するのがいいのではないかと思うんです。
まぁ一言でまとめるなら、
謙虚でいた方がいいけど、謙遜なんかしない方がいい
って感じです。
ゆーすけ
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