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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、自分が自信を持てない様な時には誰かに自分の背中を押して貰いたいなって感じの事を思ったりしませんか?その最後の一押しさえあれば自分は前に進めるのになって思いますよね。そう思う気持ちってのはわからなくもないです。でも、それって本当の事なんでしょうか?誰かが自分の背中を押してくれるから自分は前に進んでいける様になるんでしょうか?ぶっちゃけた話、僕にはそんな風には思えないんですよね。
僕には、そんな風に誰かに背中を押して貰いたいって思ってる時点でその人は今は何があっても前には進まないって決めている様な気がします。だからきっと、誰かが本当に背中を押してくれたとしても前には進まない様な気がしてしまうんです。もうね、自分の背中って押せるのは結局自分だけなんですよ。誰かが押してくれたから前に進めた事があるって思っているかもしれませんが、それはその時に自分が前に進むって決めただけだったりするんです。それは知っておいて下さい。もうね、どれだけ難しかったとしても、最後の最後は自分で自分の背中って押していくしかなかったりするんですよ。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
自分が踏ん張ってしまったら誰が背中を押しても前には進めない
じゃあではまずなぜ僕が、自分の背中を押せるのは自分だけなんて事を言ってるかと言うと、誰かに背中を押されたとしても、自分が進まない様に踏ん張ってしまったら絶対に前には進めないからです。こんな事を聞くと何言ってんの?そんなの当たり前じゃんって思うと思うんです。で、そうなってしまうから誰かに背中を押して貰って無理やり前に進めて貰おうとしてるんじゃんって思ったりすると思うんです。でもね、人は進まないって決めたら、誰だどれくらいの力で背中をしてくれようが前には進めなかったりするんです。てか、誰にどれだけ押されても、そんな時には人は絶対に前には進みません。だって、進まないって決めてるし、進みたいと思ってないんですから。まぁ背中を押して欲しいって思ってる時点でもの凄く迷ってはいるんだろうとは思います。でも、僕は、背中を押して欲しいって思ってる時は基本的には誰も前には進んでいかないと思うんです。
もうね、自分の中で決まっちゃってるんですよ。進まないって事に。でも、そうやって誰かに押して欲しいって思ってるのは、本当に進みたいのではなく、誰かの押しが弱いから進まなかったって言う感じの言い訳をする為に誰かに背中を押して貰いたいって感じの事を言ってる訳なんですよ。本当にズルいですよね。まぁでもそんな風にして自分の責任を誰かに押し付けたいって気持ちになるのもわかります。進まない選択をした事に罪悪感みたいな事を感じてしまいますもんね。でもね、これは覚えていて下さい。誰かが自分の背中を押した事で前に進んだとしても、自分の気持ちは満たされません。だって、やらされた感が出てしまうからです。だからね、最後はやっぱり自分で背中を押していくしかないんですよ。自分で自分の背中を押して前に進んでいくから自分は満たされていくんです。人に押して貰ってもあまり良い気分にはなりません。てか、押された所で人は基本的には前には進んでいかないんですよ。
誰かに背中を押して貰いたいって思ってる時は、ただ確認したいだけ
で、これはちょっと不思議に思うかもしれませんが、僕の感覚では、自分が誰かに背中を押しても貰いたいって思ってる時には、ただ確認したいだけって事もあると思うんです。先ほどは、押されても進みたいくないって感じに自分は進まないって決めてる時には背中を押して欲しいって言って、責任から逃げるって感じの事を言いましたが、それとは反対に、もう前に進むって思ってる時にも、人は背中を押して欲しいって感じの事を考えたりもするんです。もうね、自分が進もうと思ってる事を正しいって誰かに言って欲しいから、背中を押して欲しいって感じの事を思ってしまったりするんです。まぁ簡単に言い換えるのなら、これも責任を誰かに押し付けようとしてるだけの行為の様な気がします。
もうね、ぶっちゃけ自分が前に進むって決めているのなら、他人に確認なんて取らなくていいんですよ。もしそこで誰かが進まない方がいいって言ってきたとしたら、皆さんだったらどうしますか?きっとね、誰か自分が進む事に賛同してくれる人が現れるまで聞きまくるんじゃないでしょうか?だって、もう既に自分は進むって決めてるんですから。実際には他人の意見なんてどうでも良かったりするんですよ。ただ責任を誰かに押し付けたいだけだったりするんです。僕は、そんな意味からも、自分の背中を押せるのって実は自分だけって言えるんじゃないかと思っているんです。だって、最終的には進むも、進まないも決めているのは自分なんです。そこに誰かの存在や意見を入れ込む必要なんて全くなかったりするんですよ。
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迷いがあるなら進んでみるしかない
そして、これはそれを言ったらお終いなんじゃないの?って思うかもしれませんが、自分の中で迷いがあるならどんな事でも前に進んでみるしかなかったりすると僕は思うんです。迷いがあるから誰かに背中を押して貰いたくなるんだとも思うんです。そして、先ほども言った様に、それに対する反応って自分の中にもう既に決まっていたりするんですよ。でもね、僕は、どちらにしても、自分が迷っていたりするのであれば、進んでみる以外に自分の迷いを解消する方法ってないと思うんです。その時は進まないって決めていたとしても、進んでいない限りは、いつまでもその迷いは再燃してきます。だって、迷ってるんですから。進まないと決めていても、進みたい気持ちが少しはあるから迷うんです。でも、そんな風に迷っている時に進まなくて良かったって言う風にはほぼならなくて、本当は進んだ方が良かったのかな?進まなくて本当に良かったのかな?なんて言う風に思うだけだったりすると思うんです。
もうね、もしそんな感じになるのなら、僕は、誰かに背中を押して貰おうとか考えないで、自分で背中を押すって言う風にしていくしかないと思うんです。だって、もうどちらにしても、自分は前に進んでみないと気持ちはすっきりしないんですから。もうね、本当にこれ言ってしまったら元も子もないって話なんだと思います。でも、僕は、誰かに背中を押して欲しいなって少しでも思ったのなら、自分がそれに対してどう思っていようが前に進んでいってみて欲しいと思います。きっとそうする事が自分の深層心理が求めている事だと思うんです。なんだかんだで自分の背中は自分で押すしかないし、自分の背中を押せるのは自分だけだったりするんですよ。
まとめ
いかがだったでしょうか?誰だって他の誰かに背中を押して貰いたいって思ったりするものなんじゃないかと思います。でもね、僕は、結局自分の背中って自分で押していくしないと思うんです。だって、自分の背中を押せるのは自分だけなんですから。
じゃあなんで自分の背中を押せるのは自分だけなんでしょう。他の人だって押す事は出来るでしょって思うと思うんです。まぁ確かにそうです。でも、もしその時に自分が前に進まないって決めているんだとしたら、自分は絶対に進まないって感じになると思うんです。だからね、他人がどうするかなんて実はそこまで関係なかったりするんです。そして、僕は、誰かに背中を押して貰いたいって時にはそれを誰かに確認したいだけって事もあると思います。要はね、進む進まないに限らず自分の中ではもう決まっていて、その決定の責任を他の誰かに押し付けたいってだけだったりするんじゃないかと思うんです。そんな感じなので、僕は、誰かに背中を押して貰いたいって思ってる時は、自分が迷ってる時だし、迷ってるならどちらにしても進むしかないと思うんです。だからこそ、僕は、自分の背中を押せるのは自分だけって思って、進んでいって欲しいんです。誰かに背中を押して貰いたいって思った時にはなおさらだと思います。
ゆーすけ
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