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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、人の凄さってものを認める事って出来てますか?なんか自分より圧倒的に優れているってのがわかっているのなら認める事って出来るかもしれません。でも、そうではなくて、自分と相手が近いとか、自分より相手の方が劣っていそうだなとかって思う様な時には、意外と相手の凄さって認める事は出来なかったりするんじゃないかと思います。まぁそりゃそうですよね。そんな事をしてしまったら、自分が凄くないって言っちゃってる様なもんですもんね。
でもね、僕は、それでもやっぱり相手がどんな人であったとしても、相手の凄さって認めてしまった方がいいんじゃないかと思います。自分以外の人間の凄さを認めた所で、自分が凄くないって事にはならないと思うからです。僕は、そんな風に相手の凄さを認められる人って凄いと思いますし、きっと周りからもその凄さを認めて貰える様になると思うんです。まぁ初めはそうする事は難しいかもしれません。まずは相手の凄い所を探す所から始めてみて下さい。で、もし見つかったら、そこは素直に認めて、可能であれば褒めてあげる様にするといいんじゃないかと思います。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
誰にでも凄い所はある
じゃあまずなぜ僕が、相手の凄さってものは認めていった方がいいと思ってるかと言うと、これはもしかしたらなかなか納得して貰う事は難しいのかもしれませんが、誰にでも凄い所ってのはあると思うからです。もうね、そう言う事を否定しても何も良い事はないと思います。確かに誰にでも凄い所はあるってわかったとしても、それを否定したくなる気持ちはわかります。先ほども言った様に、それを認めてしまったら、自分が凄くないって感じになってしまうと思いますもんね。でもね、他の人にも凄い所がある様に自分にも凄い所はあるんですよ。誰かが凄いから、他の人は凄くないって話になはならないんです。みんなそれぞれ凄い所はあるんです。だからこそ、そう言うものはきちんと認められる様になっていった方がいいんじゃないかと僕は思います。だって、その方が相手は嬉しくなるし、相手の凄さを認めてる自分の気分も良くなると思いますもん。
でね、ここで忘れないでいて欲しいのは、凄い凄くないってのは取り合いじゃないって事です。誰かが凄いってなったら、凄いがもう他の人に回らないって訳じゃないんですよ。みんなそれぞれ凄さは違います。そして、全ての人が何かしらかの部分で凄いんですよ。だから、他の誰かの凄さを認めた所で自分が凄くないって事にはならないし、自分が負けたって事にもならないんです。そんな事で張り合わない方がいいと思います。それよりも、相手の凄さって言うものはきちんと認められる人間になっていった方がいいと僕は思います。他人の凄さに嫉妬していたら自分の気持ちは苦しくなるだけだと思います。ここは、勇気を出して、相手の凄さってものを認める様にしてみて下さい。きっと自分の気持ちは軽くなっていくはずです。
相手の凄さを心から認められる様になれば自分に自信も湧いてくる
そして、これもなかなか信じて貰えない事なのかもしれませんが、僕は、相手の凄さを認められる様になっていけば、自分に自信を持つ事も出来る様になっていくんじゃないかと思うんです。でも、多くの人はそんな風には思えずに、他人の凄さを認めてしまったら、自分に自信をなくしてしまうって思ってると思うんです。だから、誰の凄さも認めないで、自分が凄いんだって感じにしていってしまうんじゃないかと思います。で、常に自分の凄さをひけらかそうってして周りに対して上からいっていたりするんじゃないかとも思います。でもね、そんな事をしても、自分に自信が湧いてくる事も、自分が本当の意味で誰かより上にいくなんて事も出来ないと僕は思うんです。もうね、相手の凄さを認めないで自分の凄さを認めさせようとするのって自分が思ってる事と逆の結果をもたらしてしまうんです。
だからと言う訳じゃないですが、僕はまずは相手の凄さを認めてみて欲しいんです。嫉妬心は捨てて全てを完全に認めてみて欲しいんです。そうしていれば、僕は、逆に自分の凄さってものにも気がつけて自分に自信って湧いてくると思うんです。そして、自分もあんな凄さを手に入れたいなって自分を鼓舞する様にもなっていくと思うんです。相手の凄さを認めたからって絶対に自分を卑下する様な事にはならないと僕は思います。卑屈になる必要は全くないです。自分にだって凄い部分はあるんです。そこに気がついて自分に自信を持てる様になる為にも、まずは他人の凄さを認めてしまいしょう。そこを否定する事で自分の凄さを確保しようなんてしていたら、いつまで経っても本当の意味での自信は湧いてきません。自分を含めて誰だって凄いんです。そんな風に思える様になる事が自分に自信を持つ為には大切な事だったりするんじゃないかと僕は思っています。
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相手の凄さを認めるからこそ相手も認めてくれる
で、もう1つ僕が相手の凄さってものは認めた方がいいと思ってるのは、そんな風に相手の凄さってものを認めるから自分の凄さを認めて貰えるってのはあると思うんです。まぁ承認欲求なんてものは持たない方がいいなんて事を言われていたりするとは思いますが、誰だって自分の凄さってものを認めて貰いたいと心の底では思っていますよね。で、多くの人は、誰かから先に認めて貰いたいって思っていると思うんです。で、そんな風に認めて貰えたら、自分も認め返すのにって思っていたりもすると思うんです。これってね、全ての人が思ってる事だったりするんですよ。だから、相手もこちらに先に認めて欲しいって思っていたりする訳なんですよ。もしそうなんだとしたら、僕は、こちらから先に認めてしまうのが実は得策なんじゃないかと思います。だって、そうすればきっと相手もこちらの凄さを認めやすくなっていくんじゃないかと思うからです。
もうね、どちらが先とかあまり関係ないんですよ。みんながみんな相手の凄さを認めていけばいいじゃないですか。この世の中って基本的にはどんな部分でも因果応報で回っていると僕は思います。だから、自分が相手の凄さを認めれば、それは自分に返ってくるし、認めなければ、認めないが自分に返ってくる事になると僕は思います。そんな意味からも、僕は、相手の凄さって認めてしまうといいと思います。まぁ中には認めても、認め返してくれない人もいるかもしれません。でも、自分が認めた事は回り回って間接的に自分に返ってきたりすると思います。誰が最初とかはもう忘れてしまいましょう。相手に凄い部分を見つけてそれを認めていきましょう。そうすればきっと自分の凄さも認めて貰える時はやってくると思います。
まとめ
いかがだったでしょうか?他人の凄さって認めてしまったら負けって感じがしてしまうかもしれません。だから、人は、他人の凄さってなかなか認められなかったりすると思います。でもね、僕は、あまりそんな事にはとらわれずに相手の凄さってものは認めていった方がいいんじゃないかと思っているんです。
それはなぜかと言うと、誰にでも凄い部分ってあるからなんです。もうね、相手の凄さを認めると言うよりは、相手の凄さに気がついてあげるって感じでしょうか。でも、そんな風に相手の凄さを認める事は自分が凄くないって事にはならないって事は思えていて下さい。だって、誰にでも凄い部分があるって事は、自分にも凄い部分があるって事になるんですから。そして、他人の凄さを認める事が出来れば、自分に自信も湧いてくると僕は思います。だって、他人にも凄い部分があるって認めるって事は、自分にも凄い部分があるって事を認める事にもつながっていくと思うからです。それに加えて、僕は、自分が相手の凄さを認めるからこそ、自分の凄さも認めて貰えるって思うんです。だからこそ、僕は、先に相手の凄さってものは認めていくといいんじゃないかと思います。きっと自分が落ち込む事は減っていくし、自分の心は軽くなっていくはずです。
ゆーすけ
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