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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、自分の目の前のドアが閉まってしまった様な時(例えば、仕事や人に拒絶されてしまった様な時)には、そのドアを開ける事にこだわってしまったりしませんか?まぁそんな風になってしまう気持ちはわかります。自分的にはそのドアの先に進んでいきたいですもんね。もしそこで、すぐにその閉まってしまったドアが再び開くのであれば、その先に進んでいってもいいのかもしれません。

でもそのドアがどれだけやっても開かない様な感じであるのなら、僕は、そのドアに未練がましくしがみついたりしない方がいいんじゃないかと思います。まぁそんな簡単に諦め切れないってのもわかります。でも僕のこれまでの経験から言って、自分の思い通りにならなかった事に未練がましくしがみついても状況って良くなる事はない感じがするんです。ちょっと矛盾する様ですが、すぐに諦めたりはしない方がいいです。ちょっとは粘ってみた方がいいです。でも、それでも無理なら未練がましくしない様にするって言う方がいいんじゃないかと僕は思います。

ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
ドアを閉めた側はもう次に進んでいる事が多い
じゃあまずなぜ僕が、自分の目の前のドアが閉まってしまった様な時には未練がましくしない方がいいと思っているかと言うと、逆にドアを閉めた側はもう次に進んでいる事が多かったりするからなんです。まぁこれはなんとなく皆さんも気がついていたりするんじゃないかと思います。拒絶する側と、拒絶される側の熱って全く違っていたりするんですよ。拒絶された側(もしくは、ドアを閉められた側)って言うのは、拒絶された途端にそこに執着したりします。だから、そこに必要以上に未練を持ってしつこく食い下がろうとしたりするんです。でもね、拒絶した側はちょっと違います。もうね、拒絶した時点でその事に対して冷め切っていたりするんです。で、確実に次に向かって動き出してます。てか、動き出す準備が出来たから拒絶してるって感じだったりするとも僕は思います。これは、きっと自分が拒絶する側になって考えてみるとわかる事なんじゃないかと思います。

もうね、拒絶された側は閉まったドアを開けようと必死になっているかもしれませんが、拒絶してドアを閉めた側はもうその場にはいなかったりするんですよ。だから、どれだけドアを叩こうが、どれだけノブをガチャガチャしようがそのドアを開けてくれる人はそのドアの前にはいなかったりするんです。まぁちょっとわかりにくい例えだったかもしれませんが、自分の目の前のドアが閉められた時ってそんな感じだったりするんですよ。向こうは完全に次に進んでいるんです。だからこそ、僕は、そこに未練がましくしがみついてもあまり意味はないのかな?って思うんです。向こうがまだ次に進んでなくて、ドアのそばにいる様な時には、そのドアはすぐ開くはずです。でも、何度開けようとしても開かないのなら、もうそのドアは開かないって基本的には思っていた方がいいと思います。だって、ドアを閉めた人はドアのそばにはもういないんですから。

未練がましくそこにとどまっていたら自分が次に進めなくなる
で、次に僕が、未練がましくなんてしない方がいいと思っているのは、そんな事をしてしまったら、今度は自分が次に進めなくなるだけだと思うからです。まぁそりゃそうですよね。未練がましくしてるって事は、もうこれ以上は先に進めなそうな場所にとどまろうとしてるって事なんですから。言い換えるのなら、行き止まりの前で立ち尽くしてる感じだと思います。そして、その行き止まりの先に向かって進みたいって思い続けてるだけって感じだと思います。でも、ここで冷静に考えてみて下さい。自分が周りからその状況を眺めてると思ってみて下さい。その行き止まりの先にいつか進める様になると思いますか?きっとそんな事ないですよね。きっと永遠にその先には進めないし、その場で立ち尽くし続ける事になるだけだと思いますよね。でも自分がそのドアの前に立っている立場だったらそんな風に思えなかったりすると思うんです。どちらかと言ったら、そこで粘ればその先に進めるって思ってしまうと思うんです。

でもね、これは本当に残念な事なんですが、大抵の場合、閉まったドアの前で立ち尽くしていてもそのドアは開きません。その先に進めることもなかったりするんです。ドアを閉められちゃった側からすればそのドアに固執してしまう気持ちもわかるんです。でも、そこに立ち続けても自分はどこにも進めません。次に進んでいく事は本当に出来なくなってしまうんです。どこにも進んでいけないって実は相当辛い事です。だからこそ、僕は、未練がましくなんてしない方がいいと思います。そこを割り切って次に進んでいくのは簡単な事ではないかもしれません。でもね、人生ってどこまでも進んでいくんです。自分も先に進んでいかなきゃならないんです。行き止まりの前に立ち止まっていても人生が良くなる事は基本的にないです。そんな意味からも、僕は、未練がましくしたりなんてしない方がいいんじゃないかと思っているんです。

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落ち込む期間を決めるのと、自分をちょっと忙しくするのが大事
じゃあ自分はどの様にしたら未練がましくしないでいられる様になるんでしょうか?もうこれに関しては、簡単な事ではないとは思います。で、その時に僕が、有効だと思うのは、落ち込む期間を決めてしまうって言うのと、自分をちょっと忙しくするって感じかな?って思います。まず落ち込む期間を決めるっての言うは、そう言うものが決まってないと人はいつまでも落ち込んだ気持ちを引きずってしまうってのがあると思うからです。そして、期限を決めれば、落ち込むだけ落ち込む事が可能だと思います。そうやって自分の辛い気持ちって自分の中できちんと消化しないと人はいつまでも引きずってしまったりするんですよ。それは忘れない方がいいかもしれません。でも、一度でも深く落ち込んでその辛さを味わう事が出来れば、意外とすんなり割り切って次に進んでいけたりもするんです。だから期間を決めて落ち込むってのはアリだと思うんです。で、その期間の間は自分に好きなだけ落ち込む事を許してあげて下さい。

で、その時にもう1つ忘れないでいて欲しいのが、自分をちょっと忙しくするって事なんです。まぁ基本的に人があれこれ考えてしまう時ってのは自分が暇な時だったりします。で、未練がましくなってしまう時も、それについて考える時間があるから未練がましくなってしまったりするんです。でも、その時に自分にやる事があって忙しくしてたら、未練を持ってる余裕もなくなってその事を考えなくなったりするんです。で、そう言う事を続けていたら自然と諦められて次に向かって進んでいける様にもなったりするんです。まぁその忙しくする事が次のステップだったらきっと最高です。自分が未練がましくなってる時には、そんな風に何かで自分を忙しくするってのも意外と大事だったりするんです。認めたくないかもしれませんが、未練がましい時って自分に時間があって、その事ばっかり考えてる時だったりするんです。

まとめ
いかがだったでしょうか?誰だって自分の目の前でドアを閉められてしまったら、そのドアに固執して、それを開けようってするんじゃないかと思います。で、開かなければ開かないほど、未練がましくすがりついてしまったりもするんじゃないかと思います。でもね、そこでしつこくしてもいい事ってあんまりないと僕は思います。だからと言う訳じゃないですが、僕は、基本的には未練がましくなんてしない方がいいんじゃないかと思います。

それはなぜかと言うと、そのドアを閉めた相手ってのはもう既に次に進んでいたりするからです。だからどれだけそのドアを自分が開けたくても、開けて貰える事はなかったりするんです。そして、そんな所に未練がましく立ち尽くしてたら自分が次に進めなくなってしまうとも思います。大事な事はそこにとどまるのではなく、次に進んでいく事なんじゃないかと僕は思うんです。じゃあどうしたら未練がましくしないで済むかと言ったら、僕は、期間を決めて落ち込むだけ落ち込んで、後はちょっと自分を忙しくするって感じかな?って思います。次に進んでいく為には、その時の辛さを味わい尽くして自分の中で消化するって事がまず大事だと思います。そして、その事を考えすぎない様にする為にも僕は、暇を避けて忙しくしてしまうってのも大切な事だと思います。なんだかんだで未練がましくなってしまうのは自分が暇だったりするんです。

ゆーすけ
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