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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、自分が何かをやってる時にはそれに対する正解って知りたくないですか?まぁそりゃそうですよね。正解ってものがわかれば楽に生きれる感じがしますもんね。だって、正解さえわかれば後はそれに向かって突き進んでいけばいいだけですもんね。そんな風に思ってしまう気持ちはよくわかります。でもね、僕は、何かこれって言う1つの正解を探すってのはあまり意味がない事の様な気がします。
それはなぜかと言うと、この世に正解って無限にあると思うからです。特に今の時代はいろんな場所に正解ってあると思うんです。まぁ学校のテストみたいに正解が1つと決まっているのなら別ですが、人生における正解って1つと決まってる訳じゃないと僕は思います。なんとなく、1つの正解ってものがありそうな感じはしますが、僕は、そんな事は絶対にないと思っています。だからと言う訳じゃないですが、これからは正解は無限にあるんだと思って生きてみるといいんじゃないかと思います。そんな風に思いながら生きている方が、生きるのが楽になっていくんじゃないかと思うからです。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
正解が決まってると思ってしまうと、その正解を探す事が目的になってしまう
じゃあまずなぜ僕が、正解は無限にあるって思っていた方がいいと思ってるかと言うと、そんな風に思えずに、正解はもう既に決まってるって感じに思ってしまうと、その正解を探す事が人生の目的になってしまうと思うからです。でもね、僕は、そんな風に正解を探して生きるってなんか苦しい感じがしちゃうと思うんです。それだと自分の人生を生きてない感じがしてしまうからです。だって、そんな風に正解を探してる時って、きっと誰かの正解を探してるって感じですよね。他の人が喜びそうとか、他の人が羨ましがりそうとかって感じの答えを探して生きてるって感じですよね。そこには自分の意思とかってものがあまり反映されてない様な感じが僕にはしてしまうんです。もしかしたら多くの人は、そんな風に生きた方が楽だなんて思っているかもしれません。でも、僕には、そんな風には思えないんですよね。どちらかと言ったら、生きるのって苦しくなっていくだけなんじゃないかと思うんですよね。
だって、そう言う生き方って自分の気持ちに寄り添って生きてないですよね。他人の顔色をうかがって生きてるって感じですよね。まぁそうしていれば、周りからは喜ばれたり、怒られなかったりするのかもしれません。でも、自分の気持ちってそんな生き方で本当に満たされるんでしょうか?僕にはそんな風にはとても思えないんですよね。だからと言う訳じゃないですが、僕は、正解は無限にあると思って生きていって欲しいんです。そうすれば、他人や周りの正解ってものだけが答えじゃないし、それ以外にも正解ってあるんじゃないか?って少しは思える様になっていくんじゃないかと思うからです。本当にね、人生における正解って決まってる訳じゃないんですよ。正解は無限にあるんです。
自分が出した答えは全て自分にとっての正解
でもどうして人は、正解ってのはもう既に決まってるなんて感じに思って、その正解を探してしまったりするんでしょう?これに関して僕が思うのは、人は自分の答えに自信を持てなかったりするからなんじゃないかと思います。だから、どう言う訳だか、自分の答えは間違ってるって思ってしまうし、他の誰かの正解を探してしまったりするんじゃないかと思うんです。でもね、これは覚えていて欲しいのですが、自分が出した答えってのは、例えそれがどんなものであったとしても、全て自分にとっての正解なんですよ。特にその時の自分にとってはそれが正解なんですよ。後から振り返ってみたら、違う方を選んでいた方が良かったかな?なんて思う事も起こるかもしれません。でも、自分で出した答えは、その答えを出した時点では自分の正解ってのは間違いないんです。と言う事はですよ、言い方を変えれば、どんな答えだって正解だし、正解は無限にあるって言えなくもないと思いませんか?
でも、そんな事を言っても、他人の正解だって正解なんじゃないの?って思ったりもすると思います。でもね、それはその人にとっての正解であって、自分にとっての正解ではないって事がほとんどだったりするんです。だからこそ、僕は、どれだけ自分の答えに自信がなくても、他人の答えなんてものを探すのではなく、自分なりの答えを出していって欲しいと思うんです。だって、結局それが自分にとっての正解なんですから。そして、どんな答えを出したって、それは全て正解なんですから。正解は無限にあると思えば、そんな風に自分なりの答えってのを出していきやすくもなると思います。そんな意味からも、僕は、正解はもう決まっているなんて思わないで、正解は無限にあると思っていて欲しいし、そんな風に思いながら自分なりの答えを出していって欲しいと思っています。
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世の中は白黒で分けられるもんじゃない
そして、もう1つ忘れないでいて欲しい事は、この世の中って白黒できっちり分けられるもんじゃないって事です。きっと世の中が白黒できっちり分けられると思っていたりするから人はどこかにあるであろう1つの答えってものを探してしまったりするんじゃないかとも思います。でもね、そんな事はないんですよ。世の中そんなにきっちり分けられるもんじゃないんです。どちらかと言ったら、答えってのは白でもなく、黒でもなく、グレーな部分に集中していたりするもんなんです。で、いろんな色のグレーが正解だったりもするんです。だからこそ、正解って無限にあるって感じだったりすると思います。もうね、時代によって、場所によって、人によっても正解って違っているもんなんですよ。そして、正解ってものに関しては、それでいいんです。
それを逆に正解は1つしかないとかって思ってしまうから、苦しくなるし、自分以外のどこかにあるかもしれない正解ってものを探そうとしまったりするんですよ。で、結局そんな感じの答えは見つからないから、余計に苦しくなるし、さらに自信もなくなっていってしまうんじゃないかと思います。もうね、そんな風に正解はもう決まっていて、それはどこかにあるなんて思うのはやめていきましょう。それよりも、正解は無限にあるし、自分が出した答えは全て正解だし、正解は時代、場所、人によっても変わっていくもんだって思ってみて下さい。きっと自分なりの答えを出していく事が怖くなくなっていくはずです。そして、生きていくのが今より楽になっていくんじゃないかと僕は思っています。
まとめ
いかがだったでしょうか?誰だって正解って知りたいものなんじゃないかと思います。でも、そう言うものって簡単には見つからないってのも現実だったりすると思うんです。だって、正解って無限にあるんですから。これからはそんな風に思いながら生きていくといいんじゃないかと思います。
じゃあなんでそんな風に思いながら生きていく事が大事なんでしょう?それに関して僕が思うのは、正解が決まってると思ってしまったら、それを探す事が目的になってしまうと思うからです。それってきっと他人の顔色をうかがって他人の人生を生きる事につながってしまうと思います。だから、正解は決まり切ってるとなんて思わないで、正解は無限にあるって思っていて欲しいんです。でも、自分が出す答えに自信が持てないから人は正解を探してしまうってのもあると思います。でもね、自分が自分なりに出した答えって自分にとっての正解だったりするんです。特にその時の自分にとっては確実に正解です。だから、自分で正解を出していって欲しいんです。で、もう1つ忘れないでいて欲しいのは、この世の中って白黒簡単に分けれるもんでもないって事です。その中間のグレーな部分に沢山の答えってあったりするんです。だからこそ、僕は、正解は無限にあると思って生きていくのがいいのかな?って思っているんです。
ゆーすけ
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