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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、何かをする時に「なんとなく」って気持ちで始めてみたりしませんか?で、それに対してなんか罪悪感みたいなものを感じてしまったりしませんか?そんな風に思ってしまう気持ちはわかります。だって、そこには明確な理由って存在しない様な気がしてしまいますもんね。確かに何かをするのにわかりやすい理由ってのがあった方がいい気はします。でも、僕はその理由ってわかりやすいものである必要って別になかったりすると思うんです。
で、僕は、その「なんとなく」って理由でいいと思うんです。確かにそこには、わかりやすさはないと思います。もの凄くモヤっとしてるとは思います。でも、きっとね、自分なりに言葉には出来ないけど、それをやった方がいいんだとか、それをやりたいとかって言う感じの何かが心の中に引っかかっていたりすると思うんです。でね、僕は、その心の中にあるボヤっとした何かってちゃんとした理由として考えていいんじゃないかと思うんです。だから、もし自分が何かをやろうとしてたりする時に「なんとなく」やった方がいいなって思ったとしたら、それは迷わずやってみる様にしてみて下さい。きっとやっておいて良かったなって思うんじゃないかと思います。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
「なんとなく」は自分のこれまでの経験が伝えている何かしらのサイン
じゃあまずなぜ僕が、「なんとなく」ってのを理由として考えていいと思ってるかと言うと、その「なんとなく」ってのは、自分のこれまでの経験が伝えてくれている何かしらかのサインだったりすると思うからです。これってちょっと直感とか、違和感とかってものに似てますよね。そうなんです。「なんとなく」ってそんな感じのものなんです。でね、これはどう言う訳だかわからないのですが、「なんとなく」って思ってるものって正しかったりするんです。だから、その「なんとなく」って感覚に従っていてほぼ間違いなかったりするんです。なので、僕はそれを理由としていいんじゃないかと思うんです。
じゃあなんでもっと明確な形で現れてくれないの?って思ったりすると思います。まぁ確かにそうなんです。もっと明確な形で現れてくれた方がそれに従いやすくなるとは思うんです。でもね、きっと自分でもなぜそんな風に思ってるかって噛み砕けてないんだと思います。でもだからと言って、それを放っておく訳にも出来ずに「なんとなく」って形で自分の中に浮かんできているんだと思うんです。だからこそ、僕は、それに従っていった方がいいと思うんです。確かに筋道は立ってないのかもしれません。でも、自分の中でいろんな理由が点として存在してるんだと思います。それがまだつながってなかったりするからボヤっとしてるんだと思います。でもだからと言って、それが理由にならない理由もないんです。そんな意味からも、僕は、「なんとなく」って理由ととらえてもいいんじゃないかと思っているんです。
「なんとなく」を理由にしなかったら結局何も出来ない
で、次に僕が「なんとなく」を理由としていいと思っているのは、逆に「なんとなく」を理由にしなかったとしたら結局何も出来ないまま終わってしまうと思うからです。これはもしかしたら多くの人が気がついている事かもしれませんが、何かをやろうとしていたり、何かをやる時に明確な理由ってものが備わってる時ってそこまで多くなかったりするんです。確かに何かをやる時には自分なりの理由って持っていたりするとは思います。でも、それが完璧に筋道が通っていて納得出来る理由だって事はあんまりなかったりするんじゃないかと思うんです。これは僕の感覚なのですが、大抵の場合は、どこかの段階に「なんとなく」って言うボヤッとしたものが混じってくるんじゃないかと思います。
だからと言う訳じゃないですが、その「なんとなく」を自分が理由として認めなかったら、それこそ何も出来ないんじゃないかと思います。なんかちょっと悲しく聞こえるかもしれませんが、何をやろうとしてる時に、それに対する理由が全てはっきりしてる事なんてほとんどないんですよ。だからこそ、「なんとなく」を理由としてしてしまってもいいんじゃないかと僕は思います。てか、それを理由としなかったら何も始まらないんです。だから、もしかしたら納得出来ないかもしれませんが、僕は、「なんとなく」って自分の頭の中に浮かんだから、それは案外明確な理由かもしれないって思ってみる様にしてみるといいんじゃないかと思います。で、「なんとなく」に罪悪感なんて感じずにそのやろうとしてる事をやってみて下さい。そこでやらなかったら、何も出来ません。明確な理由なんてものにそこまでこだわる必要なんてないじゃないかと僕は思います。意外に思うかもしれませんが、理由なんてものは「なんとなく」で十分だったりするんです。
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理由なんてものは後から見つけていけばいい
でもそれでもやっぱり理由がないとなんかスッキリしないし、動けないって方も出てくるとは思います。だからこそ、「なんとなく」なんかじゃ動けないって方もいらっしゃるとは思うんです。まぁその気持ちも分からなくはないです。でもね、もうそれだったら、理由は後付けしてしまえばいいんじゃないでしょうか。理由を探す事で動けないんだったら、まずはそんなものは忘れて動いてしまえばいいと僕は思うんです。てか、動かなかったら何も始まりません。だからこそ、理由なんてもにこだわらずに動くんですよ。で、その時に助けになってくれるのが「なんとなく」って言葉だったりするんじゃないでしょうか。とりあえずそれを理由に動いてみるってのはどうでしょうか。僕には、それがいい様な気がします。
で、理由なんてものは、動き始めてから考えればいいんですよ。で、それでも見つからないのなら、終わってから考えればいいんですよ。それでも見つからなかったら「なんとなく」のままでいいんですよ(笑)。確かに理由はあった方がいいかもしれません。でもね、それよりも動く事のが大事だったりするんです。もし明確な理由がなくて動けないんだったら、そんなものにとらわれない方がいいと僕は思います。で、その時には「なんとなく」を理由として使ってしまいましょう。てか、僕の顔に免じてその様にしてみて下さい。きっと「なんとなく」でやっておいて良かったと思うと思います。本当に大事な事は動くって事だからです。結局理由なんてなんでもよかったりするものなんですよ。
まとめ
いかがだったでしょうか?何かをやる時に「なんとなく」って理由しか思い浮かばないなんて事もあったりすると思います。で、そんな時には、それを理由にしてる事に罪悪感なんてものを持ってしまったりもするんじゃないでしょうか。だから、結局動けないなんて事もあったりするんじゃないかと思います。もうねそれだったら、「なんとなく」を理由にしてしまっていいんじゃないかと僕は思います。
それはなぜかと言うと、「なんとなく」って言うのはこれまでの自分の経験から自分に伝えようとしてる何かしらかのサインだったりするからです。自分的にはそこに明確な理由を感じないかもしれませんが、その「なんとなく」って結構信じていいものだったりすると思います。だって、自分が自分に損になる様なサインを自分に送る事なんて基本はないと思うからです。で、その「なんとなく」ってものに従わなければ、人は何も出来ないまま終わってしまう可能性があります。だって、大抵の事には、これと言った明確な理由なんてなかったりするからです。でも、それでも何かをやる時に理由が欲しいのだったとしたら、僕は、そんなもの後からつけてしまえばいいんじゃないかと思います。理由なんてものはなんでもいいんですよ。「なんとなく」で本当に十分だったりするんです。
ゆーすけ
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