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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、自分は偏見ってものを持っていると思いますか?まぁこれに関しては、ほとんどの人が「そんなものは基本的には持ってない」って思っていたりすると思うんです。そして、そんなものは可能であれば持ちたくないって事も思っていたりすると思うんです。でもね、これは非常に悲しい事かもしれませんが、人って何かしらかの偏見って持っていたりすると思うんです。例えば、なになに人はこんな感じの人が多いとか、男の人はこうとか、女の人はこうとかってあると思うんです。まぁこんな風に言われれば、確かにそうかもなって思いますよね。
そんな感じなので、僕は、誰もが偏見を持ってしまうのはしょうがないと思うんです。だって、ある程度そんな風に周りから聞かされて育ってきていたりするからです。でもね、この偏見って結構厄介だったりするんです。こう言うものにこだわり過ぎているとあんまり自分にとっていい事ってないんじゃないかと思います。だからと言う訳じゃないですが、僕は、可能な限り偏見ってものは捨てていった方がいいと思います。まぁ全くゼロにする事ってのは出来ないかもしれません。でも、意識して減らしていく事は可能なんじゃないかと思います。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
偏見を持っていると自分を特別な存在だと思ってしまう
ではまずなぜ僕が偏見ってものを可能な限り捨てていった方がいいと思っているかと言うと、偏見があると自分の事を特別な存在だと思ってしまったりするんじゃないかと思うからなんです。まぁこれに関してはちょっとわかりにくいかもしれませんが、僕は、基本的に人が誰かに偏見を持つ時ってなんとなく相手に対して見下してる感じの気持ちがあったりすると思うんです。これは僕の感覚でしかないので、100%それが正しいとは思いませんが、他の人を偏見の目で見てる時ってそんな感じで相手の事をちょっと小バカにしてるってのがあったりすると思うんです。きっとなんとなくはわかって頂けるんじゃないかと思います。
でもだからと言って、自分自身の事を偏見を持ってみる人はいなくて、自分はこれと言った特徴はないフラットな存在だなんて思っていたりもすると思うんです。それかもしくは、自分が属しているグループに対する周りからの偏見の外に自分は存在してるって思っていたりするんです。なので、僕は、周りに対していろんな偏見を持つ様になると、自分の事を特別視し始めてしまうんじゃないかと思うんです。まぁそうなる気持ちもわからなくはないですが、大抵の場合自分って別に特別な存在でもなんでもないんですよ。で、そんな風にして、調子に乗っていたら周りから足をすくわれます。もうね、そんな風に自分を特別となんて思ってはいけないんですよ。そうならずに常に自分が謙虚でいられる様になる為には、周りに対する偏見ってものは捨ててしまうといいんじゃないかと僕は思います。人をグループ分けしたりする必要なんてないんですよ。
偏見を持っていると他人の事を誤解してしまう
で、次に僕が偏見は出来るだけ手放していった方がいいと思うのは、そう言うものを持ってしまっていると、人は他人の事を誤解して理解してしまう事にもなりかねないと思うからです。そりゃそうですよね。最初の段階で、この人はこんな感じなのかな?って言う情報が自分の中にインプットされてしまっているんですから。で、人は、必ず自分の思考に引っ張られます。どれだけ引っ張られない様にしても引っ張られてしまうんです。そして、必ずと言っていいほど、その人に対する見方ってものを自分の思い描いている姿(もしくは、偏見)ってものに近づけていってしまうんです。だって、自分が思ってるものと、自分が見てるものが違っていたら気持ち悪いと思ってしまうからです。じゃあ自分の思考の方を寄せていけよって思うかもしれませんが、大抵の場合そんな風にはなりません。自分が見てるものをねじ曲げて自分の思考に合わせようとしてしまうものなんです。
だからと言う訳じゃないですが、僕は、やっぱり偏見って可能な限り減らしていった方がいいと思うんです。他人の事は、その人がどんなカテゴリーに属していたとしても、その人自身として見る様にしていくって心掛けておく事が必要だと思います。じゃないと本当に自分が抱えている偏見ってものに引っ張られてしまうからです。で、誤解したままその人の事を見ていたら、きっと相手は嫌な気分になるはずです。あるグループに属しているからってみんながみんな同じ訳じゃないんです。そのグループにいる他の人と全く別の性質を持ってるなんて事もあるんです。そう言う事を見誤ったりしない為にも偏見は捨てる様にして下さい。少なくとも他人を見る時には、自分は偏見に引っ張られてないかって事を気にする様にしてみて下さい。人の事はありのままの姿で見るって事はとても重要です。
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偏見を持っていると人から信用されなくなる
そして、もう1つ僕が偏見は出来るだけ手放していった方がいいと思ってる理由として挙げておきたいのは、そんなものを持っていたら人から信用されなくなるって事があると思うんです。まぁ皆さんも自分の周りにいる偏見の塊みたいな人の事をちょっと思い描いてみて下さい。皆さんだったら、その人の事を無条件で信用する事って出来ますか?きっとそんな事ないですよね。どちらかと言ったら、この人の側に言ったら何を言われるかわからないからって感じで警戒してしまったりするんじゃないでしょうか。まぁ僕だったら少なくともそんな風にしてその人の事は信用しないし、心は許さない様にしますね。だって、何を言っても、何をしても、こちらの事を本来の姿で見てはくれないんですから。出来るだけお近づきにならない様にして当たり障りのない関係性を築いていくって感じになると思います。てか、そんな人とは関係自体を持たない様にするかもしれません。
そんな意味からも、僕は、相手をこんな人だって決めつけていくのはやめていった方がいいと思います。それに関しては、以前からよく知ってる人であっても出来る限りなくしていくといいんじゃないかと思うんです。それはなぜかと言うと、人は変わっていくからです。以前は嫌な感じだったかもしれませんが、今は良い人間になってるかもしれません。その逆もあるかもしれません。そこで偏見にとらわれてしまったら、先ほども言った様に相手を誤解してしまいますし、自分の事も誤解されてしまう事になってしまうと思います。だからと言う訳じゃないですが、僕は、やっぱり自分が持ってる偏見ってものは出来る限り手放していった方がいいと思っています。ゼロにする事は出来なくても、減らしていく努力ってのは続けていく様にしてみて下さい。
まとめ
いかがだったでしょうか?自分は偏見なんて持ってないって多くの人が思っていたりすると思います。でも、悲しい様ですが、誰だって偏見って持ち合わせてしまってるものなんです。でもだからと言って、そのままでいいって事はなくて、僕は、可能な限り偏見ってものは捨てていく様にしていく方がいいんじゃないかと思っています。
それはなぜかと言うと、偏見を持ってると人は、自分の事を特別な存在だと思ってしまう様になってしまうと思うからです。だって、他人に対して偏見を持ってる時って大抵の場合、その他人を見下してる事が多いと思うからです。そして、偏見を持ってると、他人の事を誤解して理解してしまう事にもなりかねません。なので、そう言うものは出来るだけ手放して他人の事はその人自身として見る様にしていった方がいいと思います。それに加えて、そんな風に偏見を持ち続けていたら、僕は、誰からも信用されなくなってしまうとも思います。偏見を持っていたら、自分は他人を誤解してしまうし、他人が自分を誤解してしまう事になりかねません。だからと言う訳じゃないですが、僕は、可能な限り偏見ってものは手放していった方がいいんじゃないかと思っているんです。
ゆーすけ
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