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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、他人の間違いってものに対して寛容でいる事って出来てますか?まぁこれって難しいですよね。その間違いが大したものでなければ寛容でいられるかもしれませんが、むちゃくちゃヤバいミスとかだったら許せないかもしれませんもんね。てか、そんなデカいミスは基本的に許せないってのが現実だったりするんじゃないかと思います。そう思ってしまう気持ちってよくわかります。だって、誰かが間違いを犯したらめんどくさいですもんね。何事もなくスムーズにいって欲しいですよね。
でもね、僕は、間違いの大きさに関係なく人の間違いってものには出来るだけ寛容でいて欲しいと思うんです。まぁ同じ様なケアレスミスってのが何回も何回も続くってのにまで寛容でいろとはいいません。そこには注意をしたりする必要はあるとは思います。でも、基本的には人の間違いには寛容でいるって言う心構えでいて欲しいんです。で、その為には、僕は、人は間違えるって言う前提で生きていくといいんじゃないかな?って思います。そんな風に生きてる方が僕は、長い目で見たら結果として間違いってのは減っていく様な気がしています。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
間違いに怒った所でその間違いがなかった事になる訳じゃない
じゃあなぜまず僕が、人は間違えると言う前提で生きて、人の間違いに寛容でいた方がいいと思ってるかと言うと、寛容になれずにその間違いに怒った所で、その間違いが消えてなくなる訳じゃないからです。もしね、その間違いにキレまくっていれば、その間違いがなかった事になったり、間違い自体が自分で勝手に修正していってくれるのであればキレまくってもいいのかもしれません。でも、基本的にはそんな事は絶対にないですよね。間違いはそのまま残るし、何もしなければその間違いはそのまま放置されるだけですよね。まぁそんなのわかってるけど怒りたくもなるんだよっておっしゃりたくなる気持ちもわかります。でもね、そこで寛容になれずに怒ったとしても状況がよくなる事って、僕は、ないとも思うんです。ただただ間違いを犯した人が萎縮するだけだと思います。で、その萎縮した相手を見れば自分の気持ちはちょっとだけスカッとするのかもしれません。でもね、キレた事でプラスになるのってそれぐらいのもんなんです。
でも、そこでキレなかったら相手がまた同じ間違いを犯すでしょ。だから指導すると言う意味でもキレるんだよっておっしゃる方も出てくるとは思います。でも、自分が逆の立場になった場面を想像してみて下さい。自分が間違いを犯した時に誰かにキレられたとして、次から気をつけようとなんて思いますか?表面上は反省してる様に見せても、きっと心の中では「わざとやった訳じゃない」とか、「うるせーな」とかって感じにしか思ってなかったりするんじゃないでしょうか(笑)。で、いずれそんな事忘れていってしまうんじゃないかと思います。でも逆に、大きなミスであったとしても、怒られる事なくそれを周りが受け入れてくれたらどうでしょう?自分の中に申し訳なさが生まれて、次からは間違えない様にしようと心がけるでしょうし、そのミスの事はいつまでも忘れないんじゃないでしょうか。まぁそんな意味からも、僕は、出来るだけ人の間違いってものには出来るだけ寛容でいるって事が大切なんじゃないかな?って思っているんです。
間違えない事より、間違えた後をどうするかが大事
それでもやっぱり物事が計画通りに進まないって事をどうやっても受け入れる事が出来ないって方も沢山いらっしゃると思うんです。だからこそ、間違いが起きるとそこに怒ってしまうんだと思うんです。でね、これは僕の勝手な想像なのですが、僕は、そう言う人って間違いが起こらないって言う前提の元に人生を生きてたりするんじゃないかと思います。だからこそ、物事が計画通りに進まない事が許せないんじゃないかと思います。でもね、そこで自分の前提を変えてみて下さい。間違いは基本的に起こるものなんだ、と。人は間違えるものなんだ、と。まぁ動きをプログラムされてる機械とかなら間違いってあまり起こらないとは思いますが、我々は人間なんですよ。そりゃ誰だって間違いの1つや2つは起こしますよ。
でね、ここで忘れないでいて欲しいのは、間違えないって事だけが大事な訳じゃないって事なんです。僕は、それよりも大事な事ってのは、間違いが起きた後にそれをどう処理するかって事なんじゃないかと思っています。要は、トラブルシューティングが重要って感じです。これは、どやっても機械には出来ません。だって、どんな間違いが起こるかなんて事を全て想定してプログラムしておく事なんて到底不可能だと思うからです。で、このトラブルシュートが上手くいけば当初の計画よりいい結果が出るなんて事も起こり得る訳なんです。皆さんも、これまでの大発見って大失敗からのリカバリーで生まれてるなんて事を聞いた事があると思います。なので、僕は、人は間違えるって言う前提を持ちながら何事も進めていくって事が大事かな?って思います。そして、間違いが起こってトラブルシュートをしなくちゃならくなった様な時には、それを楽しめるぐらいの心の余裕は持っているといいんじゃないかと思います。だって物事なんて基本的には計画通りには進まないし、人はどうやっても間違える生き物なんですから。そこでカリカリしたって物事はどうにもならなかったりするんです。
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間違えたって意外となんとかなる
で、もう1つ僕が、人は間違える前提でいて、人の間違いに寛容でいてもいいと思ってるかと言うと、結局ね大抵の間違いはなんとかなると思ってるからなんです。まぁその間違いが直接命に関わる様なものは別です。そう言うものは何度も実験を繰り返して可能な限り間違いを先に洗い出すって作業は必要ですし、間違いをなるべく起こさない様にしていった方がいいとは思います。まぁこれも間違いは起きると言う前提で動いているって事には他ならないとは思いますが。まぁこんな感じで間違いを起こさない様にする事はもちろん大切です。でもね、ぶっちゃけた話、それでも間違いって起こるものなんです。もうね、これは我々が人間でいる限りは絶対に避けれられない事なんじゃないかと僕は思います。
でね、これも忘れないでいて欲しいのですが、人はその間違いからいろんな事を学ぶって事なんです。と言うよりも、間違える事がなければ人はあまり学ばないって感じかもしれません。間違えなくても学ぶ事がないとは言いませんが、間違いから学ぶ事の方が遥かに多かったりします。でね、もし間違えたってなんとかなるんだったら、別にその間違いを必要以上に問い詰めたりしなくても僕はいいのかな?って思うんです。だって、何度も繰り返しますが、人は間違えるんですから。そしてそこから何かを学んでいけばいいだけなんですよ。そんな感じに思っていりゃ、僕は、人が間違ってもそこまでイライラしないで済むのかな?って思っていたりするんです。
まとめ
いかがだったでしょうか?人の間違いに対して寛容でいるって大事な事だと思っているとは思うのですが、なかなか出来ない事だったりすると思います。僕は、そうする為には、基本的に人は間違うものなんだって言う前提の元に生きていくといいのかな?って思っています。
それはなぜかと言うと、誰かが犯した間違いに怒ればそれがなかった事になるなんて事は絶対にないからです。怒った所でなかった事になる訳でも、問題が勝手に解決する事も絶対にないんです。もうね、だからこそ、間違いが起きるって事に怒ってもしょうがないんですよ。それよりも大事な事は、間違いが起きた後にそれをどう処理するかって事だと僕は思います。そんな感じの気持ちを持つ為にも、僕は、間違いってのは起こる前提でいるといいんじゃないかと思うんです。で、結局間違いってのは、起こった所で案外なんとかなったりするものなんです。だからこそ、そんなものにカリカリするのではなく、可能な限り寛容でいるって事が大事かな?って僕は思います。その方が間違いって少なくなっていく様な気がしています。
ゆーすけ
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