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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、自分の周りにいる人に素晴らしい人生を生きて欲しいなって感じの事を思ったりしますか?そう言う人が自分の大切な人だったりするのならなおさらなんじゃないかと思います。誰だって自分の大切な人には素晴らしい人生を送って貰いたいと思うものなんじゃないかと思います。例えば、僕だって自分の子たちや、教え子たちなんかには素晴らしい人生を送って貰いたいと思っています。

で、皆さんだったら、自分の周りの大切な人に素晴らしい人生を生きて欲しいとしたら、その人たちにどんな事をしてあげようと思ったりしますか?これは、僕の勝手な予想なのですが、なんとなくそう言う人たちをある方向に導こうとなんて感じの事をしてしまったりするんじゃないでしょうか?で、きっと多くの人は、そう言う事って周りにいる人が助けてあげなきゃいけない事なんだってぐらいに思っていたりするんじゃないかと思います。そりゃその人が素晴らしい人生を生きる道へ導く事が出来たら相手も喜んでくれるし、自分も嬉しいですもんね。でもそれって本当の事なんでしょうか?僕にはぶっちゃけそんな風には思えないんです。導いた方は嬉しく思っても、導かれた方って嬉しくはなかったりするんじゃないかと思うんです。だからと言う訳じゃないですが、僕は、人の事を無理やりある方向に導いたりするのって可能な限りしない方がいいんじゃないのかな?って思うんです。

ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
人を無理やり導いてしまったら、その人の可能性を狭める事になる
ではまずなぜ僕がそこまで、人の事をある方向に導く事はやめた方がいいと思ってるかと言うと、人を無理やりにある方向に導いてしまったとしたら、その人の可能性が狭まってしまうと思うからなんです。だって、冷静になってよーく考えてみて下さい。きっとその自分が導きたいと思ってる人の目の前には無限の可能性が広がってるはずなんです。そして、おそらく目の前には何百とも言える道が続いてるはずなんです。でも、導こうとしてるこちらとしては、その自分が導こうとしてる相手が自分で選んで自分の進みたい道に進んでいく事をあまり快くは思ってはいませんよね。それに加えて、自分が進んで欲しい方向に進んでいった方がその人の為になると思っていますよね。だからこそ、その相手の事を導こうとしてたりするんですよね?と言う事はですよ、その人がいける道は沢山あるのに、そのほとんどをシャットアウトしてしまおうとしてるのと同じ事じゃないですか。これって相手の可能性を狭めていると思いませんか?

でもこんな事を言うと、それじゃあその人たちがおかしな方向に進もうとしてるのも見て見ぬふりをしろって事なのか?って感じの事を思われたりすると思います。まぁ僕は、そう言う事を言ってる訳じゃないんです。それだと話がちょっとすり替わっている様な気がします。確かに、世の中には進まない方がいい道ってのはあると思います。そう言う道に進まない様にしてあげるって事はもちろん大事だと思います。でもだからと言って、ある特定の方向にだけ無理やり導いていこうとするのはどうなのかな?って思うんです。僕にはそんな事をしても、結局は相手の素晴らしい人生にはあまりつながらないんじゃないのかな?って思ってしまうんです。

自分が導こうとしてる方向が相手にとっての素晴らしい方向なのかはわからない
でも、ある程度いい方向に導くんだから決して悪い事ではないんじゃない?って思ったりすると思うんです。と言うよりも、導く側ってのは、自分は相手に感謝されてもいいぐらいだって思っていたりすると思うんです。でもね、その自分が導こうとしてる道がその相手にとっての素晴らしい方向なのかってわからなかったりするんです。でも、自分が人を導こうとしてる時って、自分の経験から言って、自分が導く方向に進んだ方がその人の人生は素晴らしくなるはずだなんて感じの事を心の中で思っていたりしませんか?だからその方向をオススメしようとしてるんですよね。でもね、僕は、ここに大きな落とし穴があると思っているんです。だって、その自分の経験ってこの世にある全ての可能性を経験したものではないですよね。自分の数少ない経験から言ってる事だったりしますよね。

で、相手に対して素晴らしい道になるかもしれないって自分が自分の経験から勝手に思ってるってだけの事ですよね。もしくは、自分はその道が素晴らしそうだと思っていたけど、何かの都合でその道には進めなかったからその人には進んで欲しいなんて事を思っているからその人をその道に導こうとしてるなんて感じもあったりするんじゃないでしょうか。で、そう言うものが本当にその人にとっての素晴らしい道になり得るんでしょうか?そんな可能性ってどれくらいあるんでしょうか?きっと多くの人は、自分の周りにいるんだから、自分と似たような方向性に進んでいけばきっと素晴らしい人生になるなんて事を思っていたりもするんじゃないかと思います。でも、僕は、正直言ってそうなる可能性の方が少ないと思っています。だって、人はみんな違う存在なんですから。いくら近しい人だからって素晴らしい人生に向かう方向性が似てるなんて事にはならないと僕は思います。だからこそ、自分が思うある特定の方向に誰かを導くってあんまりいい事ではないと思えてしまうんです。

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その人の進みたい方向へいける様に手助けをしてあげればいい
じゃあ結局自分の大切な人に素晴らしい人生を生きて貰いたいって思う時には自分はどの様にしていけばいいのでしょう?それに関して僕が思うのは、その人が進みたいと方向に進んでいける様に手助けをしてあげるって感じなのかな?って思います。まぁこれを導くって言うのであれば、人を導くって事にはなるのかもしれません。でも、この場合は無理やりに導いてる訳じゃないと思うんです。まぁ先ほども言った様にいかない方いい方向に進まない様にしてあげるって事ももちろん大切です。それももしかしたら導くって事なのかもしれません。でも、これも僕は、無理やりに自分の進んで貰いたい方向に導いてる訳じゃないと思うんです。

やっぱりね、他人の人生はどこまでいっても他人の人生なんです。その人の人生を生きる訳じゃない自分が必要以上に介入するってのはあんまりいい事ではないと僕は思うんです。それって結局その人の人生を奪ってしまう事になると思います。例え過去の自分の人生で出来なかった事があったって他人の人生を使ってそれを達成しようとなんてしてはいけないんじゃないかと思います。どれだけ自分が素晴らしいと思うものがあったとしても、それを他人に押し付けちゃいけないんじゃないかと思います。もし、相手がそう言うものを自分から選んでくれたってのならそれは素晴らしい事だと思います。でも、その方向に無理やり導いていくってのは自分勝手が過ぎる様な気が僕にはしてしまうんです。

まとめ
いかがだったでしょうか?誰だって自分の周りにいる自分の大切な人には素晴らしい人生を生きて欲しいなんて事を思ったりすると思います。で、そんな風な事を思う時って、意外とその人たちを自分が思う素晴らしい方向とかに導こうと思ってしまったりすると思うんです。でも、僕は、そう言う事が必ずしもその人たちを素晴らしい人生に導いてくれるとは限らないと思うんです。そんな意味からも、人を無理やりある特定の方向に導くのって言うのはやめた方がいいのかな?って思っています。

それはなぜかと言うと、人をある特定の方向に導いてしまったとしたら、その人の可能性ってものを狭めてしまう事になってしまうと思うからです。だって誰にだって基本的には無限の可能性があるはずです。でもそれなのに、その人をある方向に導いてしまったら、その方向以外の可能性を奪い取ってしまう事にもなると僕は思うんです。そして、その自分がその人にとって素晴らしい方向だと思って導いている方向が本当にその人にとっても素晴らしい方向なのかって事はわからなかったりもするんです。だからこそ、僕は、他人を無理やり導くのってのはもうやめて、その人が進みたい方向へ進める様に手助けをするって感じに切り替えていくのがいいんじゃないかと思っています。

ゆーすけ
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