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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、自分が辛かったりする時に「あれ?この人自分に手を差し伸べてくれてる?」なんて思った事ってないですか?別に何かを強制する訳でも、むちゃくちゃこちらの事を助けようとしてくれても訳でもなくて、ただなんとなく「なんか自分をどこかに引っ張っていこうとしてれてるのかな?」って感じの人っていたりすると思うんです。まぁこれは僕の感覚でしかないので、曖昧でわかりにくいかもしれませんが、きっとそんな経験をした事がある人にはわかって頂けるんじゃないかと思います。
で、そう言うものに気が付いた事がある人に聞いてみたいのですが、その差し伸べられた手ってちゃんとつかみましたか?まぁこれに関してはなんとも言えないってのが実際だったりするんじゃないかと思います。自分が辛い時ってもう全てが嫌になるし、全てが信じられないしって感じで、その差し伸べられた手ってのも怪しく感じてしまいますもんね。でもね、僕は、そうやって自分が辛い時に差し伸べられた手ってのはつかんでみるといいんじゃないかと思います。まぁ別にこれは辛い時に限った事ではなく、僕は誰かが自分に手を差し伸べてきてくれたのなら、それは最初から拒否せずにつかんでみるってのは大事なのかな?って思っています。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
差し伸べられた手の先にはチャンスが眠っている事もある
ではまずなぜ僕が、差し伸べられた手ってのはつかんでみた方がいいと思ってるかと言うと、その差し伸べられた手の先にはチャンスが眠っている事があったりするからです。多くの人は、自分が辛かったりする時って、誰かが手を差し伸べてきてくれても、それはただ自分の辛い気持ちを慰めてくれてるだけだなんて思ってしまっていたりするんです。確かにそう言う意味合いで手を差し伸べるって事は多いとは思います。でも、ここでちょっと自分が逆の立場になった時の事を考えてみて下さい。誰かに手を差し伸べてる時って、本当にただ相手の事を慰めたいってだけですか?おそらく全ての状況でそんな事をする訳じゃないとは思いますが、誰かに手を差し伸べる時ってその人の事をいい状態に引き上げてあげようなんて気持ちもあったりするんじゃないかと思います。だから、手を差し伸べたりするんじゃないでしょうか。
で、そんな時って、その人のプラスになる様な提案をしてみたり、その人の将来の助けになる様なものを紹介してみたりなんて事をしたりもするんじゃないでしょうか。例えば、新たな仕事を紹介してあげるとか、誰かと引き合わせてあげるとかなんて感じに。まぁ必ずとは言いませんが、僕は、人が困ってる人とか、辛い状況に追い込まれているなんて時には、手を差し伸べる側もその人に良い状況に戻って欲しいなんて思っていたりはすると思うんです。だからこそ、ただ手を差し伸べるだけじゃなくて、そこには何かしらかのエクストラがついていたりすると思うんです。そんな感じなので、僕は、差し伸べられた手ってのはつかんでみるといいんじゃないかと思っています。まぁだからと言って、そう言うものを必ず期待するってのはいい事ではないとは思います。でも、相手がこちらの事を思って、プラスエクストラで手を差し伸べてくれている確率って案外高たったりするんじゃないかと思っています。
差し伸べられた手はずーっとそこにある訳じゃない
でもなんで差し伸べられた手はつかんでみた方がいいのでしょう?怪しい場合もあるので良く検討してからの方がいいんじゃないの?って思ったりするとは思います。確かにそれはそうなんです。本当に怪しい手ってのは沢山あったりするんです。で、時には騙されてしまうなんて事もある事はあると思います。でもだからと言って、全てが全て胡散臭いって訳でもないと思うんです。そして、ここで忘れないでいて欲しい事は、そうやって差し伸べられた手ってのは永遠にそこにある訳じゃないって事です。確かに誰かが目の前で困っていたら多くの人は何かしらかの手を差し伸べてあげたりすると思います。でも、それを相手がつかんでくれなかったらどうでしょう?その人がつかんでくれるまでいつまでもその手を差し伸べ続けますか?まぁ中にはそんな感じのスーパー優しい人もいるでしょう。でも、大抵の場合は、差し伸べた手をつかんでくれなかったら、相手にはこの手は必要ないんだなって感じで引っ込めてしまうんじゃないかと思います。
だからこそ、僕は、差し伸べられた手ってのはつかんでみるといいんじゃないかと思っています。で、差し伸べられた手ってのは相手が引っ込めてしまったら、基本的にはもう2度と同じ手ってのは差し伸べてくれる事はないと思っていた方がいいと思います。で、その手がなくなってしまってから、「あーあの時つかんでおけばよかった」って感じに後悔しても遅いと僕は思います。もうね、大抵の場合、誰かが手を差し伸べてくれてる時って自分の状況が上手くいってない時だったりするんです。もしそうなんだとしたら、自分の状況を変える為にも何かしらの変化を起こしてみるって大事な事なんじゃないかと思います。そう言うものは自分の中から起こす必要もあるかもしれません。でも、時には、誰かが手を差し伸べてくれて自分の状況を変えてくれるなんて事もあったりするんです。そんな意味からも僕は、差し伸べられた手ってのはつかんでみるといいんじゃないかと思います。
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差し伸べられた手をつかんでみて上手くいかなければ離せばいい
でも、それでもやっぱり、怪しいものとか、自分をさらに悪い状況に導いてしまうものとかってのもあるんじゃないかと思ってなかなか差し出された手をつかみにいけないって人もいらっしゃるとは思います。確かにそんな風に思ってしまう気持ちってわかるんです。今の状況が辛いのに手をつかんでさらに辛くなったら目も当てられないですもんね。でもね、差し伸べられた手って1回つかんでしまったらそれを永遠につかんでなくちゃいけないってもんでもないんです。差し伸べられた手ってものはつかんでそれが上手くいかないのなら、その時点で離したっていいんです。で、差し伸べられた手ってものが自分にとって良いものになるのか、悪いものになるのかって結局は自分がつかんでみないとわからないってのが実際だったりするんです。だからやっぱり僕は、差し伸べられた手ってのはつかんでみた方がいいと思っているんです。
で、そんな風にあれもこれもつかんでみていればいずれ本当に自分をどこか違う世界に引き上げてくれる手ってものに出会えますし、そう言う経験を沢山踏んでいけば、どれが本当に自分にとって良い手なのか、悪いてなのかって事も朧げながらでもわかっていく様になるんじゃないかと思います。まぁ確かに差し伸べられた手をつかまなければ怪しい手をつかんでしまう危険もないかもしれません。でも、つかまなかったら状況は変わらないかもしれないし、大事なチャンスを逃してしまうかもしれません。だからと言う訳じゃないですが、僕は、差し伸べられた手ってのはつかんでみるといいんじゃないかと思っています。つかむ前にあれこれ考えるんじゃなくて、つかんでから考えるってのもアリなんじゃないかと僕は思っています。
まとめ
いかがだったでしょうか?自分が辛かったりする時には、どう言う訳だか誰かが自分に手を差し伸べてきてくれたりすると思います。でも、多くの人はそう言うものをつかまずに流してしまっていたりもすると思うんです。でも、僕は、差し伸べられた手ってのはつかんでみるといいんじゃないかな?って思っています。
それはなぜかと言うと、差し伸べられた手の先にはチャンスが案外眠っていたりするからです。差し伸べる方が大抵の場合、その目の前にいる困っている人を良い状況にしてあげたいと思って手を差し伸べている場合が多いので、自分にとってのチャンスとともに手を差し伸べてくれたりするんです。で、残念ながら、そう言う差し伸べられた手ってのは永遠にそこにある訳でもありません。差し出された方がそれをつかまなかったら差し出した方はすぐに引っ込めてしまうかもしれないんです。だからこそ、僕は、誰かが自分に手を差し伸べてくれたのならつかんでみるといいんじゃないかと思っています。でも、そう言うものが全て自分の為になるかって言ったらそんな事はなくて、時に自分にとって悪いものになってしまう事もあると思います。で、そんな風になってしまった時には、その場で離していけばいいんじゃないかと思います。差し伸べられた手をつかんだからってそれを永遠につかんでいかなきゃいけないってもんでもないんです。それは忘れないでいて下さい。
ゆーすけ
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