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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、人生で落ち込む事って必要だと思いますか?まぁ誰だって落ち込む事はしたくはないけど、きっとその落ち込みには意味があるんだろうなって感じの事を思いながら生きていたりするんじゃないかと思います。てか、そうとでも思ってなきゃやってられないってのが実際の所だったりするんじゃないでしょうか(笑)?まぁ本当の心の奥底では、落ち込む事なんていらないよって思ってたりもするんじゃないかと思います。
でもね、僕は、それでもやっぱり人生には落ち込む事って必要なんじゃないかと思います。そう言うものがなければ結局の所人生が楽しくなる事もないと思うからです。何となく矛盾している様に感じるかもしれませんが、楽しい人生を生きたいなら落ち込む時ってのはどうしても必要だと僕は思います。でも、それでもやっぱり落ち込むのは辛いって思う方がいるのだとしたら、今の落ち込みが深いほど次の喜びは大きくなるって思ってみるといいんじゃないかと僕は思うんです。これで落ち込む事を歓迎出来る様になる事はないかとは思います。でも、落ち込む事をそこまで拒絶しないでいるって事も出来たりするんじゃないでしょうか。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
人生に対してどう感じるかは相対的なもの
ではなぜ僕が、落ち込む事は人生を楽しむ為に必要なものだと思ってるかと言うと、自分が人生に対してどの様に感じるかって相対的なものだと思うからなんです。それはどう言う事かと言うと、悲しい、辛い、嬉しい、楽しいとかって言うのは、何かと比較しているからそう感じるって事なんじゃないかと僕は思うんです。でも、なんでそんな事が起きるかって言うと、ちょっと極端な考え方かもしれませんが、出来事ってのは単なる出来事でしかなくて、そこには悲しい出来事とか、楽しい出来事ってのはなくて、自分がただ単に感じているだけであって、それは何かとの比較があるから、悲しいとか、楽しいとかって感じてるって事なんじゃないかとも思うんです。なんか禅問答みたいになってよくわからなくなってしまったかもしれませんが、僕にはそんな風に思えます。だって、同じ出来事に対しても人によってどうとらえるかって全然違ったりするからです。
だから、今起きている事を嬉しいって思える為には、それより以前のどこかの時点で何かしら落ち込んでいる必要があったりもするんです。例えば、今(一般的に美味しいと言われている)ケーキを食べたって感じの事を想像してみて下さい。で、これまで食べてきたケーキが今食べたケーキより美味しいものではなかったとしたら、そのケーキを食べた事でこれまでにない美味しさを感じる事が出来て凄く嬉しくなったりするんじゃないでしょうか?でも、逆に今食べたケーキも美味しいけど、これまで食べた中にもっと美味しいケーキがあったとしたらどうでしょう?なんとなくガッカリ感がどこかに生まれて、あのもの凄く美味しかったケーキを食べたいなんて事をちょっと思ってしまったりする事もあったりするんじゃないでしょうか?まぁこんな感じで人が物事に何を感じるかって相対的な部分が大きかったりするんです。なので、落ち込む事ってのも人生には案外必要だったりすると僕は思っています。
ギャップが大きければ大きいほど感じ方も大きくなる
では、次になぜ僕が、今の落ち込みが深ければ次の喜びは大きくなると思ってるかって言うと、高低のギャップが大きければ大きいほど次に起こった事に対する感じ方も大きくなると思うからです。この場合、落ち込むのを低い、喜ぶのを高いと想定してみましょう。で、先に落ち込んでいたとして、次に起こる喜びへの差が1の場合と、10の場合だとしたら、皆さんだったらどちらの方がより嬉しく感じると思いますか?きっと10の時ですよね。と言う事はですよ、落ち込みと喜びのギャップって大きいほど嬉しかったりするんです。まぁ逆を言えば、嬉しい所から落ち込む所へのギャップが大きくても、次の落ち込みが辛くなるってのはあるとは思いますが、まずここでは落ち込みから喜びの方向だけを考える様にしてみて下さい。落ち込みが深ければ深いほど次の喜びは大きくなるってのはこんな感じのメカニズムなんです。
だからこそ、僕は、落ち込む事をそこまで嫌いにならないで欲しいんです。そう言うものがあるから人生には嬉しい、楽しい時間がやってくるんです。しかも、自分の苦しみや辛さが大きければ大きいほど次にやってくる良い時間ってのは嬉しさも楽しさも倍増したりするもんなんです。これは忘れなでいて欲しいんです。そして、その逆で、今がとっても楽しい、とっても嬉しいって時には、あまり調子に乗り過ぎないって事も覚えておいていて下さい。先ほどもちょっと言った様に、上に上がるギャップが大きければ嬉しさ倍増かもしれませんが、下に下がるギャップが大き過ぎるとそれはそれで辛いものがあったりすると思うからです。でも、そんな心構えが先に出来ていれば、そこまでドヨーンとなり過ぎる事もないのかな?って僕は思っています。まぁ要は、いろんな事に一喜一憂しない方がいいんでない?って感じの事を言いたかったんです。
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落ち込みが激しいほどムフフと思えばいい
まぁそんな感じなので、僕は、自分の人生が落ち込んでいる時には、その落ち込みが激しいほどムフフと思って生きていくといいんじゃないかと思います。だって、その後にはほんの些細な事でも凄く嬉しい、凄く楽しいって感じる事が出来る様になると思うからです。まぁその渦中にいる時には全ての時間でそんな風に思える事はないとは思います。本気で自分の気持ちが苦しくなってしまう時はあるとは思います。でも、その中で、ほんの一瞬でもムフフとほくそ笑む事が出来れば、僕は、意外とその辛く苦しい時って乗り越えていけたりするんじゃないかと思います。だって、今自分が苦しんでいる事が後々の為になるって思える様になると思うからです。そうじゃなくて、この辛い事、苦しい事は永遠に続いてしまうって思ったりするから人は、そう言う状況に耐えられなくなってしまったりするんじゃないでしょうか?
なので、僕は、人生の流れは変わるし、必ず次はあると思って生きていくってのは大事だと思うんです。だって、そう思えなかったら、今の状況が永遠に続いてしまうって思い込んでしまう事になると思うからです。その時に助けになる考え方が、僕は、この「今の落ち込みが深いほど次の喜びは大きくなる」って感じなのかな?って思います。だって、こう思っている時点で流れは悪いものから良いものに変わるし、次はあるって思えているはずだからです。だからと言う訳じゃないですが、こんな感じで次に起こるであろう喜びってものをむふふと想像して待ってみる様にして下さい。きっと嬉しい事は自分の元にやってきてくれるはずです。
まとめ
いかがだったでしょうか?誰にだって落ち込む時ってあるんじゃないでしょうか?で、そんな時って嫌だなって思ったりするもんだったりするんじゃないかと思います。でも、僕は、人生には落ち込む時って絶対に必要だし、そう言うものがないと逆に楽しい人生って送れない様な気もしているんです。そんな感じなので、僕は、落ち込む事ってそこまで嫌いになって欲しくないし、落ち込む事が深いからこそ、次の喜びが大きくなるなんて感じに思っていて欲しいんです。
ではどうして落ち込む事が必要なのかって言ったら、自分が人生に対して何を感じるかって相対的なものであったりするからです。だから嬉しさや楽しさを感じる為には、どこかの時点で自分の人生が落ち込んでいたりする必要があると僕は思います。そして、その落ち込みが深ければ深いほど、次に起こるであろう良い事への感じ方も大きくなっていくんだと思います。なので、どれだけ辛い事や苦しい事が起きて落ち込んでいたとしても、それが深いほど次の喜びは大きくなるとムフフと思ってりゃいいんじゃないかと思います。そんな風に思える事が出来りゃ自分の落ち込んでる時間もなんとか乗り越えていける様になると僕は信じています。
ゆーすけ
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