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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、自分に何か悪い事が起きた時には、なになにの「せい」で上手くいかなかったんだ、なんて事を思ったりしませんか?まぁ自分に起きた出来事の責任は自分にあると思っていた方がいいとは言え、自分に起きた事の全てが自分だけで完結してる訳ではないと思います。だからこそ、周りとの兼ね合いみたいなものに言及したくなったりするんじゃないかと思うんです。

そう思う気持ちはわかります。で、悪い事が起きたら、自分以外のものに対して責任をなすりつけて、少しでも自分の責任ってものを回避したいって思ったりしますもんね。でもね、そんな事をしても自分の気持ちがちょっと晴れるぐらいのもんであんまりいい事ってない様な気がします。それに加えて、その気持ちが晴れるのはほんの一瞬です。だからと言う訳じゃないですが、僕は、自分に起きた事(それが良いものであるか、悪いものであるかは別として)に対して責任をなすりつける意味合いで、なになにの「せい」ってするのはやめた方がいいんじゃないかと思っています。もうね、どうせだったら、なになにの「おかげ」って感じに考え方を変えていくといいんじゃないかと思います。そうしている方がいろんな事が上手く回っていく様な気がします。

ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
なになにの「せい」と思っていたら自分は反省しない
ではまずなぜ僕が、自分に起きた事に対して、なになにの「せい」って思ったりしない方がいいと思っているのは、そうしてしまうと結局自分が反省する事はなくなってしまうと思うからです。上でもちょっと書いた様に、自分に起きている物事の全てが自分の責任って事はないとは思います。どんな事にも、自分以外の人やものってのが少なからず関わっていたりすると思うからです。で、それと同じ事で、自分に起きている物事にはどんな事でも自分の責任ってものはあるって事も僕は忘れないでいて欲しいんです。10対0の割合で自分以外が悪いなんて事は、自分に起きている事に関してはあり得ないと僕は思うんです。だからこそ、なになにの「せい」って全てを自分以外の何かに押し付けようとする姿勢はあんまりいいものではないと僕は思います。

でもだからと言って、そんな風に全ての事に自分の責任があるなんて思っていたら、自分の気持ちが持たないなんて事をおっしゃる方も出てくるかもしれません。確かにそう思う気持ちはわかるんです。でもだからと言って、僕は、それを重荷に感じて欲しいって事を思っている訳じゃないんです。確かに場合によっては、ほとんど自分の責任ではないって事もあるとは思います。でも、そんなものの中にも僕は、反省して次につなげていく為に学べる部分ってあると思うんです。そう言うものを見逃さない様にする為に、僕は、なになにの「せい」って思うのはやめた方がいいのかな?って思うんです。だって、それをしていたら、自分の責任を完全放棄して、周りを非難するだけになってしまうと思うからです。そんな感じなので、自分の成長の為には、なになにの「せい」って考えるのはやめていった方がいいと思っているんです。

「おかげ」をつければポジティブに考えざるを得なくなる
では次になぜ、自分に起きた出来事に対して「おかげ」なんて事を思わなきゃいけないんでしょう?自分に起きた出来事が悪いものであったりするなら、どうやったって「おかげ」なんて言う風には思う事なんて出来ないと思います。その気持ちはとてもよくわかります。でもだからこそ、僕は、そこで敢えて、なになにの「おかげ」って思う様にしてみて欲しいんです。それが出来る様になるとどうなるかって言うと、その後に出てくる思考がポジティブなものになってくると思うんです。皆さんももし良かったらやってみて下さい。「おかげ」をつけた後にネガティブな事を言うってなんかちょっと気持ちが悪い感じがしてしまうんじゃないかと思います。まぁこんな事を言うと、単に言葉遊びをしてるだけだって思うかもしれません。でもね、自分の気持ちをどんな方向に持っていくかなんて、それぐらいの感じでいいんじゃないかと思うんです。言葉を変えただけで、気持ちが前を向いていくのなら、それはそれで試してみる価値はあるんじゃないかとおもます。

まぁね、何か悪い事が起きた時に無理に前向きになろうとする必要はないとは思います。でもだからと言って、常にネガティブで後ろ向きってのもどうなのかな?って思うんです。で、そんな時には、多くの人は自分のネガティブをポジティブで蓋をするって感じなんじゃないかと思います。でもそんな事をしていたら、自分が感じているネガティブな感情の行き場がなくなってしまうと思うんです。だからこそ、これは良い事なんだと思い込むのではなく、なになにの「おかげ」ぐらいに思ってみるといいんじゃないかと思うんです。まぁこれは感覚の問題なので、全ての人に当てはまるとは思いませんが、そうする事でネガティブとポジティブが自分の中で共存出来る様になるし、しかもネガティブになり過ぎずちょっとだけポジティブな感じになれたりするんじゃないかとも思います。悪い事が起きた時に大事な事は、それをポジティブですり替えるんじゃなくても、ちょっとだけポジティブになるって感じなんじゃないかと僕は思っています。

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「おかげ」をつければ感謝の念も湧いてくる
そして、もう1つ僕が「おかげ」をつけていくといいと思っているのが、それをつける事でその出来事に感謝の念が生まれてくる様になるとも思うからです。まぁこれは先ほどのポジティブに考えられる事の続きみたいなものかもしれませんが、自分に起きた事に感謝の念を持つ事が出来るって事も自分をネガティブな所から引き出してくれる様になる様な気がします。まぁ悪い事が起きている渦中にいる時には、なかなかその事に感謝する事は出来ないかもしれません。でも、意外と後から振り返ってみたら、あの出来事があって良かったなんて思える事もあったりするんです。で、そんな風に思える様になる為には、僕は、自分に起きた出来事に対しては、「おかげ」と思うってのが有効なのかな?って思っていたりするんです。

で、そんな風に思う事が出来る様になれば、僕は、自分にとってどれだけ悪い出来事ってのが起きたとしても、それに対して腐ったり、ふてくされたりせずにその悪い出来事をなんとか乗り越えていこうって事も思える様になっていくんじゃないかと思います。だって、それはありがたい事になっていくんですから。でもそうではなくて、なになにの「せい」って感じに自分以外のものに責任を押し付けている様であるならば、僕は、腐って、ふてくされてそれを乗り越えていこうとなんて思わなくなるんじゃないかとも思うんです。だからこそ、ちょっとバカバカしく聞こえるかもしれませんが、僕は、 どれだけ自分に悪い事が起きたとしてもそれに対しては「おかげ」って言葉をつけていくといいんじゃないかと思っています。

まとめ
いかがだったでしょうか?自分に何か悪い事が起きた時なんかには、なになにの「せい」って思って自分の責任みたいなものを回避したいと思ったりするんじゃないでしょうか。そうしていれば、自分の気持ちはなんとなく保たれますもんね。でもね、そんな風に自分に起きた出来事を周りのせいにしていてもあんまりいい事ってないと思うんです。なので、僕は、どうせならなになにの「せい」ってするのではなく、なになにの「おかげ」って感じにしていくといいんじゃないかと思っています。

それはなぜかと言うと、そんな風に自分の責任逃れをする為になになにの「せい」って感じにばかりしていたら、自分は反省する事はなくなるし、それで自分が成長する事ってなくなっていくんじゃないかと思います。どれだけ納得がいかなくてももうそれは起きてしまった事なんです。どうせなら文句ばかり言うのではなく、自分の為にそれを使う方向で考えていってみるといいと僕は思います。で、次に、なになにの「せい」をなになにの「おかげ」って言う感じに置き換える事が出来るなら、その後に起こる事をちょっとポジティブにとらえる事が出来る様になるし、そこに感謝の念も生まれてきたりするんじゃないかと思います。そうすれば、僕は、その悪い出来事をふてくされたり、腐ったりせずに乗り越えていける様になるんじゃないかと思います。

ゆーすけ
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