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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、誰かに「もっと普通にして」みたいな事を言われた事ってないですか?特にこれと言ってめちゃくちゃな事をしてるつもりはないのに、そんな事を言われちゃったなんて経験を持ってる人って結構いたりすると思うんです。敢えて他人が不快に思うような事をしてるって自覚があるなら、それは確実にやめた方がいいとは思います。でもね、僕は、自分がわざと相手を不快にしている訳ではないのなら、無理に自分を変えていくって必要はそこまでないんじゃないかな?って言う風にも思うんです。
まぁでも自分が出会う人、出会う人に「なんかちょっと違う」って感じの事を言われるのであれば、それは自分に何かしらの問題があるのかもしれません。そう言う場合は、自分の何がちょっと違うのかって事を知る努力をして、そこを改善していく必要はあるかもしれません。でも、そうじゃなくて、誰か1人(もしくは、特定の数人とか)に「もっと普通にして」って感じの事を言われているだけだったりするのなら、そこまで気にする必要はないと思いますし、その人が言う「普通」になんてなれなくても僕は全然構わないんじゃないかと思います。
ここでは、なぜ僕がこの様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
普通は他人が決めた基準でしかない
ではなぜ僕が、普通になれなくてもいいと思っているかと言うと、大抵の場合誰かが言っている普通ってのは、その人が決めた基準でしかないって事がほとんどだからです。そして、それはただ多くの人に当てはまる事が多いってだけのものでしかないって事も忘れないでいて欲しいんです。でも、こんな事を聞くと、多くの人に当てはまるのならそれって正解みたいなものなんじゃないの?って思われたりすると思うんです。でもね、皆さん、多くの人に当てはまる事って必ず正解なんでしょうか?僕には、ちょっとそんな風には思えないんですよね。もうそれだったら、多数決で決まった事が全て正解って事になってしまいますよね。でも、多数決で決まった事って必ずしも正解ではない事が多いですよね。ただその場にいた半数以上の人がそれに賛成してるってだけの事だったりするんです。だからと言う訳じゃないですが、誰かが言ってる普通ってものが必ずしも正解って訳じゃないですし、それに絶対に従わなくちゃいけないってものでもないんです。
そして、もう1つ心に止めておいて欲しいのは、その普通ってのはもの凄く曖昧な基準でしかないって事なんです。で、多くの場合が、その普通を押し付けてきている人にとって都合がいい様にその基準は湾曲されているって事なんです。だから、場合によっては、他の人は全然そんな事してないって感じの事をも起こったりするんです(いわゆる普通ではなかったって感じです)。そんな感じなので、僕は、誰かが言っている普通ってものにそこまでとらわれなくてもいいんじゃないかと思います。どちらかと言ったら、それを言ってきている人が、こちらを思い通りに動かしたいが為に他の大半の人もそんな風にしているよって感じのプレッシャーをこちらにかけているってだけの事だったりするんです。
普通を目指したら自分の個性が消える
そして、次に僕が普通になれなくていいと思っていた方がいいと思う理由としては、そんな事をしたら確実に自分の個性が消えてしまう事になってしまうと思うからです。確かに多くの人は自分が目立つと言う事を嫌って周りに馴染もうとするんじゃないかと思います。でもね、僕はそう言う事が、自分が普段通りにしていたら周りと同じだったってのならいいと思うのですが、周りから目立たない様に敢えて自分を偽って周りに溶け込もうとするってのはいかがなものかな?って思うんです。だって、そんな事をしたら、それこそ自分が自分らしく生きられなくなって人生を生きる事が辛くなっていくだけだと思うからです。それよりも僕は、周りの目なんかそこまで気にしないで、自分らしさを貫き通していった方がいいんじゃないかと思うんです。
では、なぜ周りはこちらに対して普通をそこまで強要してきたりするのでしょう?それに関して僕が思うのは、そう言う人は、こちらの個性ってものに嫉妬をしてるからなんじゃないかと思います。まぁ何ポジティブにとらえてんの?って思われるかもしれません(笑)。でもね、こんな風にでも思わないとやっていけないってのが正直な所だったりするんじゃないでしょうか?もっと言い換えるなら、その人たちは出る杭を打とうとしてるって事なんだと思います。だからこそ、普通を強要してきているんだと僕は思います。だからこんな事に屈して、自分の個性を潰してしまうなんて本当にもったいない事だと僕は思います。そんな意味からも僕は普通になんてならなくていいと思います。だって、裏を返せば、それは自分の普通ではなくなってしまいますし、自分が無理する事にもなってしまうと思うからです。
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自分は変わってるんだって事を認める
でもね、そうは言っても、自分の普通と周りの普通ってもののギャップに苦しむ方もいらっしゃるとは思うんです。確かに周りと違っている事は個性ではあるかもしれないけど、周りと一緒になりたい自分もいるってのは誰だって持っている事だと思います。それに加えて、どうやったら周りの普通に自分を溶け込ませる事が出来るのかがわからないって思って自分が苦しくなってしまうってのもあると思うんです。そんな時は、自分は変わってるんだって事を自分で認めてあげると僕はいいんじゃないかと思います。確かに周りと同じがいいと思う事もあるかもしれません。でもね、そうなれない自分を責める必要はないと僕は思います。だって、周りから浮く様な事をわざとやってる訳じゃないんですもん。自分らしく振る舞っていたら周りとの間にギャップが出来てしまうんですもん。それを自分が責めたら自分が苦しくなるだけなんです。だからこそ、自分は変わってるんだって認める所から始める様にしてみて下さい。
で、次にやってみるといい事は、そう言う変わってる自分でも受け入れてくれる環境を探してみるって事だと思います。これは今の自分にはあまり信じられない事かもしれませんが、この世の中には自分と似た様な境遇にいて自分と同じ様な苦しみを抱えている人って必ずどこかにいるんです。世界って自分が思ってるより本当に広いんです。で、自分がちょっと周りから浮いてるって事を受け入れてくれる環境は必ずどこかにあるんです。諦めずに探し続けてみて下さい。そう言う場所にいけば、自分が自分らしく振る舞う事が自然に出来る様になって生きるのが楽になっていくはずです。他人が求める普通になんてなれなくていいんです。自分の思ってる普通と、他人が思ってる普通がズレてたっていいんです。それでも自分らしく生きられる場所は必ずあるんです。行きづらい環境に無理に固執しなくても僕はいいんじゃないかと思っています。
まとめ
いかがだったでしょうか?周りから普通ってものを強要される事ってあったりすると思います。もしそれが敢えて周りを苛立たせる様な事をしていたりするのではなく、自分としては自分らしく振る舞っているのに、そんな事を言われてしまうのであるのなら、そこまで自分を責めたりする必要なってないと僕は思うんです。それよりも、誰かが言ってくる普通なんてものになれなくてもいいと思って生きていくといいんじゃないかと思います。
それはなぜかと言うと、基本的に普通って誰かが決めた基準でしかなかったりするからです。そして、その基準の外にいる事が必ずしも間違ってるって事でもないからです。確かに普通って多くの人に当てはまる事なのかもしれません。でも、そこから外れてはいけないって決まりはどこにもないはずです。それに加えて、そう言う事に従って、普通になろうとしたら、自分の個性が消えてしまう事になってしまうと思います。それだけならまだしも、そう言う時って、自分を無理に普通の基準に当てはめようとしていたりするので、自分が苦しくなってしまったりもするんです。だからこそ、普通なんて目指さなくてもいいと僕は思います。でも、あまりに自分の普通と、周りの普通がかけ離れているとそのギャップに苦しみを感じてしまうって事も起こるでしょう。そんな時には、僕は、自分は変わってるんだって素直に認めてみるといいんじゃないかと思います。そして、その変わった自分でも受け入れてくれる環境を探してみるといいんじゃないかと思います。そう言う環境って必ずどこかにあるんです。今いる環境の普通になれなくたってきっと大丈夫です。
ゆーすけ
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