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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、自分の人生を生きていく上で大事にしてる生き方の指針みたいなものを持っていますか?まぁいきなりこんな事を聞かれても困ってしまいますよね。確かに言ってる事は大きいのかもしれませんが、僕は、人って生きる為にはこんな感じの自分なりのテーマみたいなものは持っていた方がいいんじゃないかと思います。そう言うものがあれば、自分が自分らしく生きられると思いますし、逆にそう言うものがなければ、自分がブレブレになってしまうとも思うからです。
まぁ簡単に言い換えると自分の軸みたいなものですかね。で、僕がこの自分の軸(もしくは、自分の人生のテーマ)として持っているのが、出来るだけどんな時でも寛大でいるって感じのものです。まぁ時には、イラッときたり、カッとなってしまったりする事もありますが(笑)、可能な限り普段から寛大でいる様には務めているつもりです。まぁ多くの人も寛大でいられるならそれに越した事はないと思っているんじゃないかと思います(てか、そう信じたい(笑))。でも、結局寛大ってどう言う事なのかってのがいまいちわからないから、寛大でいようがないってのも実際の所だったりするんじゃないかと思います。
ここでは、僕なりに考えている「寛大さ」ってものについて簡単に解説してみたいと思います。そして、今回のお話が皆さんが普段から寛大でいる為の何かしらの助けになってくれると嬉しいなって思っています。
もくじ
自分の基準が全てと思わない
まず最初に僕が、寛大でいる為に大事だなって思っている事は、自分の基準が全てと思わないって感じの事です。もっと具体的に言い換えるとしたら、自分が正しいと思っている事が誰にとっても正しい訳じゃないと思っておくって感じでしょうか。でも、基本的に寛大でない人ってのは、自分が正しいと思っている事が絶対的に正しいと思っていて、そこから少しでも外れる様な人を執拗に叩いてしまったり、無理やり自分の正しさに引き込もうとしてしまったりすると思うんです。まぁ時には、本当に自分が正しくて、相手が間違ってるなんて事もあるかとは思います。でもだからと言って、全ての場面で自分が正しい訳でも、自分の基準から外れた人が間違っている訳でもないんです。その逆もまた然りです。全ても場面で自分が間違ってる訳でも、自分以外の人が正しい訳でもないんです。なので、寛大でいるいないに関わらず、自分には自分の正しさがあるのと同様に、相手には相手の正しさがあるって事は理解しておくってのはとても大切な事だと僕は思います。
でも、基本的にそんな風に相手にも相手の正しさってものがあるんだなって考える事が出来る様になっていれば僕は、人ってある程度寛大になっていけるんじゃないかと思っています。だって、自分以外にものを受け入れるって心が広くないと出来ない事だったりすると思うからです。寛大だから自分以外の正しさを受け入れられるのか、自分以外の正しさを受け入れるから寛大なのかは正直言ってよくわかりませんが、どちらにしても、僕は、自分が寛大である為には、自分の基準だけではなく、他人の基準ってものも認めていく広い心を持つって事がとても大切な能力なんじゃないかと思っています。
出来るだけ相手の立場でものを考える
で、次に僕が寛大でいる為に大事だと思っているのが、自分からの視点ばかりで物事を見るのではなく、出来るだけ相手の立場になって物事を考えるって事だと思います。まぁでもこんな事を言うと、それだと相手の言いなりみたいになってしまうから、もっと自分中心に考えた方がいいんじゃないって感じの事を思われる方も出てくるとは思います。確かに相手の立場に立って相手ばかりを優先していたらそんな風になってしまうかもしれません。でもね、相手の立場になって考えるって事は、自分を抑えて相手を優先したり、相手の好き勝手にさせるって事とは全く別物だと僕は思っています。別に相手の立場になったからって、全て相手に譲らなくてはいけないなんて事は絶対にないんです。でもだからと言って、常に自分を優先してばかりいるのもどうなのかな?って僕は思うんです。だって、それじゃあ単なる自分勝手でしかないと思うからです。
でも、そこで物事を自分からの視点ではなく、相手からの視点でも考えられる様になれば、自分が譲れる時には譲っていける様にもなっていくんじゃないかと思います。ここでははっきり言います。自分が譲りたくない部分は絶対に譲る必要はないし、そう言うものは逆に譲ってはいけないと思います。でもそうではなくて、自分的には譲っても何の問題もないって事は時に譲っていった方が物事は円滑に回っていくなんて事もあるんです。僕は、そんな感じのバランスを取る為にも、出来るだけ相手の立場になって考えるって事が必要だし、そうやって考える事が出来れば、気持ちに寛大さが生まれて、譲れる時には譲っていける様になったりするのかな?って思ったりするんです。
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完璧主義は捨てて、「まぁ、いいか」と流す
で、もう1つ寛大でいる為に忘れないでいて欲しいのは、完璧主義を捨てるって事ですね。まぁこれに関してはそこまで深く考えなくても、なんとなくわかって頂けるんじゃないでしょうか。だって自分が完璧にこだわっていたら、周りが完璧で何事に対してイライラしてしまって、ネチネチとその人の事を攻撃してしまったりする事になるんじゃないかと思います。まぁもしかしたら、上で書いた自分の基準で考えないって事に近いのかもしれませんが、他人に自分の完璧を押し付けるって寛大でも何でもないですよね。だからこそ、僕は、元から完璧主義ってものを手放していった方がいいと思っているんです。しかも、寛大さとは特に関係なくても、完璧主義を持っているって自分を苦しめる事にもなるのであんまりいい事ではないと僕は思うんです。だからこそ、可能な限り完璧主義なんてものは捨てていくって事をオススメします。
で、その時に有効だと思うのが、なんでも「まぁ、いいか」と流していくって感じでしょうかね。まぁこんな感じの事を聞くといい加減でどうしようもないなって思われるかもしれません。でもね、僕は、ぶっちゃけて大抵の事はなんかなると思っています。確かに、自分の思った様にはならないかもしれません。でも、大体何とかなってしまうもんなんです。だからこそ、「まぁ、いいか」ってあらゆる事を流していく柔軟性ってものを持っているといいと思うんです。そうする事が出来れば、その自分の思った様にならないって事を受け入れていける様になっていくと思うからです。基本的に他人の事は自分にはどうする事も出来ません。それを受け入れる為にも「まぁ、いいか」と流していけばいいんじゃないかと思います。そんな風にしていれば、完璧主義も手放せるでしょうし、自分も寛大でいられる様になると僕は信じています。
まとめ
いかがだったでしょうか?誰にでもなんとなくの自分の人生のテーマみたいなものはあったりするんじゃないかと思います。僕の人生のテーマってのは可能な限り寛大でいるって感じのものです。なんとなくそんな風に生きる事が出来れば生きるのが楽になっていく様な気がするからです。
でもだからと言って、寛大って一体全体どう言う事なの?って言うのが多くの人が抱えている事なんじゃないかと思います。そこで僕なりに思う寛大さって言うのは、
- 自分の基準が全てだとは思わない
- 可能な限り相手の立場になって物事を考える
- 完璧主義を捨てて、「まぁ、いいか」といろんな事を流していく
って感じのものです。こんな風に生きていく事で僕は人は寛大になっていける様なっていくと思いますし、こう言う生き方をしていれば人生って結構生きやすくなっていくんじゃないかとも思っています。
ゆーすけ
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