スポンサーリンク
どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、人から助けを求められた、なんて事ってないですか?まぁ誰にでもそんな経験は少なくとも1度や2度ぐらいはあるんじゃないでしょうか?で、その人が事あるごとに「助けてくれ」って言ってくるってのなら、めんどくさいって思ったりする事もあるかもしれませんが、そうでなければ、人から頼られるって嬉しい事なので、なんとかしてその人の事を助けてあげようって思うものなんんじゃないかと思います。

で、そんな時に、皆さんだったら、どんな風にして相手の事を助けてあげようとしますか?僕はね、そんな時って多くの人が張り切って、自分がこうやったらその人は助かるんじゃないかって想像して、その自分が想像した感じで助けてあげたりするんじゃないかと思うんです。でもね、僕は、こう言う感じの助け方って結局助けて貰った相手は嬉しいと思わないと思いますし、全然助かったと思ってくれなかったりすると思うんです。もしそんな風になったとしたら、「せっかく助けてあげたのになんなんだ」って思ってしまいますよね。でも僕は、これって助けられた方が悪いんじゃなくて、助けた側に問題があると思うんです。だからと言う訳じゃないですが、誰かに助けを求められたり、誰かを助けたいと思っている様な時には、自分がどうしたいって言うよりも、その人がどうされたいかって事をきちんと把握して、その人が助けて欲しいと思う方法で助けるって事が大事なんじゃないかと思います。

ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
助けられたい方法で助けて貰えなければ、人は助けて貰えたと思わない
ではまずなぜ僕が、人を助けたいなら、その人が助けて欲しいと思う方法で助けてあげた方がいいと思っているかと言うと、そうでなければ、その人はきっと自分が助けられたと思える事はないんじゃないかと思うからです。これはもしかしたら、自分が助けられる側になって考えてみたらわかりやすいかもしれません。皆さんだったら、自分が苦しくて助けて欲しいと思っている時って、頭の中に「こんな感じで手を貸して欲しい」ってものがありますよね。で、その時に、それとは全く違う方法で助けて貰ったとしたらどんな感じに思うと思いますか?おそらく、嬉しいけど、嬉しくないって感じなんじゃないかと思います。

そして、その方法でなんとなく物事が上手くいったとして、その上手くいった感じが自分の求めていた(もしくは、自分が思い描いていた)ものと全然違っていたらどうでしょう?なんか結局問題は解決している感じがしなくて、助けて貰えたとは言いにくいんじゃないでしょうか?下手したら、全然助けになってないし、いい迷惑だってぐらいに思ってしまったりもするんじゃないでしょうか?そんな感じなので、僕は、もしどうしても人を助けたいと思っているのなら、その人が助けて欲しいと思っている方法で助けてあげるって事が絶対に大事になってくると思うんです。せっかく助けてあげるのであれば、助けた後にそれを相手が喜んでくれるが嬉しいと皆さんだったら思いませんか?

自分が助けたいと思っている方法で助けるのは自分のエゴ
でも、どうせ助けるのなら、その人が助かる様な方法で助けてあげたいと思うし、自分はその方法がきっとわかってるって思っている方もいらっしゃるんじゃないかと思うんです。だからこそ、自分の思う方法で助けてあげたいって思ってしまったりするんじゃないかと思います。その人が今感じているのと同じ様な辛さや、苦しさを通り越えてきたのならなおさらなんじゃないかと思います。でもね、それでもやっぱり、僕は、自分が思う様な方法で相手を助けるってのはあんまりいい事ではないと思うんです。それは助けると言うよりは、自分の気持ちを満たす為だけに手を貸してあげようとしているだけなんじゃないかと思うんです。要は、人を助けたいと言うより、自分のエゴを押し通したいってのが正直な所なんじゃないでしょうか?

いやいやそんな事は絶対にない、これは相手を助ける為にはどうしても必要な事なんだって思われるかもしれません。そして、その人のが助けて欲しい方法ではきっとその人は助からないんだって思われるかもしれません。でもちょっと思い出してみて下さい。人は、自分が助けて欲しいと思っている方法で助けて貰えなければ、助けて貰えたと思わないんですよ。例えその方法で何かしらが改善して、結局助けになったって場合でも、助けて貰ったって思って貰えないんですよ。なんかこれって助けている側からしたらなんかがおかしいと思いませんか?でもね、この場合の主役って助けられる側の人だと僕は思うんです。で、助ける側は完全に黒子に回る必要があるとも僕は思うんです。だからこそ、僕は、人を助けるなら、その人が助けて欲しい方法でって思うんです。それでも自分の方法を押し付ける様な方は、きっと、その人を助けたいと言うよりは、自分の気持ちを満たす為にその行為を行なっているのでしょうし、自分が助けてやってるんだって感じに上から見ていたりもするんじゃないかと思います。もし本当にその人の事を助けてあげたいなら、自分のエゴは一旦引っ込める様にした方がいいんじゃないかと僕は思っています。

スポンサーリンク
人を助ける時には、相手がどうして欲しいのかを絶対に確認する
それでは、結局人を助けてあげたいと思った時にはどの様にしていけばいいのでしょうか?もうこれに関しては、自分がどうしたいとかって言う事は一切考えるのはやめにして、相手がどの様に助けて欲しいのかって事を確認していくしかないと思います。だって、自分がいくら考えたって、相手がどうして欲しいかなんてわかりようもないからです。自分であれこれ考えて先読みしていろいろ助けてあげようとしていたりするのであれば、結局自分のやりたい様に助けてあげてるだけになってしまうと思うからです。だから、絶対に相手にはどうして欲しいかって事は確認する様にしてみて下さい。これは人を助ける時の鉄則です。

そして、もう1つ大事な事は、相手が助けて欲しいと思っている方法を自分で勝手にジャッジしないって事です。例え自分的には、その方法じゃ助けにならないんじゃないの?って思ったとしても、そこはあまり考えずに相手の助けて欲しい方法に沿ってあげるって事が絶対に大事です。何があっても、その相手が助けて欲しいと思ってる方法がその人にとっては1番嬉しい助けて貰う方法なんですから。先ほども言った様に、この場合、助ける側は完全に黒子であるべきなんです。絶対にこの方がいいからって言って、自分の方法を押し付けるってのは絶対にやめて下さい。これだけは本当に守る様にして下さい。じゃないと相手は絶対に助かったと思ってはくれないからです。

まとめ
いかがだったでしょうか?誰だって、人の事を助けてあげたいって思ったりするものなんじゃないかと思います。で、その時には、出来るだけその人の事をいい方向に導いてあげたいと自分が思う最善の方法で相手の事を助けようとしたりするんじゃないかと思います。でも、そう言う方法って案外その人の為にはならなかったりするんです。僕は、それよりも、相手が助けて欲しい方法で助けてあげるって事が大事なんじゃないかと思います。

それはなぜかと言うと、自分が助けて欲しいと思っている方法で助けて貰えなければ、人は助けて貰ったと思わないと思うからです。そりゃそうですよね。自分が思う様な方法で助けて貰えなければ、自分の思った様な感じには物事は進んでいかずそこにとどまっている感じがするので、なんか救われた感じがしないですもんね。要は、自分が自分の助けたい方法で助けているのって自分のエゴでしかないんです。自分が相手を助けてあげているって感じのいい気分に浸りたいだけだったりするんです。なので、どんな理由があっても、相手がどんな風に助けて欲しいのかってのは確認する様にしていった方がいいですし、その方法で相手の事は助けてあげる様にして下さい。じゃないと、相手は決して助かったって思ってくれる事はないと思うからです。

ゆーすけ
スポンサーリンク
スポンサーリンク
もし私の書いたブログ記事やツイートに価値を感じていただけている方がいらっしゃるのであれば、よろしければ以下よりサポートを頂けないでしょうか?もし少しでもサポートを頂けるのであれば、クリエイター冥利に尽きますし、今後の作品作りのモチベーションになります。
こちらから頂きましたサポートは、今後のブログ記事やツイートの取材費として大切に使わせて頂きたいと思います。
アメリカ在住の為、なかなか日本の本を手に入れる事が出来ません。ツイートやブログ記事の参考にさせていただきます。ご支援いただければ幸いです。
スポンサーリンク