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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、他人の事って信じる事が出来ていますか?まぁもしかしたら、どこかの時点で誰かに裏切られた経験なんかがあって誰の事も信じられなくなってしまったなんて感じの方もいらっしゃるかもしれません。それに加えて、他人の事って自分ではコントロール出来ないので信じた所で結局どこかで裏切られるから信じたくない(もしくは、信じるのは怖い)なんて事を思われたりもするかもしれません。
でもね、僕は、それでも人の事って基本的には信じてみた方がいいんじゃないかと思うんです。まぁやっぱり他人の事なので、信じた所で裏切られちゃう危険はあるとは思います。でもだからと言って、誰の事も信じられないなんてなんかとっても悲しい気持ちになってしまいますし、生きてて苦しくなってしまうとも思うんです。だからと言って、別に無理にいい人になれって感じの事を言いたい訳ではないんです。人に対して疑ったりする必要なんかは時にはあるとは思います。でも、人をあまりに信じられなかったら僕は、世の中って相当ギスギスしたものになってしまうと思うんです。もうね、それだったら、基本的には人を信じるってスタンスでいる方が僕はいいんじゃないかと思いますし、僕はそんな風に生きています。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
この世に元から悪い人ってのはいないはず
ではなぜ僕が、人の事は基本的に信じた方がいいと思っているかと言うと、これには賛否両論あるかもしれませんが、僕は、この世に元から悪い人ってのはいないはずだと思っているからです。確かにもの凄い極悪人って人がいるってのも実際です。で、こんな風に基本的に悪い人はいないって言うと、そんな感じの極悪人はどうなるんだ?って感じの事を思われると思うんです。でもね、僕は、例えそう言う人だって元から悪かったって訳じゃないと思うんです。子供の頃はそんな人だって無邪気だったりしたと思うんです。でも、どこかの時点でひねくれてしまって悪い事をする様になってしまったって感じなんじゃないかと思います。まぁこれが綺麗事だってのはなんとなくわかります。でも、僕は、誰だって良い部分は持っているんじゃないかと思うんです。
これはどちらかと言ったら性善説ってのに近いのかな?って思います。まぁぶっちゃけてそんな事あり得ないって思われている方も多いとは思うんです。でも、僕は、性悪説よりは性善説の方を信じたいし、そんな風に生きていた方が人生って生きやすくなっていくと思うんです。だって逆に性悪説を基本のスタンスとして生きていたら、それこそ自分の周りにいる人が全て悪い人に見えて、全ての人を疑って生きていかなきゃならなくなってしまうんですよ。そんなの苦しくないですか?だからと言って、先ほどもちょっと言った様に、絶対に人を疑ってはいけないとは思いません。この世には怪しい人が沢山いるのも確かです。でも、そう言う人にだってどこかしらは良い部分を兼ね備えているんだって言う風に考えながら生きてみるって僕は意外と大事な事かな?って思っています。そうしている方がきっと人生は生きやすくなっていくんじゃないかと思います。
自分が人を信じなきゃ、人は自分を信じてはくれない
そして、次に僕が、人の事は基本的に信じるスタンスでいた方がいいと思っている理由として挙げておきたいのが、自分が人の事を信じる事が出来ていないのなら、誰も自分の事を信じてなんてくれないと思うからです。まぁこれは僕の勝手な想像ではあるのですが、基本的には誰だって人に自分の事は信じて貰いたいって思うものだったりするんじゃないでしょうか?どれだけふてくされて腐っている様な人であっても、誰かしらかに自分の事を信じて欲しいって思っていたりすると思うんです。で、そんな人って、誰かが信じてくれたら自分はもっと素直になれるのになんて事も思っていたりすると思うんです。もうね、それだったら、僕は、自分から周りを信じてみるって所から始めてみればいいんじゃないかと思うんです。
これは皆さんも聞いた事があるとは思うのですが、世の中には因果応報って考え方があります。自分が他人にした事は、回り回って何かの形で自分に返ってくるって感じのものです。これは、信じるって事に対しても当てはまると僕は思っています。自分が人の事を信じていれば、きっと自分の事も信じて貰える様になると思うんです。でも、自分は誰の事も信じないのに自分の事は信じてくれって言ってもそれはちょっと虫が良すぎる様に僕は感じてしまいます。だからこそ、自分から人の事を信じていくって事が大事なんじゃないかと思います。自分が相手に対して信じないオーラを出せば、必ず相手からも信じて貰えません。でも逆に、自分から相手の事を信じる様にしていけば、100%とはいかないまでも、誰かしらは自分の事を信じてくれる様になると僕は思っています。そんな意味からも僕は、人の事は基本的に信じてみるといいんじゃないかな?って思っているんです。
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人の事は信じたとしても全てを鵜呑みにはしない
まぁそんな感じで人の事は基本的には信じた方がいいとは僕は思います。でもここで1つだけ人を信じる時に忘れて欲しくない事があるんです。それは何かと言うと、例え人の事は信じたとしても、全てを鵜呑みにしてしまうのはやめるって事です。えっ?それじゃあ結局信じてない事になるんじゃないの?って思われるかもしれません。でも、僕は、そんな風には思いません。例え、その人の事を信じているからって、その人の言う事全てを受け入れるってのは、信じるってのとはちょっと違うと僕は思います。それは、単に自分の責任を放棄しているだけなんじゃないかと僕は思うんです。やっぱり、なんだかんだで自分の人生をどの様にしていくのかって自分で責任を取っていくしかないと僕は思います。
ここで、もうちょっと僕がどの様な事を言っているかについて説明してみると、例えば、人が自分に対して何かをススメてきてくれたとしましょう。まずそこでその人を信じるって言うのは、そのススメてきてくれたものは、きっと本当にいいものなんだろうなって思うって感じです。元から「これ怪しい」なんて事は思わないって感じです。でもだからと言って、それを自分も取り入れるかどうかはまた別の話って事です。その人の事は信じたとしても、そのオススメが自分に合わないと思えば、それは自分で判断して取り入れないって決めてしまって僕はいいと思いますし、そうしなきゃいけないと思っています。じゃないと本当にどこかの時点で自分は騙されしまう事になってしまうと思うんです。別にこう言う風に信じいる相手に言われた事を断るって事は相手を信じていないって事にはなりません。最後の最後は絶対に自分の頭で考えて、自分で結論を出すって事は、どれだけ人の事を信じていたとしても忘れないでいた方がいいと僕は思っています。
まとめ
いかがだったでしょうか?人を信じるって怖いし、難しい事ですよね。誰かに裏切られた様な経験がある場合にはなおさらなんじゃないかと思います。まぁこれには同意されない方もいらっしゃるとは思いますが、僕は、人の事は基本的に信じるって言うスタンスでいるって事が大事だし、そうしていた方が人生って生きやすくなっていくんじゃないのかな?って思っています。
それはなぜかと言うと、この世に元から悪い人なんていないはずだと僕は思っているからです。誰にだって良い部分は必ずあると思うし、そう言う部分ってのは僕は信じてみるって事が大事かな?って思うんです。そして、自分が周りの事を信じてないのに、自分の事を信じて貰えるなんて事もないんじゃないかと思います。でも、多く人は人に信じて貰いたいとは思っていると思うんです。そうなんだとしたら、自分が信じて貰えるのは待つのではなく、自分から信じていってみるって事は大切だと思います。なんだかんだで自分がした事は自分に返ってくると思うからです。でも人を信じるからと言って、その信じた人の事を鵜呑みにしてしまうってのだけはやめる様にして下さい。やっぱり自分の人生は自分で決めていくって事は、いくら人の事を信じていたとしても忘れてはいけない事だと思うからです。
ゆーすけ
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