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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、しっかりしてる人ってのに憧れますか?まぁその反対は、いい加減な人って感じになってしまうと思うので、どちらかと言ったら、しっかりしてるって感じの事を言われたいって思うのが人間なんじゃないかと思います。でもそれと同時に、しっかりしてるって言われるのって案外重荷になってしまったりもするんじゃないでしょうか。だって、そんな事言われているのに、自分が抜けちゃってたら恥ずかしいって思ってしまうと思うからです。

まぁそれがいいプレッシャーになってるぐらいだったらいいと思うのですが、重荷に感じてしまうのだったら自分が辛くなってしまうんじゃないかと思います。だって、常に自分はしっかりしてなきゃならないって感じに自分を追い込んでしまう事にもなりかねないと思うからです。だからと言う訳じゃないですが、僕は、しっかりしてる人にはならなくてもいいんじゃないかと思っています。まぁだからと言って、いい加減でどうしようもない人になるよりはマシだとは思いますが、しっかりしなきゃと自分を追い込み過ぎる必要もないんじゃないのかな?って僕は思います。

ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
人は完璧じゃない
じゃあまずなぜ僕が、しっかりしてる人にならなくてもいいと思っているかと言うと、それは人は完璧じゃないからです。まぁこうやって言うと、そんなの当たり前じゃんって思うとは思います。でもそうではなくて、周りから「しっかりしてるね」って感じの言われた時って、これからも完璧な抜け目のない自分ってものを演じていかなきゃならないって思い始めてしまうんじゃないかと思います。で、自分で自分は抜け目のないロボットの様じゃなきゃいけないと思う事で自分をがんじがらめにしてしまって、結局自分を苦しめてしまったりもするんじゃないでしょうか。本来なら「しっかりしてるね」って褒め言葉なんだと思うのですが、時に人はそんな風に「しっかりしてるね」って言葉に過剰に反応し過ぎてしまったりもすると思うんです。

だからこそ、人は完璧じゃないんだって事を自分に言い聞かせてあげる事が大事なんじゃないかと僕は思います。じゃないと、しっかりしなきゃ、しっかりしなきゃと自分をどんどん追い詰める事になってしまうと思うからです。だって、多くのしっかりしてると言われている人は基本的に自分はそこまでしっかりしてないと思っているけど、そうやって言われてしまってるから、自分はしっかりしなきゃいけないって感じに思ってるんじゃないかと思うんです。でもね、例え人にしっかりしてるって言われても、その期待には必ず応えなきゃいけない訳じゃないと僕は思うんです。誰だって抜けてる所はありますし、誰だっていい加減な部分は持ち合わせているんです。だからこそ、僕は、自分は完璧じゃないんだからしっかりしてなくてもいいって感じに思ってみるといいんじゃないかと思います。そうやって少しでも肩の力を抜いて生きていく方が僕は、人生って生きやすくなっていくんじゃないかと思います。

しっかりしてると言われても、他人事として受け取ればいい
でも、そんな風に自分は完璧じゃないなんて思っていたとしても、結局誰かに「しっかりしてるね」って言われたら、自分が自分に描いている像(例えば、だらしないとか)とのギャップがあってなんか苦しく感じてしまうってのも正直言ってあるんじゃないかと思います。だから、そう言う他人からの評価って重荷になってしまったりもするんじゃないかと思うんです。で、そんな時にはどうしたらいいのかって言ったら、それこそそう言う評価を他人事として受け取ってみるといいと僕は思います。イメージとしては、自分の外に自分がもう1人いて、その人がしっかりしてると言われている様な感覚です。まぁこれは別にスピチュアル的な事を言いたいとかって訳じゃないのですが、こんな感じの事が出来れば、自分への他人の評価ってものを他人事として受け取りやすくなるんじゃないかと思います。

で、こう言う事が出来ると何かいいかって言うと、これが出来れば、「へー自分ってしっかりしてる様に見えるんだ」って思える様になって、しっかりしなきゃって感じのプレッシャーを過度に感じる事はなくなっていくって感じになると思うんです。これって結構凄くないですか?こうやっていれば、本来の自分とのギャップに悩む事もなくなっていくし、ありのままの自分でいられる時間ってのが僕は多くなっていくと思います。別に絶対にしっかりするなって事が言いたい訳じゃなくて、普通にしてたらしっかりしてたってのならいいけど、周りにそう言われたから無理に自分をしっかりさせようとしなくてもいいって感じの事を僕は言いたいんです。まぁ周りから「しっかりしてるね」って言われるって事は、それなりにしっかりしてるんだとは思います。だから、これ以上無理して自分をしっかり者にしようとなんてしなくてもいいのかな?って思います。その為には、他人からの「しっかりしてるね」は他人事として受け取る様にしてみるといいんじゃないかと思います。

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しっかりしなきゃってプレッシャーを感じるぐらいの人はもうすでにかなりしっかりしている
で、最後に僕がしっかりした人にならなくなんていいと思っているかと言うと、そんな風に思ってしまう人ってのは、おそらくもう既にしっかりしてる事が多いと思うからです。そして、そんな風に思ってしまっている時点でかなり責任感は強いはずなんです。だからこそ、しっかりしなきゃと自分を追い込んでしまっているんじゃないかと思います。だからと言う訳じゃないですが、もし自分がしっかりしなきゃと思っているんだとしたら、もうこれ以上しっかりしなくてもいいんだって感じに自分の考え方を変える様にしてみて下さい。そうするのは難しいとは思いますが、ここは僕の顔に免じてそうしてみる様にして下さい(笑)。もう本当にそう思ってる人はしっかり者なんですから。

でもやっぱり自分がしっかりしなかったら、自分の周りからの評価とかは下がってしまうんじゃないの?って感じの事を思って不安になってしまったりもすると思います。でもね、そんな心配しなくていいと思います。例えしっかりしてなくても、ちょっとぐらい抜けてても、もしそこで自分らしくいられているのなら、そっちの方が人間味があって魅力的だったりするんです。逆にしっかりし過ぎて隙がない方が周りからは敬遠されてしまうなんて事にもなりかねないんです。だからこそ、僕は、必要以上にしっかりしなくちゃなんて思わなくてもいいと思います。そうやって自分が無理をして、自分を偽ったりしててもきっと自分の魅力は発揮されません。ちょっとぐらいしっかりしてなくてもいいんですよ。それぐらいの感じで開き直ってみるといいんじゃないかと僕は思っています。そして、これからは出来るだけ自分らしくを目指してみて下さい。きっと人生は生きやすくなっていくと思いますよ。

まとめ
いかがだったでしょうか?誰だって出来る事ならしっかりした人になりたいなんて思うんじゃないでしょうか。そんな風に自分が思う気持ちはとても大切です。でも、そう言う事を周りから期待されたり、押し付けられたりしたら、場合によっては、しっかりするって事が重荷になってしまう事もあるんじゃないかと僕は思います。だからと言う訳じゃないですが、僕は、無理にしっかりした人にはならなくてもいいんじゃないのかな?って思っているんです。

それはなぜかと言うと、人って言うのは完璧ではないからです。こんな事を言うとそんなの当たり前だって思うかもしれませんが、しっかり者にならなきゃいけないと思っている人は、そんな風に完璧な自分を演じようとして辛くなってしまうんじゃないかと思います。だから、まずは自分に対して自分は完璧じゃないんだって言い聞かせてあげるといいんじゃないかと思います。ちょっとぐらい抜けがあったっていいんです。

そして、そう言う人は、周りから「しっかりしてるね」って感じの事を言われる事も多く、その期待に応えなきゃいけないってプレッシャーを常に感じていたりもすると思います。でもね、そんな風に思う必要はなくて、他人からの「しっかりしてるね」は他人事として受け取ってしまうといいんじゃないかと思います。そうすりゃ本当はしっかりしてない自分と周りからの評価のギャップに苦しむ事も減っていくんじゃないかと思うんです。で、そんな風に周りからのプレッシャーを感じて、しっかりしなきゃと思っている様な人は、もうすでにしっかりしてる事が多いので僕は、もうこれ以上しっかりしようとなんてしなくてもいいんじゃないかと思います。それよりも、もっと自分らしくいる方が魅力的なんじゃないかと思います。

ゆーすけ
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