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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、今自分が進んでいる道って自分で選択して決めましたか?まぁこれに関してはなんとも言えないってのが正直な所だったりするんじゃないでしょうか?自分で選んだ様な気もするし、なんだか誰かに決められた道を進んでいる様な気もするしってのが実際だったりするんじゃないかと思います。まぁぶっちゃけた話、僕は、どんな道を進んでもいいと思っています。自分で決めた道だろうが、他人に決められた道だろうが。

でも、そこで大切なのは、その道を自分が信じているかどうかって事なんじゃないかと思います。もし今自分が進んでいる道に疑問があったり、心の奥底では違う道に進みたいのになって感じの気持ちがあるのであれば、その道って進んでもあんまりいい事はない様な気がします。もしかしたら、その道を進んでいたら安定を得られたりするのかもしれません。もしかしたら、他の人が喜ぶのかもしれません。でもね、そんな事で自分が進む道って決めない方がいいと僕は思うんです。それよりも、何があっても自分が信じた道をいくって事が人生を生きていく上では絶対に大事だと思いますし、そうやって生きていかないといずれ自分の人生に後悔をしていく事になってしまうと思うからです。

ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
どの道を進んだ所で、その後の結果の責任を負うのは自分
じゃあまずなぜ僕が、何があっても自分が信じた道を進んでいった方がいいと思っているかと言うと、どんな道を進んだ所で、その後の結果に対する責任を負うのは自分だと思うからです。まぁこれだけ聞けば、そんなのごくごく当たり前の事だって思われるかもしれません。でも、大抵の場合はそんな風に思えなくて、誰かに言われて進んだ道で上手くいかなかったりしたら、その責任をその相手に押し付けようとしてしまったりするんじゃないかと思います(例え、最終的にその道を進む事を選んだのは自分であったとしてもです)。だって、そんな時って、実は過去に違う道に進む選択肢もあったりなんかして、そっちを選んでいれば、なんて事を心の奥底で思っていたりするからです。しかも、自分はそっちにいってみたかったなんて思っていたりもするからです。

でも、その選択をする時には、何を選んだらいいのかもわからなかったし、その人が言っている事が正しそうに聞こえてしまったりもしたから、その人の意見に従ってしまったなんて感じだったりしたんんじゃないかと思います。でもね、これは非常に残念な事かもしれませんが、その自分以外の人がくれる答えって自分にとっての正解である事って非常にまれなんです。基本的にはその人にとっての正解でしかないって事がほとんどなんです。だから、どれだけ正しそうに聞こえても、いずれその答えは自分に合ってないって感じてしまう様になってしまうんです。そして、悲しいかもしれませんが、他人ってのは、どれだけ近しい人であっても、自分の事を完全に理解してくれている事はないですし、自分の事を自分以上に考えてくれているなんて事もないんです。要は、人は誰でも自分自身の事で精一杯で他人にそこまで注意を向ける事なんて出来ないって感じなんです。だからこそ、僕は、何があっても自分の道をいくって思う事が大事なんだと思います。人の意見に従っても、それが自分にとって最善なのかどうかは結局よくわからないって事が多いと思うからです。

自分が信じた道をいこうとすると誰かしらは止めてくる
でも、これまで自分の信じた道を進んでこなかったのは、そうやって自分が信じた道をいこうとすると必ず誰かに止められるから、たぶん自分が信じて進もうとしてる道は間違ってるんじゃないのかな?って不安になって、その道を断念してきたって感じだったりもするんじゃないかと思います。そこでやめたくなってしまう気持ちもよくわかるんです。でもね、これは本当に不思議な事なのですが、その道が正しかろうが、間違っていようが、自分が信じた道をいこうとすると誰かしらは止めてくるものなんです。本当だったら、手放しで賛成してくれるってのを期待しているとは思うのですが、どう言う訳だか周りは止めてきます。で、賛成している人って基本的には何も言ってはくれないので、自分には反対意見しか入ってこず、自分が進もうとしている道はまるで間違っているんじゃないかって思ってしまうと思うんです。

でもね、これだけは忘れないでいて欲しいのは、そうやって止めてくる人のほとんどはこちらの事なんてあまり考えてない事が多いんです。だって、本当にその人の事を考えているなら、自分が信じて進んでみようと思った道に進んでいこうとしている事を止める理由がないですもん。確かに、そこに進んだら命の危険に晒されるってのならまだわかります。でもそうでないなら、その道に進む事を応援して、例えそこで失敗したとしても、そばにいて寄り添ってあげようって感じになるもんじゃないかと僕は思います。では、なぜその手の人たちはこちらを止めてくるのでしょう?もうそれはその人たちのエゴでしかないんです。自分の信じた道をいく人が失敗するのを自分が見たくないとか、逆にその人たちが成功していくのを見るのが悔しいとかって感じの事が大方の理由だったりするんです。なので、そんな人たちの言ってくる事に振り回される必要なんて全くないんです。一理あるなら参考にして、そうでなければサラッと流してしまって僕はいいんじゃないかと思います。

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誰が何と言おうと自分がいきたい道をいく為には、自分がいきたい道ってものを常に考え続ける
で、もうここまできたら、僕は、自分が信じた道(もしくは、いきたい道)を進んでいくしかないと思っています。だって、たった1度の人生です。人の意見に従って生きていってもしょうがないと思いませんか?どうせなら自分の人生を生きていきましょうよ。でも、そんな風に思っていても、自分の信じる道ってなんなんだ?ってのがいまいちはっきりしてないってのも実際だったりするんじゃないかと思います。だって、これまでの人生でそんな風に生きてこなかったんですもん、いきなりそんな事言われてもどうしていいのかわからないってのが実際だったりするんじゃなかと僕は思います。もしそうであるなら、今からでも遅くないので、自分が進んでいきたい道ってものを考える様にしてみて下さい。こう言うものはおそらく簡単には見つかりません。なので、そう言うものが見つかるまで常に考える様にしてみて下さい。いや、例え見つかったとしても考え続ける様にして下さい。

そうしている事で僕は自分の中にブレない軸ってものが作られていく様になるんじゃないかと思います。で、そう言うものが少しずつでも自分の中に出来ていけば、周りから何を言われても気にする事なく、自分のいきたい道、いきたくない道ってものを選んでいける様になっていくと僕は思っています。例えどんな結果になってとしても、その方が絶対に生きてるって感じる事が出来ると思います。本当にたった1度の人生です。しかも自分の人生です。他人の意見に振り回されたり、人の目を気にしてばかりいたら本当にもったいない事だと思います。その為にも自分の信じる道を探してみて下さい。で、見つかったら強い気持ちを持ってその道を進んでいって下さい。人生の最後に後悔するって事はなくなっていくはずです。

まとめ
いかがだったでしょうか?誰だって、自分の信じた道をいきたいと思ってはいても、そうするのが難しいってのが現実だったりするんじゃないかと思います。なんだかんだで周りの人の言う事に惑わされて、自分の信じた道を選んでる様で、選んでないって感じになってしまっていると思うんです。でもね、そこにどんな理由があっても、僕は、人に決められた道なんてものを進んでいくのではなく、自分の信じた道をいくって事は忘れないでいて欲しいんです。

それはなぜかと言うと、どんな道を進んだ所でその後に起こる結果の責任を負うのは自分でしかないからです。例え、誰かの言う事を聞いて自分の道を選んだとしても、その責任は自分にあるって事なんです。もうそれだったら、自分の信じた道を進んでいくしかないと思いませんか?でも、ここでちょっと注意をして欲しいのは、いくら自分の信じた道を進もうとしても、その事に周りの誰かは絶対に反対してくるもんなんです。で、大抵の場合は、そこにこれと言った理由もなかったりします。だからこそ、周りの人の意見なんてそこまで気にする必要もないって感じなんです。で、そう言うものに振り回されずに、自分の信じた道を進んでいく為には、自分がどう言う道を進んでいきたいのか、どう言う道は進んでいきたくないのかって事を常に考え続けるって事に尽きると思います。そうしていれば、そのうち自分の軸ってものがはっきりとしてきて、自分の信じる道ってのもを進んでいける様になっていくと僕は思います。で、その方が絶対に生きていて楽しい人生を送れる様になるはずです。

ゆーすけ
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