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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、わかりやすく話をしてくれる人と、何に対しても難解に説明をしてくる人だったらどちらの方が好きですか?まぁおそらくこれは、わかりやすい話をしてくる人ってなるんじゃないかと思います。だってそりゃそうですよね。わかりにくい話をしてくる人って結局何が言いたのか理解出来ずにその話があっているのか、間違っているのかって判断するのが難しくなってしまいますもんね。
でも、その一方で、わかりやすい話をしてくれる人って、自分も相手の言ってる事を簡単に理解が出来るので、なんか聞いてて気持ちがいいですよね。で、何となくこの人の言ってる事なら正しいんだろうなって思ってしまったりもするんじゃないかと思うんです。だって、自分はその話をきちんと理解出来てしまっているからです。でもね、ここでちょっと忘れないでいて欲しい事は、その話がわかりやすい人の話ってが必ずしも正しい訳ではないって事なんです。別にわかりやすい話をしてくれる人全てを疑えとは思いませんが、そう言う人の話をなんでもかんでも鵜呑みにしてしまうってのは危険かもしれないなって僕は思っているんです。そんな感じなので、皆さんにはこう言う事を心の片隅にでも入れながら生きていって欲しいと僕は思っています。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
話がわかりやすい人ってのは、どんな話をしても相手を納得させるのが上手い
じゃあまずなぜ僕が話がわかりやすい人の全てを信じたりしない方がいいと思っているかと言うと、話がわかりやすい人ってのは、基本的にどんな話をしても相手を納得させるのが上手いってのはあると思うからなんです。だって、人に対して物事をわかりやすく話せるって事は、どうやったら相手に伝わるかって事をいろいろ考えているので、話をもの凄く単純明快にしていたりしますよね。そして、そう言う人に限らず大抵の場合、人は、自分が話している事に対してみんなに同意して欲しいって思いながら話していたりしますよね。まぁこの話がわかりやすい人ってのも、そこに関しては他の人と同じなんじゃないかと思います。なんだかんだでそんな風に自分の話に納得して同意して貰いたいから周りに対してわかりやすく話しているってのはあると思うんです。
確かにこう言う能力って凄い事です。そして、そう言う人の話って聞くと、さも自分もその人と同じ意見かの様に思ってしまう事ってあると思うんです。だって、その話のほとんどの部分を自分も理解する事が出来ているからです。でもね、ここでちょっと悲しいお知らせをしますが、そう言うわかりやすい話をしてくれる人が必ずしも、物事の本質をとらえているとは限らないって事なんです。その人が物事を間違って認識していたとしたら、その人はその自分の間違った認識をわかりやすい話をして周りに伝えていってしまう事になるんです。しかも、その話をとてもわかりやすいので、周りの人はそれが正しい事の様に錯覚していきます。で、時には、その話をしている人すら、自分が間違っている認識がなったりする事もあったりするんです。そんな事が起こったらどうなると思いますか?ただ間違った話だけが周りの人に浸透していくだけになってしまう事になってしまうんです。これってちょっと怖くないですか?だからこそ僕は、話のわかりやすい人ってのを、話がわかりやすいって言うだけで信用するのはどうなのかな?って思ってしまうんです。
話がわかりやすい人が、人を騙していないとは限らない
で、これまでは、もしかしたら話がわかりやすい人は意図せず間違った認識を持っているかもしれないから気をつけた方がいいって感じの話をしてきました。まぁそう言う事も実際には起こるってのは誰だって理解はしていると思います。まぁ誰だって間違える事はありますもんね。でもね、これもちょっと悲しいお知らせかもしれませんが、世の中にいる人全ていいひとである訳ではないって事なんです。それは話がわかりやすい人に対しても例外ではないと思います。話がわかりやすい人って、相手の為に話を噛み砕いていたりするので、何となく温和な感じがして、いい人ってイメージがある様に思うんです。その逆に話がわかりにくい人って若干嫌な人って言うイメージってあったりすると思うんです。まぁこれは僕の勝手な想像なので、100%そうだとは言い切れないとは思いますが、少なくとも僕の中ではそんなイメージがあります。
でもだからと言って、話がわかりやすい人が人の事を騙したりしないとは限らなかったりするんです。てか、逆に、人を騙そうとする人って、相手を自分の方に引き込もうとするので、実はもの凄く話が上手かったりするんです。そして、もの凄くわかりやすい話し方をしていたりもするんです。これは、皆さんも何となくは気がついていらっしゃたりするんじゃないかと思います。もうね、本当にこんな感じで、人を騙そうとする人ってわかりやすい話で嘘を塗り固めていったりするんです。まぁ皆さんを脅かしたい訳ではないのですが、話がわかりやすい、イコール、その人が誠実だってって事にはならないって事は絶対に忘れないでいた方がいいと僕は思っています。
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正しいか正しくないかは、自分で判断する
でも、そんな事を言われたら、誰を信じていいのかもうわからなくなっちゃうよって感じになってしまうと思うんです。確かにその気持ちはとてもよくわかります。まぁでも、これに関する僕の答えってのは、もしかしたら月並みなのかもしれませんが、どんな事に対しても正しいか正しくないのかの判断は自分でするって事に限るんじゃないでしょうか?まぁそれがわからないから、他人の話を聞きたくなるってのもあると思うんです。でもね、これは僕の持論なのですが、自分の正解って結局自分の中にしかないんですよ。だから、周りが何を言っていようが、それがどれだけわかりやすい話であろうが、それが自分にとっての正しい事であるかはわからないって事なんです。
いやいや、自分がどう思うかって事だけじゃなく、世の中には事実ってものもあるでしょ、その正誤ってのはどう判断したらいいの?って思われる方もいらっしゃるんじゃないかと思います。まぁそれに関しても同じ事だと思います。結局は、その事実が正しいのか正しくないのかは、自分の判断によるってのはあると思うんです。まぁちょっと話は大きくなってしまったかもしれませんが、結局何が言いたいのかと言うと、何を判断するにも自分の頭で考えて答えは出していった方がいいって感じの事なんです。これを放棄して、話がわかりやすいからってだけで人を信じてしまうってのはやめた方がいいよって感じの事も僕は言いたい訳なんです。まぁ全ての場面がそうであるとは言いませんが、話がわかりやすい人全てが信用出来るって事じゃないってのは覚えていて損はないのかな?って思います。
まとめ
いかがだったでしょうか?話がわかりやすい人と、話がわかりにくい人だったら、多くの人は話がわかりやすい人の話に納得したり、同意したりうするんじゃないかと思います。確かにそうなってしまう気持ちはわかりますが、僕は、話がわかりやすい人の話が正しいと思って、その人の話を簡単に信じてしまうってのはちょっとどうなのかな?って思うんです。
それはなぜかと言うと、そう言う話がわかりやすい人ってのは、結局どんな話をしてもわかりやすく伝える事が出来るので、相手を納得させる事が上手だったりするからです。だから、その人が間違った事を正しいと思って話していれば、それを聞いた多くの人が間違った事が正しいと思ってしまう可能性もあるんです。そして、そう言う話がわかりやすい人が、聖人君子で人を騙さないとも限らないって事も忘れないでいた方がいいかもしれません。逆に人を騙そうとするから、話をわかりやすくしているって可能性もなきにしもあらずって事も心のどこかには入れておいた方がいいのかな?って僕は思っています。では、結局人の話ってものにはどの様に接していけばいいのでしょう?僕は、なんだかんだで人の話は簡単に鵜呑みにするのではなく、最後の最後は自分で考えて自分で判断していくって事なんじゃないかと思います。まぁそれは話がわかりやすい、わかりにくいに関係なくそうしていった方がいいとも思っています。
ゆーすけ
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