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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、正論って言葉を聞くとどんなイメージを浮かべますか?まぁこれは人それぞれだとは思いますが、大抵の場合は、その正論ってものを振りかざして相手を追い詰めるって感じ事が思い浮かんだりするんじゃないかと思います。そんな感じで、なんとなく正論ってものに対してはあんまりいいイメージを持ってないってのが多くの人に当てはまるんじゃないかと思います。
まぁでもだからと言って、僕は正論ってものが本当に悪いものであるとは思っていません。だって、正論って言うぐらいなので、それなりに正しい事ではあるはずだし、それに対しては素直に認めるって事は大事なんじゃないかと思います。でも、それにこだわりまくって、相手の正しくなさ(もしくは、間違い)みたいなものを叩くってのならそれはちょっと違うんじゃないかな?って思ったりもするんです。だからと言う訳じゃないですが、僕は、自分なりの正論ってものは持っていてもいいけど、それにこだわり過ぎるってのはやめた方がいいんじゃないかと思います。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
正論ってものは、時代、場所、人によって変わる
ではまずなぜ僕が、自分なりの正論にこだわり過ぎない方がいいって思っているかと言うと、そう言うものは、時代、場所、人によって変わっていくものだったりすると思うからです。まぁ大抵の場合は、人って言うのは自分と近い価値観の人と一緒にいる事が多いので、その人たちの間の正しさってものは近い事が多いと思います。でも、自分が持っているその正しさってものは、遠い昔から今まで一貫して正しかったのでしょうか?国が変わっても通用するものなのでしょうか?もうこれに関しては、絶対とは言い切れないんじゃないかと思います。で、それと同じ事で、人には人それぞれの正しさってものがあったりもするんです。で、ある人にとっては正しい事が、他の人にとっては間違いだって事も往々にしてある訳なんです。まぁこれに関して、どうしようもない事だと僕は思います。だって、どう考えたって、この世に絶対的な正しさって何と思うからです。要は、正しさってその時その時で違う事はあるって感じでしょうか。
まずこう言う事を知る(もしくは、認める)って事が僕は大事だと思います。そうする事が出来れば、自分の正しさってものは、違う環境にいったらもしかしたら正しくないのかもって思える様になっていくんじゃないかと思います。で、それに加えて、自分の正論ってものへのこだわりってのも少なくなっていくんじゃないかと思います。言い換えるなら、正しさの違いに寛容になれるって感じでしょうか。これが出来ないと、自分の正しさのみが正しいと思ってしまって、それにこだわり過ぎるあまりに正論を振りかざして他人をコテンパンにしてしまおうって感じに思ってしまったりもすると思うんです。僕は、これってもの凄く危険な事だと思います。なので、そこにどんな理由があろうとも、自分の正しさが絶対的に正しいって言う風に思うのはやめていった方がいいと僕は思っています。
人は自分が正しいと思った瞬間に無敵感を手に入れてしまう
ではなぜ人が正論にこだわってしまったら危険なんでしょう?別に自分なりであったとしても正しい事ならこだわっても別にいいんじゃないの?って思うんじゃないかと思います。確かに正しい事を正しいと思っても何も悪い事はないとは思います。でも、それの度が過ぎてしまうと、人って自分の正論が絶対正義でそれに当てはまらない考え方は全て間違いって思ってしまうんです。で、人ってそんな感じで自分が絶対的に正しいと思ってしまった瞬間に人は無敵感ってものを手に入れてしまうんです。そうなると、人は自分は正しいから間違ってる人には何をしてもいいって思い始めてしまうんです。僕は、これが本当に危険だと思うんです。それはなぜかと言うと、そう思ってる時の人間って狂気に走ってしまったりするからです。で、正しさの為なら何をしてもいい、ちょっとぐらい悪い事をしたって正しさを守る為なんだからしょうがないって感じで自分を正当化し始めます。これって本当に怖い事なんです。
でもそれだったら、周りが止めてあげればいいじゃんって思ったりもすると思うんです。でもね、正論って言うぐらいなので、論理的に隙がなかったりもするんです。例えその人がそんな風に正論をかざして他の人をボコボコにしてる事に疑問を感じていても、論理が通っていたりするもんだから周りは何も言えなくなってしまうんです。だから、自分が正しいと思ってる人はどんどんどんどん暴走していくって感じになってしまうんです。で、もうこうなったら、もう誰にも止められません。どこまでも、どこまでも自分にとって正しくない人たちを叩き潰しまくります。まぁこんな話を聞いても、自分だけはそんな風にならないから大丈夫って思うかもしれません。でも、人は自分の正論が正しいと簡単に思ってしまうし、そこになんの疑問も持たなくなってしまうもんなんです。だからと言う訳じゃないですが、僕は、出来る限り自分の正論ってものにはこだわらない様に気をつけていった方がいいと思います。これは、自分の心がけ1つでなんとかなる事だったりするからです。
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世の中はグレーゾーンで成り立っていたりする
でもなぜ、そんな感じで時に正論にこだわり過ぎてしまったりする方がいたりするのでしょう?それに関して僕が思っているのは、そう言う人って、多くの事で白黒ハッキリさせなきゃ気が済まないって感じに思っていたりするからなんじゃないかと僕は思います。まぁ確かにそんな風に物事が白と黒にきっちり分けられるのならそれは理想的なのかもしれません。でもね、ぶっちゃけた話、白と黒に分けられる事の方が僕は少ないんじゃないかと思うんです。世の中の大抵の事はグレーゾーンで成り立っているもんなんです。でもこんな事を言うと、その曖昧さが嫌なんだっておっしゃる方も出てくるかとは思います。でもね、世の中から曖昧さを取り除いたら大変な事になるって事もわかっていて欲しいと思います。
だって、世の中にはもの凄く沢山の人間が存在してるんです。その人数が多くの事できっかり2つに分かれるってあり得る訳がないと思いませんか?例え、自分の周りの10人ぐらいの人であったとしても、何ができっちり白と黒に分かれるって事はないんじゃないかと思います。どんな事でもその中間に位置を取る人は出てきますし、白寄りの黒とか、黒寄りの白とかって感じの人って必ず出てくると思うんです。まぁそんな感じなので、どれだけ曖昧な感じが嫌だと思っていても、グレーゾーンってものは認める様にしてみて下さい。そうする事が出来れば、自ずと自分の正論だけにこだわり過ぎるって事はなくなっていくんじゃないかと思いますし、他人の正しさってものも認めていける様になっていくんじゃないかとも思っています。
まとめ
いかがだったでしょうか?正論って聞くと多くの人があんまりいいイメージを思い浮かべないのではないでしょうか。でもだからと言って、正論ってものが絶対に悪いものではないと僕は思います。でもだからと言って、それにこだわり過ぎるってのはどうなのかな?って思うんです。だからと言う訳じゃないですが、僕は、正論は持っていてもいいけど、それにこだわり過ぎるってのはやめた方がいいと思っています。
それはなぜかと言うと、自分持っている自分なりの正論ってものが、いついかかなる場所であっても正しいとは限らないからです。正論ってものは、時代、場所、人によって全く違うものであったりするんです。なので、自分の正しさってものが絶対的なものだとは思わない方が僕はいいと思います。で、そんな感じで自分の正論が絶対的に正しいと思ってしまった時なんかは、人は無敵感を手に入れて、自分にとって正しくない人たちに何をしてもいいなんて思ってしまう事もあるんです。これって相当危険な事なんです。だからと言う訳じゃないですが、僕は、自分の正論ってものにはあまりこだわり過ぎない様に注意するって事が大切だと思っています。その為には、あまり物事を白黒ハッキリつけようと思うのはやめて、グレーゾーンもあるって事は認める様にしてみるといいんじゃないかと思います。そうしていれば、僕は、自分なりの正論ってものにこだわり過ぎる事は減っていくのかな?って思っています。
ゆーすけ
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