スポンサーリンク
どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、以前は余裕で出来ていた事が出来なくなったなんて事を経験した事がないですか?まぁこれに関しては、年齢を重ねてくれば誰だってそんな経験をしていくもんなんじゃないかと思います。また何か病気や怪我をして、以前の様に物事が出来なくなってしまったなんて感じの事も起きたりするんじゃないかとも思います。で、そんな風に以前に出来てた事が出来なくなるってちょっと自分にとってはショッキングな事ですよね。なんか無能感みたいなものを感じてしまいますよね。
でもね、僕は正直言って自分に出来ない事が増えていったとしても、そこまでがっかりする必要なんてないんじゃないかと思います。確かに、生活に必要な事であれば、それが出来なくなったら不便になるなんて事は起きると思います。でもだからと言って、それで全てが終わりって訳でもないんです。それが出来なくたって人生を楽しめないって決まった訳ではないって事なんです。まぁこんな風な事を言っていたら、そんなの極端だって言われるかもしれません。でもね、出来ない事が増えても人生を楽しんで生きてる人ってこの世の中には沢山いるってのも実際なんです。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
出来ない事が増えたと言う事は、次の世代に譲るチャンスがきたと思えばいい
まずなぜ僕が自分に出来ない事が増えてきた事をそこまでがっかりする必要はないと思っているかと言うと、そうなってきたって事は、自分がこれまで出来ていた事を次に世代に譲るチャンスが自分に回ってきたって事だと思うからです。まぁこれって受け入れるのはなかなか難しい事だとは思います。誰だって自分がプレイヤーとしてその場に存在したいって思いは持っていると思うからです。でもね、これは非常に残念な事なのですが、どれだけ自分にとって得意なものであったとしても、自分が絶好調の時ってものを永遠にキープする事は出来ません。必ずどこかしらで出来なくなる事は出てきます。そして、必ず自分の実力ってものは衰えてきます。もうね、こればっかりはしょうがないんです。何をどう頑張っても永遠に同じ事が同じ様に出来るなんて事は絶対にあり得ないんです。
でもそこで必要以上に落ち込む必要は僕はないんじゃないかと思うんです。だって、今の自分にそれを出来ないのなら他の誰かにそれに近い事をやって貰えばいいだけだったりするからです。確かに自分が中心にいてそこで輝きたいってのはあるのかもしれません。でもね、それが出来なくなったら身を引く時期なのかもしれません。でも、なんでそこで落ち込まなくていいかって言ったら、自分にはここまでやってきた事による経験や知識が備わってきているはずだからです。で、これからは、それらを駆使して次の世代に頑張って貰えばいいって感じに考え方を変えていけばいいんじゃないかと思います。そして、これはそうやって指導する立場になってみればわかると思うのですが、次世代を育てるって自分がプレイヤーで頑張るのと同じぐらい、もしくはそれ以上に面白い事だったりするんです。なので、自分が出来ない事が増えて身をひいたほうがいいのかもな?って思った時には、自分のこれまでの経験や知識を誰かに落としていくって事も考えてみて下さい。きっと自分の新たな道は開かれていくと思いますよ。
出来ない事が増えたと言う事は、人に頼るチャンスがきたと思えばいい
で、これもちょっと上に書いた事とつながっているかもしれませんが、僕は、自分に出来ない事が増えてきたと言う事は、人に頼るチャンスがやってきたと思ってみるといいとも思っています。まぁこれってとても難しい事ですよね。これは僕が勝手に感じている事なのですが、人って誰かに頼られる事ってもの凄く嬉しいし、誰かに頼られたいって感じの事を常に思っていたりするくせに、人に頼る事ってのを極端に嫌っていたりすると思うんです。なんか人に迷惑をかけたら負けみたいにとらえている所があるんじゃないと思います。でもね、これは頼られる側になってみるとわかると思うのですが、多くの人が頼られる事に対して迷惑だなんて思ってはいなかったりするもんなんです。てか、むしろ頼ってくれて嬉しいぐらいに思っていたりすると思います。まぁ確かに、頼るフリをしてこちらを利用してくる様な人に対してはそんな事は一切思わないと思いますが、本気で困って頼ってきてくれる人に対して迷惑だなんて思う人ってあんまりいないと僕は思います。
なので、人に頼る事ってそこまで恐れる事でもないんです。てか、人を頼った方がいろんな意味で人生って上手く回っていったりもするんです。で、そのきっかけを与えてくれるのが、自分に出来ない事が増えるって事だったりもするんです。だって、場合によっては、強制的に他人を頼らざるを得なくなる事だってあるからです。まぁだからと言って、自分はやって貰って当たり前って感じで振る舞っていたらダメだとは思います。でも、心の底で相手に対してのちょっとした申し訳なさと心からの感謝ってものがあれば、僕は人に頼ってもそこまで相手の気分を害する事はないと思います。で、可能であれば、自分に出来る事をその人たち(もしくは、世の中)に返していけばいいんじゃないかと僕は思っています。そうする事で、世界ってのはお互い様の精神で回っているって事がわかっていくし、そう言う気持ちで生きていける様になっていくと思うからです。だから、出来ない事が増えるってそこまで悪いもんでもないって事なんです。
スポンサーリンク
出来ない事が増えたと言う事は、工夫するチャンスがきたと思えばいい
とここまでは、自分に出来ない事が増えていったら自分以外の他人に目を向けた方がいいって感じの話をしてきましたが、それでもやっぱり自分でプレイヤーとしてもなんとかして頑張りたいって方もいらっしゃるとは思います。そんな時には、僕は、自分に出来ない事が増えたって事は、自分には工夫する為の機会が与えられたと思う様にするといいと思います。まぁ確かにこれまでと同じ様に出来るって事が楽だし、簡単だとは思います。でも、実際に時間が経ってくると同じ様には出来なくなっていくもんなんです。でも、そこで終わりって思う必要も僕はないと思っていて、自分の工夫次第では、例えやり方は違っていたとしても、以前と同じ様に出来る可能性は十分にありますし、場合によっては以前よりもっと上手く出来る様になるなんて事も稀ながらも起こり得たりもするんです。
なので、僕は、出来ない事が増えてきたら、それをどうやったら今の実力で出来る様になるのかな?って考えて自分なりに工夫していくってアリだと思います。まぁ簡単に諦めなくてもいいって事なんです。で、自分が簡単に出来る状態ももちろん楽しいのですが、出来ない状況を工夫して出来る様にするって状況も楽しいちゃあ楽しいもんだったりするんです。大袈裟に言ってしまえば、可能性は無限にあるって感じです(笑)。ただ以前と同じ様に出来なくなってしまったってだけで、やりようは他にもいくらでもあるし、そう思ってそれを探してみるってのも、出来ない事が増えてからの醍醐味だったりもします。だからやっぱり、自分に出来ない事が増えたとしても、そこまで落ち込む必要はないのかな?って僕は思っているんです。
まとめ
いかがだったでしょうか?人はいろんな理由で以前に出来ていた事が思う様に出来なくなってしまう状態に陥ってしまったりすると思います。で、そんな状況になってしまったら多くの人は、その出来ないって事にがっかりして必要以上に落ち込んでしまったりすると思うんです。でもね、僕は、そんな風に出来ない事が増えてきてしまったとしても、決してがっかりする必要なんてないんじゃないかと思っています。
それはなぜかと言うと、そうやって自分に出来ない事が増えてきたと言う事は、
- 次の世代に譲るチャンスがきた
- 人に頼るチャンスがきた
- 自分が工夫するチャンスがきた
って事につながっていくと思うからです。とう言うよりも、そんな風に考える事が出来る様になれば僕は、自分に出来ない事が増えていっても「まぁいいか」って感じに思える様になっていくんじゃないかと思います。
ゆーすけ
スポンサーリンク
スポンサーリンク
もし私の書いたブログ記事やツイートに価値を感じていただけている方がいらっしゃるのであれば、よろしければ以下よりサポートを頂けないでしょうか?もし少しでもサポートを頂けるのであれば、クリエイター冥利に尽きますし、今後の作品作りのモチベーションになります。
こちらから頂きましたサポートは、今後のブログ記事やツイートの取材費として大切に使わせて頂きたいと思います。
アメリカ在住の為、なかなか日本の本を手に入れる事が出来ません。ツイートやブログ記事の参考にさせていただきます。ご支援いただければ幸いです。
スポンサーリンク