スポンサーリンク
どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、個性的でありたいと思いますか?まぁこれに関しては、ぶっちゃけて賛否両論だとは思います。個性的でありたいと思う人もいれば、出来るだけ目立たない様にしていたいって人もいると思います。まぁ僕は別にどちらでもいいと思います。確かに世の中では個性的であるって言う事が良い事だなんて感じの風潮がありますが、僕は必ずしもみんなが個性的である事を目指す必要はないとは思っています。
で、皆さんは、個性的であるってどう言う事だと思いますか?これは完全に僕の勝手な想像なのですが、ほとんどの人が何か奇抜な事をするとか、突拍子もない事をするって事を個性的であるって考えていたりするんじゃないかと思います。でもね、僕は、正直言ってそうする事だけが個性的であるとは思いません。例え奇抜でなくても、突拍子もない事をしなくても個性的である事は可能だとは思っています。てか、個性的であるって事は、決して奇抜な事をするって事ではないって事はわかっていた方がいいんじゃないかと僕は思っています。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
奇抜な事をして目立ったとしても、それが心地よくないなら何の意味もない
まぁ確かに奇抜な事をしたり、突拍子もない事をすればそれは個性的と判断するのは簡単かもしれません。だって、もうそれだけで人と違っているんですから。それはそれで個性的ではありますよね。でもね、僕はそれが本当に自分のやりたい事であるのならって条件がそこには絶対に必要だとは思います。それがもし自分が他人から目立つ為にって感じで作られた奇抜さであったり、行われた突拍子もない事であったとしたなら、それは僕はあまり意味はないと思っています。てか、それをやる事に心地良さってものを感じていなのだとしたら、そこにはなんの意味もないとすら思っています。でも、それで他人と区別がついて目立てるのだったら、それはそれでありでしょって思う方もいらっしゃるかもしれません。でも、それって本当なんでしょうか?僕にはとてもそんな風には思えないんです。
それはなぜかと言うと、そこには無理している自分がいると思うからです。確かに奇抜な事をしたり、突拍子もない事をして目立てばその時は、自分が個性的でありたいと言う気持ちは満たされるのかもしれません。でも、僕はその気持ちが長く続くとはちょっと思えないんですよね。だって、それは作られた個性であると思うからなんです。確かに初めは個性的と言う評価を周りから受ける事は出来るのかもしれません。でも、そのフェイクはどこまで続けなきゃいけないんでしょう?個性的であり続けるには、永遠に自分を偽り続けなきゃならなくなるんじゃないかと僕は思います。で、いずれ自分が自分でない感覚に陥って偽物の自分でいる事が苦しくなっていくと僕は思います。なので、どれだけ個性的になりたいと思っても、そうする事だけを目的にして、偽物の奇抜さってものを自分の中に取り入れようとするのは僕はやめた方がいいと思っています。そして、僕は、そう言う事が個性的って事では絶対にないとも思っています。
この世にいる全ての人は個性的
で、もしかしたら、こんな事を言ってもなかなか信じて貰えないとは思っているんですけど、僕は、この世にいる全ての人はもう存在しているだけで個性的であるって思っているんです。だってこの世に存在している人の中に誰1人として同じ人なんていないからなんです。まぁそんなの当たり前だって思うと思います。でも、それは理解していても、全ての人が個性的なんだって事はちょっと理解出来ないって人が大半なんじゃないかと思います。でもね、これは本当の話なんじゃないかと僕は思っています。まぁ実際には、人と全く違っていて珍しい何かを持っている人ってのを個性的って言う風潮があるので、目立ってなければ個性的とは思えないとは思います。でもね、僕は、誰1人として同じ人がいないんだったら、もうそれはこの世に存在してる全員が個性的だって言っている様なもんなんじゃないかと思っています。なんかトンチみたいな感じで騙されている様な気分になってしまうかもしれません。でも、僕は、やっぱりこの世に存在している全ての人は個性があると思っていて何も問題はないんじゃないかと思っています。
なので、僕は、もう自分が人と違っているとか、人と同じで埋もれてしまっているとかって事を考えたりするのはやめていった方がいいと思うんです。だって、それって単に、自分と似た様な人たちの中にいれば目立たないし、自分と違っている人たちの中に入れば目立つってだけの話だったりするからです。もうね、そんな感じで人と比較をするのはあんまり意味がないんです。誰だって、どこかしらは誰かと違うし、どこかしらは誰かと同じなんです。そんな事に一喜一憂してもどうにもならないって感じです。なので、奇抜であるとか、奇抜じゃないとか考えずに自分らしくしていれば僕はいいんじゃないかと思います。僕は、そうする事が結局個性的って事につながっていくんじゃないかと思っています。
スポンサーリンク
とにかく何をするにも自分の心地よさを追求していくといい
基本的に存在している時点で誰もが個性的であるとして、じゃあどの様にしたら自分の個性ってものを磨いていける様になっていくのでしょうか?これに関して僕が思っているのは、目立つ目立たないなんて事を考えずに自分の心地いいって感覚を追求していくって事なんじゃないかと僕は思っています。だって、目立とうが目立つまいが、個性的は個性的なんです。それだったら自分が無理をしないって事が1番大事な事なんじゃないかと僕は思うんです。それはなぜかと言うと、僕は無理をしていなければ自分が自然体でいられて、かつ自分が自分の事を楽しんでいる状態だったりするんじゃないかと思うからです。そう言う時って僕は、自分がイキイキと輝いている状態であるとも思うんです。
そうやって自分がイキイキとしていると、僕は自分に自信が出てくるとも思います。で、人ってそんな感じで自分がイキイキして自信が溢れている人に惹きつけられたりするもんです。そして、周りの人がその人に惹きつけられて真似したりしてる状態になっている人を世間は個性的って言っていたりもするんです。それに加えてこの場合は、自分が自然体でいる分自分が後から辛くなっていく事なんかは起こりません。ただひたすらに自分らしく振る舞っていれば周りが勝手に個性的だと思ってくれるって訳なんです。もうそれだったら、無理して自分を偽ってまで奇抜な事をする意味なんかないですよね。こんな意味からも、僕は、個性的になりたいと思うのであれば、敢えて自分の心地よさを追求して自分らしくい続けるって事が大事なんじゃないかと思っています。
まとめ
いかがだったでしょうか?なんだかんだで誰もが個性的でありたいなんて事を思っていたりするんじゃないかと思います。口ではそうじゃないって言っている人であっても、心の中では可能なら個性的になりたいって思っていたりもするんじゃないかと思いまです。でも、多くの人が個性的であるって人とかけ離れているって事だと思っていたりするから何となくそうする事に二の足を踏んでしまったりしていたりもするんじゃないでしょうか。でも、僕は、そんな感じで、奇抜な事をしたり、何か突拍子もない事をする事だけが個性的って訳じゃないと思っています。そんな事をしなくても個性的でいるって事は十分可能なんです。
と言うよりも基本的には、この世に存在している全ての人はその人なりの個性を持っています。なので、僕は無理に頑張って個性的になろうとする必要なんかないんじゃないかと思っています。だって、無理して奇抜な事をしたり、突拍子もない事をしても、それが偽りの自分であるならなんの意味もないんです。そんな作られた個性には何の魅力も生まれません。それよりも、自分が自分の心地いいを追い求めて自分自身を楽しんでいるって事が大事なんじゃないかと思います。僕はそんな感じで自分がイキイキしてりゃもうそれだけで個性的って事なんじゃないかと思っています。無理に奇抜である必要なんて全くないって事なんです。
ゆーすけ
スポンサーリンク
スポンサーリンク
もし私の書いたブログ記事やツイートに価値を感じていただけている方がいらっしゃるのであれば、よろしければ以下よりサポートを頂けないでしょうか?もし少しでもサポートを頂けるのであれば、クリエイター冥利に尽きますし、今後の作品作りのモチベーションになります。
こちらから頂きましたサポートは、今後のブログ記事やツイートの取材費として大切に使わせて頂きたいと思います。
アメリカ在住の為、なかなか日本の本を手に入れる事が出来ません。ツイートやブログ記事の参考にさせていただきます。ご支援いただければ幸いです。
スポンサーリンク