スポンサーリンク
どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、「信じるものは救われる」って言葉を聞いてどう思いますか?まぁ正直言って微妙な感じですよね。何かを信じるって大事な事だとは思いますが、それが救いにつながるかって言われたら、それはどうなのかな?って思っちゃいますよね。だって、この世の中には沢山の何かを信じている人がいるはずなのに、その全ての人が救われている様にはとても見えないですもんね。確かにその気持ちはとてもよくわかります。なんかこの言葉って正しいのか、正しくないのかよくわからないですよね。
でもね、僕は、なんだかんだで、信じるものって救われていると思うんです。まぁそこには条件はつくとは思ってはいますが。ただ信じて受け身になって待っていてもそれは救いにはつながらないとは僕は思っています。だって、自分を救えるのって自分だけだったりするからなんです。受け身になって、誰かが救ってくれるだろうって思っていたんじゃあ、いくら何かを信じていても自分は救われる事はないんじゃないかな?って僕は思っています。まぁでも、自分は救われる(もしくは、救われてる)って信じる事は大事だとは思っています。てか、それが「信じるものは救われる」って事なんじゃないかとも僕は思っています。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
人はもう既に救われていると信じる事は忘れない
まず「信じるものは救われる」って言葉に対して最初に僕が思う多くの誤解ってのは、この言葉を聞いた時に、ほとんどの人が、救われていない自分が信じさえすれば救われていくって感じのイメージを持っているんじゃないかって事なんです。でもね、僕は、思うんですけど、この世にいるほとんどの人ってもう既に救われているんです。もうこればっかりはそう言うもんだと認めるしかないんじゃないかと思います。で、それを認めるって事が結局は信じるって事なんじゃないかと思います。なんだか禅問答みたいな感じで何言ってのかわからないって感じもあるかもしれませんが、僕は、そう思ってみる事がやっぱり大事なんじゃないかと思っています。
でも、こんな話をすると、どう考えても辛い人生を送っている人がいて、その人が救われているとは到底思えないって意見も出てくるとは思います。確かにもの凄い辛い人生を歩んでいる人はいます。でも、その人が救われていないって本当なんでしょうか?僕は、救いがゼロって事は絶対にあり得ないと思っています。その人の中では、その人なりの感じで少しは救われていたりするんです。でも、そこを一切認めず、自分は何1つ救われていないって思ってしまうと人生ってのはもっともっと辛くなっていくんじゃないかと思います。皆さんも自分の人生を振り返ってみて、それなりに救われてきた事があるんじゃないでしょうか?そして、もしかしたらこれは極端だって言われるかもしれませんが、今生きてるって事は、何かしらで救われているから生きていられているって事なのかもしれないんです。まずはそこを信じてみる(もしくは、認めてみる)って所から始めてみるといいのかもしれません。僕は、それが「信じるものは救われる」って事の第一歩につながるんじゃないかと思っています。
救われると信じる事が出来ていれば行動が起こせる
じゃあなぜ僕が、もう既に救われてるって信じる事が大事なのかと思っているかと言うと、そう信じる事が出来ていれば、自分の人生を変える為の行動を起こしていきやすくなると思うからなんです。もうね、これは先ほども言った様に、いくら自分は救われてるって思った所で、救いが向こうから自分に向かってやってきてくれるって感じで受け身でいる間は、どうやっても救われる事ってないと僕は思っています。これはちょっと厳しい言い方なのかもしれませんが、僕は本気でそんな風に思っています。やっぱり自分を救いたいのなら、自分が救われる様に何かしらの行動を起こしていかなきゃ最終的には自分は救われないんじゃないかとも思っています。でも、その行動が上手くいくのかわからないって思ってしまうと、人はなかなか踏ん切りがつかずに行動を起こす事に躊躇してしまうんじゃないかと僕は思うんです。
だから、そこで自分は救われると信じる事なんだと思います。それが出来てさえいれば、人は挑戦出来ると僕は思っています。だって、行動を起こしている限り、何があっても自分は救われるんです。それなら行動を起こさない理由はどこにもないんじゃないかと思います。まぁこんな事を言うと、そんなにポジティブに考えられないっておっしゃる方もいらっしゃるとは思います。でも、これは決してポジティブに考えている訳ではないと僕は思っています。まぁ信じるか信じないかは別として、先ほどもちょっと言った様に、人はもう既に救われているんです。で、それを信じる事が出来ればそれに気がつきやすくなるって感じなんです。だって、もし自分が絶対に救われないって思っていたら、どんなに自分にとっていい事が起きたって、それに対して懐疑的になってそのいい事を受け取れないなんて事になってしまうと僕は思います。それって本当にもったいない事だと思いませんか?なので、僕はどうせだったら、自分は救われる(もしくは、救われている)って信じてみちゃうって方が生きやすくなる為のコツなのかな?って思っています。
スポンサーリンク
自分が救われると信じる事に根拠はいらない
でもね、それでもやっぱり自分の人生なんて絶対に上手くいかないし、自分の人生が救われる事なんて絶対にないって思われる方も出てくるとは思います。でも、ここから先はもう自分次第だと思います。僕は、自分は救われるとなんとかして信じるしかないんじゃないかと思います。だって、自分が救われないなんて事を信じたって何1ついい事なんてないんですから。どうせ信じるんだったら、いい事が起きる方を信じちゃった方がいいと僕は思うんです。でも、何を根拠にして信じたらいいのか?ってのがよくわからないから信じられないってのもあるとは思います。まぁこれは僕の持論でもあるんですが、信じる事に根拠なんていらないんです。てか、いくら根拠があったってそれが100%の保証になる事なんてないんです。99%上手くいきそうでも1%は上手くいかない可能性は絶対に消えてはなくならないんです。もうそれだったら、どれくらいの確率とか、根拠がどうのとかって事は一旦忘れてただひたすらに信じてみればいいんじゃないでしょうか?
でね、やっぱり信じていれば自分の意識や思考ってそっちの方に引っ張られていくので、自分に訪れた救いってものが目につきやすくなるんです。で、そうしていれば自分の人生の流れは確実に良い流れになっていきます。で、気がついたら本当に救われていたなんて状態になってしまうと思います。でも、ここで繰り返しておきますが、そこに行動があるのならってのは忘れない様にして下さい。ただ受け身で誰かが救ってくれるなんて思っていても自分が救われる事はないですし、最悪の場合誰かに騙されてしまうなんて事にもなりかねません。根拠はなくても、自分は救われると信じて、自分を救う為の行動を起こすって事を続けていれば絶対に自分は救われます。辛いかもしれませんが、そう思って辛抱してりゃきっとなんとかなると僕は思っています。
まとめ
いかがだったでしょうか?「信じるものは救われる」って言葉を聞くとなんだか、信じてさえいれば何もしなくても救われていくって感じてしまうかもしれません。でも、僕は正直言ってそうは思ってはいなくて、自分を救う為には自分を救う為に対する何かしらの行動は起こしていかなきゃならないとは思っています。受け身で待っていても絶対に自然と自分の辛い状況が消えてなくなる訳ではないと思うからです。
でもだからと言って、その言葉が嘘なのか?って言ったらそうとも思っていなくて、自分が救われると信じるって事は絶対に大事だとは思っています。そうしていれば、自分にやってきた救いってものに気がつきやすくなるし、自分を救う為の行動も起こしやすくなると思うからです。てか、人は基本的にはもう既に救われていたりもするんです。なので、どれだけ自分が救われるって事に自信が持てなくなても、とにかく信じてみるって事は大事です。そうしていれば、いずれ流れは自分の方向に向いてきます。たぶんそう言う事が「信じるものは救われる」って事なんじゃないかと僕は思っています。何はなくとも信じてみるって事が最初の第一歩なんだと思います。
ゆーすけ
スポンサーリンク
スポンサーリンク
もし私の書いたブログ記事やツイートに価値を感じていただけている方がいらっしゃるのであれば、よろしければ以下よりサポートを頂けないでしょうか?もし少しでもサポートを頂けるのであれば、クリエイター冥利に尽きますし、今後の作品作りのモチベーションになります。
こちらから頂きましたサポートは、今後のブログ記事やツイートの取材費として大切に使わせて頂きたいと思います。
アメリカ在住の為、なかなか日本の本を手に入れる事が出来ません。ツイートやブログ記事の参考にさせていただきます。ご支援いただければ幸いです。
スポンサーリンク