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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、この人とはどうやってもわかり合う事が出来ないなって感じの人がいたりしませんか?まぁ人生を生きてきてそう言う人に出会った事がないなんて人はいないんじゃないかと思います(もしそんな人には出会った事がないなんて人がいるのだとしたら、それは相当ラッキーな事だと思います(笑))。で、そう言う人と関わり合いを持たなきゃいけないなんて状況に陥ってしまったらとても辛いですよね。だって、関わらなきゃいけない限りなんとかしてわかり合わなきゃいけないんじゃないかと思いますもんね。

でもね、正直言って僕は、わかり合えない人とはわかり合わなくてもいいんじゃないかと思ってます。だって、その人とはどうやってもわかり合えないんです。無理してわかり合おうとなんてしなくていいんじゃないかと思います。まぁだからと言って完全に無視をしろって感じの事を言いたい訳ではないんです。わかり合えないなりにもお互いが歩み寄ったりする必要はあるかとは思います。でもだからと言って、そんな人とはわかり合えなくていいんです。わかり合えない人とはわかり合わないままでいてもいいと僕は思っています。そして、そんな風に気持ちを割り切る事が出来れば少しは人付き合いってものが楽になっていくんじゃないかと僕は思っています。

ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
お互いの線は平行線のままでもいい
じゃあなぜ僕がわかり合えない人とはわかり合わないままでもいいと思っているかと言うと、別にお互いの線(もしくは、考え方)がどこかで交わる必要なんかないと思っているからです。お互いの線が平行線なら平行線のままでも特に問題はないと僕は思っているからなんです。だって、そうですよね。この世の中にはどれだけの人間が存在してると思いますか?まぁちょっと多めに見積もりますが約80億人の人が世界には存在してる様なんです。で、それだけ沢山の人がいれば、全く話が平行線をたどってわかり合えない人が存在してもおかしくないと思いませんか?まぁこれはもの凄く極端な話をしてるってのはわかりますが、こうでもしないとわかり合えない人がこの世には必ずいるって事はピンとこないんじゃないと思うんです。

でも、自分の周りにはそんな80億人もいないし、なんで自分の周りにはこんなにも沢山のわかり合えない人が存在してるかわからない、なんて事を思われるかもしれません。でも、自分の周りにわかり合えない人が沢山いるって別に普通の事なんじゃないかと思います。もしかしたら、皆さんの多くの方は、自分とわかり合えない人が80億分の数人とかって思ってるかもしれませんが、僕の見積もりではわかり合える人とわかり合えない人の割合って半々ぐらいだと思っています。と言う事はですよ、この世に存在してる約40億人の人とはわかり合えないって事にもなるんです。こう言えばなんとなくわかり合えない人が自分の周りに沢山存在してもおかしくないって感じに思えたりしませんか?だからって言う訳じゃないですが、自分にはわかり合えない(もしくは、お互いの線が決して交わる事がない)人がいるって思っていいと思いますし、それだけ沢山いるわかり合えない人全てとわかり合おうとなんてしなくても僕はいいんじゃないかと思っています。

わかり合えない人とわかり合う事に時間を費やす必要はない
まぁそんな風に世の中にはわかり合えない人がいるってわかった所で、自分が関わる出来るだけ多くの人(もしくは、全ての人)とわかり合いたいって気持ちが拭い去れないって気持ちもわかります。そりゃ全ての人と理解し合えればそれは理想的なのかもしれません。でも、やっぱり先ほども言った様にこの世の中にはどうやってもわかり合えない人ってのは存在してしまうんです。でも、多くの人がそう言う人とわかり合えない事に何かしらの罪悪感みたいなものを感じてしまうからわかり合えない人ともわかり合おうとしてしまったりするんじゃないかと僕は思うんです。もうね、これは今の教育のシステムに原因があるんじゃないかと思います(まぁだからと言って、今の教育システムを批判したい訳ではないって事はわかっていて下さい)。それはどう言う事かと言うと、今の教育では「全ての人と仲良くする」って事が良しとされている様な気がするからなんです。でも、社会にはどうやってもわかり合えないとか、仲良く出来ない人って存在するってのも現実なんです。で、その矛盾に対して多くの人が罪悪感を感じてしまうんじゃないでしょうか。まぁこればっかりはどうしようもないとは思います。

なので、まずそう言う風にわかり合えない人と出会ってしまった時には、わかり合えない事に罪悪感を持つ必要はないって事は思い出す様にしてみて下さい。もうね、何度も繰り返しますが、お互いがわかり合えない人はどうやってもいるんです。そして、次に忘れないでいて欲しいのは、そう言う人とわかり合う事に必要以上に時間を費やす必要はないって事なんです。もうこれは禅問答みたいになってしまいますが、どうやってもわかり合えないんですよ。わかり合おうとするだけ無駄だと思いませんか?別にこれは諦めろって事を言いたい訳ではないんです。ただ無理な事を無理やり押し通そうとしても、自分も相手も苦しくなるだけなんじゃないかって感じなんです。なので、僕は、ある程度わかり合おうと努力してわかり合えない人とは、わかり合わなくてもいいんじゃないかと思います。わかり合えないなら、わかり合えないなりに付き合っていけばいいだけなんじゃないかと思います。

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自分も相手もわかり合える人とわかり合っていけばいい
じゃあ結局これから自分はどうしていけばいいのでしょうか?それに関して僕が思っているのは、お互いがわかり合える人とわかり合っていけばいいんじゃないかって事なんです。だって、それだったら自分も相手も理解し合えるので、お互いの間で物事はスムーズに進んでいくと思いますし、お互いの気持ちも楽になっていくんじゃないかと思います。もうこんなの言うまでもない事ですよね。そして、出来るならこんな風に生きていくのが理想だと思いますよね。じゃあそんな感じにしちゃえばいいと僕は思います(笑)。無理にわかり合えない人とわかり合おうとなんてしなくて一切構わないんです。それくらい割り切っちゃって僕はいいんじゃないかと思います。

でもそうなると自分とはわかり合えない人はどうしたらいいのでしょう?なんかその人たちの事が可哀想な気持ちになっちゃいますよね。でもね、その自分がわかり合えない人ってのは、自分としか付き合っていなのでしょうか?そんな事ないですよね。その人だって自分以外に関わり合いを持つ人は沢山いるはずですよね。これは僕は思うんですけど、その人たちにだってわかり合える人は絶対にどこかにいるはずなんです。だから、自分とはわかり合えない人には、その人がわかり合える人とわかり合って貰えばいいんじゃないかと僕は思っています。なんでもかんでも自分が中心にいる必要はないんです。で、きっとその人だって、わかり合える人とわかり合った方がずっと気分はいいはずです。だから、わざわざ自分がその人とわかり合わなくてもいいって感じの事を僕は言いたかった訳なんです。

まとめ
いかがだったでしょうか?残念ながら誰にでもどうやってもわかり合えない人っていると思います。そんな人に出会った時には、めんどくさいって思うのと同時に、わかり合えなくて申し訳ないなんて気持ちになってしまうんじゃないかと思います。でも、僕は、そんな風にわかり合えない人がいるのって当然の事だし、わかり合えない人とはわかり合えなくても特に悪いと思う必要はないと思っています。てか、僕は、わかり合えない人とは、わかり合わなくてもいいんじゃないかぐらいに思っています。

それはなぜかと言うと、この世には確実に自分とはわかり合えない人ってのは存在するからです。そればっかりはどうやっても避けられないんです。なので、逆にわかり合おうってする事の方が無理があったりすると僕は思います。で、結局そう言う人とはどこまでいってもわかり合えない事が多いんです。だから、わかり合えない人とわかり合おうとする事自体が多くの人にとって時間の無駄になってしまったりもするんです。悲しいかもしれませんが、もうこれはそう言うもんだと受け入れていくしかないんじゃないかと思います。で、そんな事に時間を費やすぐらいなら、わかり合える人とわかり合っていく事に集中していった方がいいんじゃないかとも思うんです。そうした方がお互いが気持ちいい関係が築いていけると思うからです。同様に、自分とはわかり合えない人には、その人がわかり合える人とわかり合って貰えばいいだけなんです。だから、もし自分がどうやってもわかり合えない人がいたとしても、そこに罪悪感なんて感じる必要はないと思いますし、わかり合えないままでいたって別に気にする事はないんじゃないかと僕は思っています。

ゆーすけ
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