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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、自分がどうなりたいかって言う様な事を考えた事ってないですか?まぁ小さい時ってこう言う事を大人から聞かれる事なんかが多いと思うので、自分が将来どうなりたいかって事は少なくとも1度や2度ぐらいは考えた事はあるんじゃないかと思います。で、こう言った感じの自分の未来や将来について考えるのって結構楽しいですよね。僕は未だに自分は将来こんな風になりたいなって事は考えていたりします。おそらく皆さんもそんな感じだったりするんじゃないかと思います。
でもその一方で、皆さんは、自分がどうありたかって事を考えた事ってありますか?先ほどの自分がどうなりたいのかって事と何が違うんだって思われるかもしれません。でも、これらは全く違う事なんです。簡単に言うと、どうなりたいかって言うのは自分の未来像で、どうありたいかは現在の自分って感じでしょうか。そして、僕は、この自分がどうありたいかって事も、自分がどうなりたいかって事と同じぐらい普段から考えているって事がとても大切な事だと思います。おそらく、それが自分が自分の人生を自分らしく生きていく為の指針ってものになっていくと思うからです。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
自分がどうありたいかがわかっていないと必ず人に流されてしまう人生になる
じゃあなぜ僕が、自分がどうありたいかって事を普段から考えていた方がいいと思っているかと言うと、そう言うものがわかっていないと必ず人に流されてしまう人生になってしまうと思うからなんです。まぁどうありたいかって、自分のどうやっても譲れない部分って言い換える事も出来るんじゃないかと思います。この自分が譲れない部分ってものがわかっていないと、例えば、周りから何かを頼まれたり、誘われたりした時なんかに、それに乗るのか反るのかってのが自分で決められなくなってしまう様になってしまうんじゃないかと僕は思うんです。要は、人の顔色を伺って自分の人生を生きてしまう事になってしまうんじゃないかと思います。そんなんで自分の人生を生きているって胸を張って言えますか?おそらくそんな事ないですよね。なんとなく他人の人生を生きてしまってる様な気持ちになってしまいますよね。それって悲しくないですか?なので、僕は、自分の生きる為の指針をはっきりさせる為にも、自分がどうありたいのかってよく考えているって事が大事なんじゃないかと思います。
まぁ簡単に言い換えるなら、自分軸で生きるには自分の軸がわかってなきゃならないって感じでしょうか。そりゃそうですよね。自分はこう言う人で、こう言う生き方をしていくって事が決まってないのに、一貫して自分らしく生きていくなんて事は出来ないですよね。だから、普段から考えていく事が必要なんです。じゃあなぜ普段から考えておく事が必要かと言うと、そう言った自分の軸ってものは、時代や場所、もしくは自分の経験などによって変わっていくものだと思うからです。自分はこう言う人間だって一回決めたからって変えちゃいけないものでは決してないので、その都度その都度自分の軸を調節していく為にも、自分がどうありたいのかって事はいつも考えていく必要は僕はあると思います。てか、それは絶対に考えていかなきゃいけない事なんじゃないかと思っています。
自分がどうありたいかに正解はない
そして、次に自分がどうありたいかを決めていく時に忘れないでいて欲しいのは、自分がどうありたいかに正解なんてものはないって事です。これは僕の予想なのですが、こうやって自分がどうありたいかを考える様になったとしても、結局多くの人が、本当に自分がどうありたいのかってものを考えるのではなく、周りから見たらどうあったら良いと思われるかって事を基準にして考えてしまうんじゃないかと思います。要は、世間的に受け入れられそうな自分のありたい像みたいなものを目指そうとしてしまうって感じでしょうか。確かに世間に受け入れられた方がなんとなく良い自分になっていく様なきます。でも、ここで冷静になって考えてみて下さい。それじゃあ結局自分がどうありたいかって言うよりは、どうあったら自分は世間に認められるかって事が基準を決める中心になっていて、結局他人の基準で自分のありたい姿を決めているって事になってしまうと思うんです。
まぁそんな事をしてたら完全に逆戻りになってしまいますよね。もうね、ここから先は周りにどう思われるかなんて一切気にせずに、自分と言うものはどう言う人間で、どう言う生き方をしていくのかってものは、自分の基準で決めていかなきゃ僕はいけないんじゃないかと思います。もうこればっかりは、周りに何を言われても譲る必要なんかはないんじゃないかと思います。だって、それが自分にとっての本当にありたい姿ってものなんですから。そこに合ってるも、間違ってるもないんじゃないかと思います。それで誰かに嫌われちゃったとしても、それはそれでしょうがないし、それで誰かに怒られちゃったとしても、それはそれでしょうがない事なんです。例えそれがどんなものであったとしても、自分で決めた自分のありたい姿ってものには自信を持って、胸を張って生きていくって事が絶対に大切だと僕は思っています。
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自分がどうありたいかってものには、たった今からなる事が出来る
で、これは、自分がどうなりたいかって事との大きな違いでもあるとは思うのですが、自分がどうありたいってものは、自分がこうあると決めた時点から、そうある事が出来る出来るって事なんです。自分の思い次第で自分を変えていく事は可能だって事なんです。そして、自分が決めさえすれば一瞬で変わる事も出来るんです。これって本当に凄い事だと思いませんか?だから、常に考えていく必要があるんだと僕は思っています。だって、昨日まではいい事だと思っていた事が、今日になってみたらそうは思えなくなってしまったなんて感じの事はよく起こると思うんです。でも、それに合わせて自分を素早く変えていく事が、もし不可能なのだとしたら、自分の中に矛盾が生まれて自分が生きづらくなってしまうんじゃないかと僕は思います。
結局ここで何が言いたいかと言うと、自分がどうありたいかって事はどんどん変わっていってもいいし、それに合わせて自分がどんどん変わっていってもいいって事なんです。でもここで大事な事は、そうする事を自分で決めているって事なんです。誰かに言われたからとか、みんながやってるからとかって言う理由で自分がどうありたいかを決めないって事なんです。やっぱりなんだかんだで、自分がどうありたいかって言う自分の軸ってものは、自分で決めていくって事が一番大事なんだよって事なんです。で、自分で決めたものであるなら、それは全て正解でいいんじゃないかと僕は思っています。
まとめ
いかがだったでしょうか?基本的に人は、自分がどうなりたいのかって事はよく考えるんじゃないかと思います。確かにそれは大事な事です。でも、僕はそれだけじゃなくて、自分がどうありたいのかって事も普段から考えておくって事はとても大切な事なんじゃないかと思っています。それが自分のアイデンティテーや、自分の人生を自分らしく生きていく為の指針ってものになっていくと思うからです。
そして、そう言うものが自分の中でしっかりとわかっていないと、結局周りに流されて自分の人生を生きる事が出来なくなってしまうと思うんです。確かに自分がどうありたいかって自覚する事はそんなに簡単な事ではないとは思います。だから、考え続ける必要があるんじゃないかと僕は思っています。そして、自分がどうありたいかって事に関しては、他人や世間の正解なんかを探さずに自分が本当にありたい姿ってものを追い求める様にするといいんじゃないかと思います。そして、そう言うものがわかったとしたら、すぐその場から、そのありたい自分に変わっていけばいいんじゃないかと思います。そうしていく事が、きっと人生を充実したものにしてくれるし、自分も生きやすくなるんじゃないかと僕は思っています。
ゆーすけ
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