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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、人前にいる時はカッコいい自分ってものでいたいと思いますか?まぁこれに関しては聞くまでもないですよね。人に対してわざわざカッコ悪い自分を見せる必要なんかないですもんね。で、出来れば多くの人に自分の良い面を見て貰いたいって思うのが普通の事なんじゃないかと思います。だから、誰の前でもカッコいい自分でいたいですよね。そりゃ僕だって、そう思います。わざわざカッコつけたりするつもりはないですが、それなりに自分の事は良く見られたいとは思っています。
でもだからと言って、常にカッコいい完璧な自分でいられるか?って言ったらそんな事は絶対になくて、時にはドジだったり、情けなかったりなんて事もあるんじゃないかと思います。で、そんな自分を見られた日にゃあ、顔から火が出る様な思い出恥ずかしくてたまらないんじゃないでしょうか。そんな自分を曝け出したらバカにしてくる人なんかが周りに出てくるでしょう(面と向かってバカにしてくるか、陰でコソコソバカにしてくるかは別として)。でも、そんな中でも、ドジでも情けなくても普段と変わらず自分に接してくれる人ってのも自分の周りにはいるんじゃないかと思います。僕は、その人が自分にとってどの様な関係の人であったとしても、そう言う風に、ドジな自分でも、情けない自分でも変わらず接してくれる人の事は絶対に大切にした方がいいと思っています。そして、もし可能であれば、そう言う人となるべく長く一緒にいるといいんじゃないかと思っています。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
ドジな自分でも、情けない自分でも変わらずせしてくれる人は、自分と言う人間自体を受け入れてくれている
まず最初に、なぜ僕が、ドジな自分でも、情けない自分でも変わらず接してくれる人を大事にして、そう言う人と一緒にいるといいと思っているかと言うと、そう言う人は、おそらく自分と言う人間自体を受け入れてくれていると思うからです。それとは逆に、ドジな自分だって、情けない自分だって自分なのに、それを相手が受け入れてくれてないとしたら、その人は、ドジじゃなくて、情けなくもない自分じゃないと認めてくれないって事ですもんね。それって、ある特定の自分(例えば、何かしら相手にとってメリットがある自分って感じでしょうか?)じゃなきゃ自分として見てくれないって事ですよね。皆さんだったら、そんな人を大事にしたいと思いますか?そして、そんな人と一緒にいたいと思いますか?おそらくそんな事ないですよね。こんな感じで冷静に話している時は、それを理解していたとしても、人って意外とある特定の自分だけを相手に認めてもらう為に演じてしまったりもするんです。これって不思議ですよね。でもね、本当にそう言う事は起こり得るんです。
例えばこれって、自分が相手の事を好きで相手に好かれたいなんて思っている時に起こったりするんじゃないでしょうか?だって、相手の好みに自分を近づけていけば、自分の事を好きになってくれますもんね。でも、これって完全に相手のメリットでしかないですよね。相手だってそりゃ自分の好みの人が自分の周りにいてくれたら、嬉しいですもんね。で、基本的にこう言う場合って、自分のドジな面や情けない面なんかを相手が気に入ってくれる事なんてないと思うので、そうでない自分を演じてるって事になりますよね。もうこうなってしまったら、ドジな自分や情けない自分は相手に見せられなくなってしまいますよね。だって、そんな事をしたら相手に嫌われてしまうかもしれないですもえね。そして、大抵の場合、そんな人が自分のドジな面や情けない面を見ても変わらず接してくれるなんて事ってあまりない様な気もします。
ここまで話してきて、おそらく皆さんもなんとなくお気づきかもしれませんが、こう言う人と一緒にいると自分が自分じゃない様な感じになって、凄く苦しくなってしまうんです。そんな意味からも、僕は自分のドジな面や情けない面を見ても変わらずに接してくれる人っ絶対に大事にした方がいいと思います。だって、そう言う人と一緒にいれば、もの凄く気楽に生きていけると思うからです。
ドジで情けない自分を晒せるって事はその人の前では自然体でいられるって事
じゃあなんでそう言う風に、ドジな自分や情けない自分を見せても変わらず接してくれる人と一緒にいると気が楽になるのかって言うと、おそらくその人の前では自然体でいられるからなんじゃないかと思います。そりゃそうですよね。だって、ドジな自分や情けない自分ってたぶん自分の中で一番人に見られたくない自分だったりするんじゃないかと思うんです。そして、そう言うものを見せたとしたも相手が自分の事をなんとも思わないんだとしたら、何かを演じてその人の前でいいカッコをしなくてもいいんですもん。気楽以外の何ものでもないんじゃないかと思います。
そして、もう1つ大事な事は、この手の人たちは何があっても自分の事をチヤホヤしてくれないって事です。えっ?それの何が大事なの?って思いませんでした?時には、チヤホヤされたいですよね。でもね、人は、ちょっと自分がいい時にチヤホヤされたら絶対に調子に乗ります。で、調子に乗ったら確実に転落していきます。でも、本当にこちらの人間性とか出なくて、周りについているもの(例えば肩書きとか、容姿とか)を気に入って近づいてくる人って、上手く取り入ろうと必ずチヤホヤしてきます。これに騙されちゃいけません。大抵の場合は、こんな事をしてくる人は、こちらの調子が悪くなった途端に蜘蛛の子を散らす様に離れていきます。でも、ドジな自分や情けない自分を受け入れてくれる人は、調子が悪くなった所でこちらの元から去っていくなんて事は絶対にないんです。だって、調子が悪い時にすでに変わらずそばにいてくれたんですから。
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ドジな自分でも、情けない自分でも変わらずせしてくれる人に対しては、同じ様に接する
で、ここまでの話で、ドジな自分でも、情けない自分でも変わらず接してくれる人のことは大事にした方がいいって事はわかったと思います。では、そう言う人を大事にする為にはどの様にしていけばいいのでしょうか?これに関して僕が思うのは、自分に対して接してくれている様に相手にも接するって事なんじゃないかと思います。そんなの当たり前だって思うかもしれませんが、多くの人がこれを出来てないんじゃないかと僕は思っています。相手と同じ様に接するって事は、ドジな相手も、情けない相手も、受け入れていつもと変わらず接するって事ですよ。本当にそれが出来ている人って限りなく少ないんじゃないかと僕は思います。
僕が思うのは、多くの人が、自分にはそう言う風に接しては欲しいけど、相手に対しては完璧を求めたり、ドジで情けない相手の姿なんて見たくないなんて思っていたりするんじゃないかと僕は思います。でもね、それってもの凄くズルいと僕は思うんです。そりゃそうですよね。自分のダサい所は認めて欲しいけど、相手のそう言う所は許さないなんて。まぁかと言って、無理にそう言うドジな所や情けない所を認めろとは思いません。でも、そう言うものが全く気にならない相手っていると思うんです。そう言う人と一緒にいるって事も僕は大事だと思います。まとめるなら、自分のドジな面、情けない面を受け入れてくれて、相手のドジな面、情けない面も全く気にならない様な人と一緒にいるってのが僕は最高な関係なんじゃないかと思っています。
まとめ
いかがだったでしょうか?人は誰でも他人には自分のドジな姿や情けない姿なんかを晒したいとは思っていないと思います。でも、人生を長く生きていると、時には、晒したくなくても、ドジな自分や情けない自分を相手に見せなきゃならない時も訪れるんじゃないかと思います。で、そんな時に、人によっては、そう言うドジで情けない自分ってものを受け入れてくれなかったりもするんです。僕は、例え自分にとって相手の存在が大きいものであったとしても、そう言う人とはなるべくなら一緒にはいない方がいいのではないかと思っています。
僕はそれよりも、自分がどれだけドジな姿や情けない姿を晒しても、いつもと変わらず同じ様に接してくれる人と一緒にいるのがいいと思います。そう言う人は、こちらについている付属品みたいなものではなく、自分自身を大事にしてくれると思うからです。そして、そう言う人と一緒にいれば自分は常に自分らしくいられるはずです。そして、もしそう言う人が見つかったとしたら、絶対に大事にした方がいいと思います。そんな人は自分の人生に滅多に現れる事はないからです。大事にするからには、相手のドジな面も、情けない面も受け入れるって事は絶対に忘れない様にして下さい。自分のそう言う部分は相手に受け入れさせるくせに、自分は受け入れないなんてそんなのフェアじゃないからです。
ゆーすけ
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