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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、自分が何かを嫌いになるって事に罪悪感みたいなものってないですか?なんか嫌いって感覚は、ネガティブなイメージがありますもんね。出来ればどんな事でも嫌いにならずに好きでいられるに越した事ってない様な気がしますよね。でも、何かを嫌いになるって本当に悪い事なのでしょうか?全ての事を好きになる事が良い事なのでしょうか?僕には正直言ってそう言う風には思えないんです。
もうね、これは好き嫌いをしてはいけないって感じの教育からきている様な気がします。これは、ものを嫌いになって拒絶をするよりは、何にでもオープンでいた方がいいよって感じの教えなのかもしれません。確かにその考え方もある意味アリだとは思います。でも、人には好きと嫌いって感情があるんですから、その嫌いに蓋をして見なかった事にする必要は僕にはないんじゃないかと思います。だからと言う訳じゃないですが、自分の「嫌い」って言う感覚は大事にしていってもいいんじゃないかと僕は思うんです。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
自分の「嫌い」には何かしらの意味がある
じゃあなぜ僕が、自分の「嫌い」って感覚は隠さず大事にした方がいいと思っているかと言うと、そう思うって事には何かしらの意味があると思うからなんです。まぁ大抵の場合は、自分にとって何か悪影響があるって感じの事なんじゃないかと思います。だから、嫌いになる訳なんです。例えば、食べ物の好き嫌いなんかで言うと、食べたら美味しくないとか、食べたら気分が悪くなるとかそんな感じの事なんじゃないかと思います。周りからは、「そんな事ぐらいで嫌いにならないで、体にいいものなんだから食べた方がいい」なんて感じの事を言われたりするかもしれません。でも、僕は、体にいいかもしれないけど美味しくないものとか、体にいいかもしれないけど気分が悪くなるものって食べる必要があるのかもわかりません。だってそれは確実に精神的にはいいものではないと思うからです。
まぁ確かに初めから何も手をつけずに食わず嫌いって言うのだったら、ちょっとぐらいは試してみるのはありだと思います。試してみたら、実はそんなに嫌いではなかったなんて事も起こり得るからです。でも、何度か試してみてやっぱり自分に合わないって感じたものに関しては、僕は、自分の「嫌い」を押し通してもいいんじゃないかと思います。たぶん、それは本当に自分にとってあまりいい影響を自分に与えてくれるものではないと思うんです。僕は、そう言うものは避けていいと思いますし、そう言うものを避ける為に自分の「嫌い」と言う感覚は自分に備わっているんじゃないかと思います。なので、周りからどれだけ「好きになった方がいい」みたいな事を言われたとしても、それに流されたりはしない方がいいと思います。「嫌い」は嫌いのままでいいんじゃないかと僕は思っています。
「嫌い」はどこまでいっても好きになれない事が多い
ではなぜ僕が「嫌い」は嫌いのままでもいいんじゃないかと思っているかと言うと、「嫌い」と一度でも思ったものは、どこまでいっても好きになれない事が多いと思うからなんです。まぁでも、「嫌い」と「好き」ってもの凄い近い所にあって、表裏一体の関係だったりするので、時々自分が「嫌い」と思っていたものをもしかしたら「好き」かもって思ってしまう事って起こったりするんです。でね、これまで「嫌い」だったぶん反動で「もの凄く好き」に変わってしまったりもするんです。僕のこれまでの経験から言って、これがそのまま「もの凄く好き」でい続ける事ってあまりない様な気がしています。大抵の場合のその「もの凄く好き」は錯覚だったりするんです。で、そのうち気がつきます。自分はなんでこんなものを好きと思っているんだろうって事に。なんだかんだで自分の最初の感覚って結構な確率で合っていたりするもんなんです。
で、こんな感じで、実は好きではなくて嫌いだったって事に気づいてしまったらどうなると思いますか?そうなんです。「もの凄く嫌い」になってしまうんです。まぁこんな感じで「好き」と「嫌い」をいったりきたりする事が悪いとは思いません。でも、心のどこかでこう言う可能性もあるんだって事は覚えていてもいいのかな?って言う風には思います。じゃないと、好き嫌いの感情が揺れ動く事に対して自分を責めてしまったりする可能性もあると思うからです。最初の方でも言いましたが、人には好き嫌いと言う感情が元から備わっているんです。だから、何かを嫌いになる事だって絶対にある訳なんです。だから、何かを嫌いになるって事を恐れる必要はないですし、何かを嫌いになる自分を責める必要も全くないんです。そうじゃなくて何1つ嫌いにならずに、あらゆる事が好きって言う方が何かがおかしいと僕は思います。なので、もし自分が何かを「嫌い」と思った時には、別にそのまま嫌いであってもなんの問題もないんじゃないかと僕は思っています。
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自分の「嫌い」がわかっているから、自分の「好き」がわかる
そして、これが僕が自分の「嫌い」って感覚を大事にした方がいい1番の理由だと思っている事なのですが、自分の「嫌い」ってものがわかっているから、自分の「好き」がわかるってのがあるって事なんです。だって皆さんだって、自分の「嫌い」とう言う感情を押し殺してなんでもかんでも「好き」になろうとか、「好き」にならなくちゃって思っていたとしたら、自分が本当に何が好きなのかってわからなくなっていきませんか?だって、そんな事をしていたら全てが「好き」になってしまうんですよ。確かにそこに順位はついていくのかもしれません。でも、僕は、それってやっぱり何かがおかしいと思うんです。
消去法って訳じゃないですが、自分の「嫌い」なものがはっきりとしてくるから、その残った部分にある「好き」ってものもはっきりと浮かび上がってくるんじゃないでしょうか。僕には何となくそんな感じがしています。だからと言う訳じゃないですが、自分の「嫌い」って感覚って絶対に隠しちゃいけないと思うんです。何度もくり返しになりますが、「嫌い」なものがなくて、あらゆるものが「好き」って絶対に何かがおかしいですし、そんな事って絶対にあり得ないと僕は思います。自分が何かを「嫌い」って表明したら、それに対して怒ってきたり、それに対して嫌悪感ってものを示してきたりする人も出てくるかもしれません。でも、そう言う人の顔色をうかがって自分の好き嫌いを変えていくってのも僕はちょっとどうかと思うんです。なので、やっぱり自分の好き嫌いははっきりしていなきゃいけないと思いますし、自分の「嫌い」は嫌いとして大事にしていくって事は忘れない様にした方がいいと僕は思っています。
まとめ
いかがだったでしょうか?人には誰にだって、好き嫌いはあると思います。でも、世の中の風潮として、あまり何かを嫌いになったりはせずに、出来る限り好きを増やしていった方がいいって感じのものがある様な感じがします。でも、これの考えが本当にいい事なのかはわかりません。僕は、自分の「嫌い」って感覚を隠す必要はないし、そう言うものは絶対に大事にしていった方がいいと思っています。
それはなぜかと言うと、そうやって自分が「嫌い」と思う事には何かしらの意味があると思うからです。おそらく自分のこれまでの経験が示している「そこには近寄るな」って言うサインなんじゃないかと思います。そして、一旦嫌いになったものは例えどこかの時点で好きになったとしても、また嫌いになってしまう事も多いと思います。なので、最初に感じた「嫌い」は嫌いのままで自分の中に持っていても僕はいいんじゃないかと思います。で、自分の「好き」って言うものを知る為には、自分の「嫌い」ってものがなければいけないとも思います。なので、もし自分が何かを「嫌い」になってしまったとしても、それに罪悪感なんか感じずに、そう言うもんなんだと認めてあげるって事が大事なのかもしれません。
ゆーすけ
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