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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、人生の答えって知りたくないですか?誰だってそんなものがあるなら知りたいと思いますよね。僕だって正直言ってそんなものがあるのなら知りたいと思います。で、多くの人が自分の人生に迷った時に、いろんな人に人生の答えってものを聞いたり、そう言うものを手に入れようといろんな事を調べたりするんじゃないかと思います。確かにそれは間違っていないとは思います。自分1人で悶々と考えていても、そう簡単に自分の人生の答えってのは見つからないとは思います。
でもね、これは非常に残念なお知らせなのですが、自分の人生の答えってそこら辺に転がってる事もなければ、誰かが隠し持ってる事もないんです。それじゃあ自分の人生に対する答えってのは一体全体どこにあるのかって言うと、それは常に自分の中にあるんです。そんな感じなので、僕はどれだけ人に尋ねようが、それだけ沢山の事を調べようが、最後の最後は自分の答えは自分にしかわからないって事は絶対に忘れない方がいいと思っています。そして、そう言う気持ちで生きていくってのが大事な様な気がしています。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
自分の外に自分の人生の答えを探しても絶対に見つからない
まぁこれは先ほど言った事にもつながるのですが、自分の人生の答えって自分の外に探しても絶対に見つかる事ってないんです。多くの人が、何となくそれはわかっているとは思うのですが、自分以外に人生の答えを見つけようとしてしまうってのも実際だったりするんじゃないかと思います。確かにその気持ちはとてもよくわかります。何だか自分が生きてる人生って間違ってて、他の人が生きてる人生の方が正しい様な気になってしまいますもんね。でもね、あなたが正しいと思って見ている他人の人生ってのは、その人の人生のほんの一部でしかないんです。何を持ってそれを正しいと思ってしまうのでしょうか?
もしその人の残りの人生を覗いてみたらもしかしたら、正しいとなんて思わないかもしれません。もうこればっかりははっきりとはわからないですが、自分の人生が間違っていて、他人の人生が正しいなんて思うのはやめていいんじゃないかと思います。あなたの人生だって、他人から見たら正しいと思われているのかもしれません。それは単なる比較の問題なんです。だから、人の人生を見て羨ましいなんて思う必要もないですし、他の人の人生に自分の人生の答えなんかを探す必要もないんです。だって、完全に違う人生なんですから。
まぁ他人の人生と比較をしなかったとしても、時々人生の答えをくれたりする人だっているじゃないかって意見もあるかもしれません。確かにそう言う人はいます。でも、その人がくれた答えが自分の人生の答えなのでしょうか?僕にはそうは思えません。それは、どこまでいっても、その人の人生の答えでしかないんです。でも、そうやって人から貰った答えで上手くいく時だってあるよっておっしゃる方のいらっしゃると思います。でも、それは本当にたまたまだと思います。基本的には、他人がくれた答えが自分の人生の正解であるって事は限りなく低いんです。そして、その答えに従って生きていったとしたらどうなると思いますか?それは、他人の人生を生きる事になってしまうんじゃないかと僕は思います。なので、人がくれた答えを自分の人生の答えと思うのはやめた方が僕はいいと思っています。
じゃあ他人が自分にくれた答えって一体全体何なのでしょうか?僕はそれはヒントだと思うといいと思います。その他人がくれたヒントを元に自分で考えて自分の答えを出していくって事は絶対に忘れない方がいいと思います。じゃないといつまで経っても自分の人生を生きられなくなってしまうと思うからです。繰り返しますが、どれだけ探しても、自分の人生の答えってのは、自分の外には見つからないって事は頭の片隅にでも置いておく様にして下さい。
自分の答えは自分で何となくわかっている
そんな感じで、自分の外に答えはないとわかっていても、やっぱりいろんな人の話を聞いたり、沢山の事を調べてしまったりするんじゃないかと思います。で、人はなぜそう言う事をしてしまうかと言うと、まず最初の理由としては、答えがわからなくて不安だからってのはあると思います。不安だから、自分の答えにつながりそうなものを見つけようとして必死になってしまうのではないでしょうか。でもね、こんな感じで不安な時は、あまりいろんな人に聞いたり、いろいろと調べたりし過ぎない方がいいと僕は思います。それはなぜがと言うと、いろんな情報が入り過ぎるともっと不安になるだけだからです。
でもね、そこまで心配しなくても大丈夫だと思います。自分の人生の答えが知りたいと思っている時点で、自分の答えってのは何となくわかっているはずだからです。心の奥の方では何となくわかっているけど、そこまで自信がないから、不安になってしまっているってのもあるんじゃないかと僕は思うんです。で、そう言う時って、大体自分でその答えに近い所に自然と近づいていくか、そう言うものが自分の目にどんどん入ってくる様になります。で、そう言う情報が自分の中に入ってきたら、何かしらのサインを自分が出す事が多いです。人によっては明らかにピンとくるでしょうし、人によってはさらに不安になったりするでしょうし、人によってはイライラしてきたりすると思います。なので、自分の人生の答えを知りたいと思っている時に、触れた情報で自分の感覚が変わった時にはちょっと注意をしてみるといいと思います。そこには自分の答えにつながる何かが隠れていると思うからです。
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答えは自分の中にあったとしても、正解は自分で作っていく
そして、ここからがもしかしたらとても大事な事なのかもしれませんが、例え自分の中に答えがあったとしても、それが正解かどうかはわからないって事は忘れない様にして下さい。これが、自分の答えに自信が持てなくて自分の答えってものがわからないって思ってしまう原因なんじゃないかと僕は思うんです。もうね、何も始める前から正解を知ろうとするからそんな状態になっちゃうんです。ぶっちゃけた話、この世の中にこれと言った決まりきった人生の正解なんてものはないんです。もうこれに関しては、深く理由を考えずにそう言うもんだと思う様にして下さい。じゃないと、いつまで経っても正解探しに明け暮れて不安になってしまうだけだからです。
じゃあ結局どの様にしたら自分の出した人生の答えが正解なのかを知る事が出来るのでしょう?それはね、自分で正解を作っていけばいいんです。それは、自分が出した答えを正解にしていけばいいって事なんです。と言うよりも、誰にも正解なんてわからないんだから、自分が出した答えを全て正解だと思ってしまえばいいんじゃないかと僕は思います。だって、どれだけそれが間違ったと思っていても、他の答えと比べる事は出来ないんです。もしかしたら他の答えを選んでいた方が今よりひどい事になっている可能性だってある訳なんです。なので、自分の出した答えが正解だと思ってしまったってなんの問題もないはずです。なので、どうしても自分の人生に対して出した答えが正解なのかを知りたかったとしたら、自分の答えを出せた時点で自分は正解を導き出せたと思っていればいいんじゃないかと僕は思っています。
まとめ
いかがだったでしょうか?人生を生きてりゃ、誰だってその答えが知りたいと思うんじゃないかと思います。そして、そう言うものはそこら辺に転がっていたり、自分以外の誰かが持っていたりするなんて思ってしまう事もあったりするんじゃないかと思います。でも残念ながら、自分の人生の答えってものが自分以外の場所に見つかる事はありません。自分の人生に対する答えは常に自分の中にあるんです。
自分の人生の答えを知りたいと思っている時点で、大抵の場合は自分なりの答えは見つかりかけているはずです。そこまできていればあと一歩なんです。人の意見や考え方を参考にして自分なりの答えを導き出してみるといいです。そして、その答えに関しては、正解なのかどうかはあまり気にしない方がいいと思います。じゃないと、不安が募るばかりだからです。自分で考えて、自分が出した答えならそれは全て正解でいいんです。だって、他の答えを選んだ場合の事なんてどうやっても知りようがないんですから。
ゆーすけ
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