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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、自分の意見と他の人の意見が違っていた時にどんな事を考えますか?もしかしたら、どちらの意見の方が正しいか?って感じの事だったりするんじゃないかと思います。意見がぶつかり合った時なんかは、どちらかが正しくて、どちらかが間違っているなんて思ったりしちゃいますもんね。
では、皆さんはどうやってどちらの意見が正しいと言う風に判断しますか?これはおそらくなのですが、どちらの意見が多くの人に認めてもらえるか(もしくは、どちらの意見の方が一般的か)なんて感じだったりするんじゃないかと思います。確かに世の中には、多数決なんて考え方もあるので、賛成者が多い方が一見正しいと思ってしまったりもするんじゃないでしょうか。でもね、僕は、その多数派の意見ってものが必ずしも正しいとは思えないんです。て言うより、多数派が間違っている事なんていくらでもある事なんじゃないかと思っています。だから何って訳じゃないんですけど、そう言う事もあるって事は知っておいた方がいいんじゃないかと思います。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
数が多けりゃ正しいって訳じゃない
まぁこれを言ったら、そんなの当たり前って言われるとは思うのですが、基本的に数が多けりゃそれが正しいって事は絶対にないんです。そりゃそうですよね。ここでは詳しい例えを言うのは控えますが、これに関してはこれまでの歴史が証明しているんじゃないかと思います。多数決で何かを決める時なんかは、多数派の意見が通る事になるので、それがさも正しい様に感じてしまうのかもしれませんが、そこには正しい間違っているは決して当てはまらないって事は覚えておくといいと思います。じゃないと、もし自分が多数派に入っていた時には、自分が正しいととんでもない勘違いをしてしまうと思うからです。それの何がいけないの?って思うかもしれません。でも、本当に正しいかどうかもよくわからないのに、自分が正しいと思ってしまうのってちょっと危険だったりもするからです。
じゃあ何が危険かって言うと、人は自分が正しいと思っている時って、相手に何をやってもいいと思ってしまったりするからなんです。自分は正しくて、相手は間違ってると思ってしまうと、自分は何か特別な存在にでもなった様な気になってしまったりするんです。これって本当に危険なんです。で、そう言う気分になった時って人は、相手を正してあげなくちゃいけないなんて事を思って、相手の意見を変えようと徹底的にやっつけようとするんです。で、相手の逃げ場を潰してコテンパンにしようとするんです。だって、自分は正しくて相手は間違っている訳なんですから。でも、ここで冷静になって考えてみて下さい。この時点で正しいと思っている根拠っておそらくただ多数派にいるって事だけなんじゃないかと思います。本当に正しいかどうかなんて絶対にわかってないはずなんです。確かに多くの人が賛成する事って正しい事も多かったりもします。でも、それは絶対ではないって事は忘れない方がいいと思います。そして、自分と違った意見を持っている人をたったそれだけの理由で叩くなんて事も絶対にしない方がいいと僕は思っています。
少数派だからって間違ってるって訳じゃない
で、多数派が必ずしも正しい訳なじゃないときたら、これも当たり前の事かもしれませんが、少数派が必ずしも間違ってる訳じゃないって事も理解しておくといいのではないかと僕は思います。これを知っているのと、知っていないのでは生きやすさが変わってくると思うからなんです。人は誰だって、自分の意見ってものは持っていると思います。そして、出来るだけ正しい意見を持ちたいと思っていると思うんです。で、やっぱり多くの人が多数派の意見ってものが正しいと思いがちなので、人と違っている意見ってなかなか表に出しにくいんじゃないかと思うんです。だって、人と違っていると言うだけだと、自分の方が多数派なのか少数派なのかもはっきりしませんし(もうこの時点で自分の意見に自信がないですよね)、正しいのか正しくないのかもいまいちはっきりしませんよね。だから、多くの人は自分の意見を引っ込めて他人と同じ意見にしようとするんです。そうすれば、その2人の中では多数派の意見になりますもんね。でもね、これをやっているとだんだんと自分の気持ちが苦しくなっていきます。
だって、もうそうしている時点で、自分の意見ってものがなくなってしまっているからです。まぁなんとなく他人と同じって安心しますし、目立つ事もないので気が楽ではあるとは思います。でも、そうやって自分を偽っていると長い目で見ると自分の気持ちは苦しくなっていくんです。そのうち自分の意見を押し殺している事に違和感の様なものを感じて、自分ってものをもっと全面に出していきたいと思う様になると僕は思うんです。今はもしかしたらそんな事は思わないかもしれません。どちらかと言うと、人と同じでいた方がいいって思っていたりするかもしれません。でもね、きっとある時気がつくんです。そして考えるんです。自分って何者なのかな?って感じの事を。そうなった時に、おそらく人に合わせている自分ってものに疑問も感じていくんだと思います。その時からでも遅くはないとは思いますが、もし可能であれば今からでも少しずつ、例え周りと違っていても自分の本当の意見ってものは出していくといいのではないかと思います。それがきっと自分を出していく訓練の様なものになっていくんじゃないかと思います。意見なんて、人と同じでもいいし、人と違っていてもいいんです。
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自分の正解は自分で考えて導き出すしかない
じゃあ結局何を持って自分の意見が正しいか間違ってるかって決めていけばいいのでしょうか?これに関して僕が思っているのは、自分が多数派にいるとか、少数派にいるとかはあまり関係なく、自分の正解は自分で考えて導き出していくしかないって事に尽きるんじゃないかと僕は思っています。要は、人の意見にあまり惑わされない方がいいって感じでしょうか。確かに、自分の意見には自信が持てなくて、人の意見の方が正しく感じてしまう事も多いでしょう。そして、自分がもし少数派だったりしたら尚更なんじゃないかと思います。でも、何度も繰り返しますが、自分が少数派だからって必ずしも間違っているとは限らないんです。だから、他人の意見ばかりを当てにしないで、自分で考えていくしかないんじゃないかと僕は思うんです。
そして、これは僕が勝手に思っている事なのですが、自分が出した答えであればどんなものであってもそれは自分にとっての正解でいいんじゃないかって事なんです。だって、学校のテストの様にもう既に答えがわかっているって様なものでなければ、多くの物事にはこれだって言うたった1つの正解なんてものは存在しないんじゃないかと思うからなんです。そして、そう言ったものの答えって自分が出していくしかないんじゃないかと思うんです。だから、そんな簡単なものではないとは思いますが、普段から多くの事は自分で考えて自分で自分なりの答えを出していくって事を習慣づけていくって事が大切なんじゃないかと思います。そして、そうする時には、多数派であるとか、少数派であるとかはあまり考えなくてもいいんじゃないかとも思います。
まとめ
いかがだったでしょうか?多数決って言葉があるぐらいなので、意見が割れた時には多数派にいる事が正しい事の様に感じてしまう事もあるんじゃないかと思います。でも、残念ながら多数派にいるって事が正しいとは限らないって事もきちんと理解をしておくって事はとても大切なんじゃないかと思います。だって、多数派だって間違っている事はありますし、少数派だって正しい事は確実にあり得る訳なんですから。
だからと言う訳じゃないのですが、自分の意見に関しては、多数派だとか少数派だとかって言う事に関係なく、自分で考えて自分なりの答えを出していくって事が大切になっていくんじゃないかと思います。だって、この世の中にはこれが正解って感じの決まりきった答えなんてない訳なんですから。自分で出した答えなら僕は全てが正解と思っていればいいんじゃないかと思います。と言うよりも全てを自分で正解にしていけばいいんだと思います。
ゆーすけ
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