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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、なんでこの人と出会ったんだろう?なんて思う事ってないですか?例えそれが良い出会いであったとしても、悪い出会いであったとしても、そんな風に思う時ってありますよね。で、そんな時に思うのは、これってもしかしたら偶然なのかな?なんて事だったりもすると思うんです。だって、この世の中には相当多くの人間が存在しています。その中で出会うなんて偶然以外のなのもでもないと思ってしまいますよね。まぁおそらくそれが普通の考え方なんじゃないかと思います。
でも僕は実際にはそうは思っていなくて、人との出会いは決して偶然ではないと思っています。そこには何かしらの意味があるから出会っているんじゃないかと思うんです。良い出会いであっても、悪い出会いであってもです。でもだからと言って、その意味が簡単にわかる事もないとは思います。それはもしかしたら、相当時間が経ってから振り返ってみて「あの出会いにはこんな意味があったのか」なんてわかる様なものなんじゃないかと僕は思っています。そんな意味からも、自分の人生に必要な人には何かしらの形で関わっていく事になると僕は信じています。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
そこにいるのは偶然かもしれないけど、出会うのは偶然じゃない
まぁ上にもちょっと書いた様に、この世の中には相当多くの人間が存在しています。なので、人と人とが同じ空間に存在したりする事に関しては、僕は偶然だったりするんじゃないかと思っています。そこにまで何かしらの意味があるとまでは正直言って思っていません。例えば同じ電車に乗り合わせたとか、同じコンサート会場にい合わせたとかって言うのは僕は偶然だとは思っています。でも、そこから先には何かしらの意味があるのかな?って言う風には思っています。だって、同じ電車に乗っていたとしても、同じコンサート会場にいたとしても、その後の人生で全く交わらない人なんて沢山いると思うからです。そこにまで意味を感じていたら、もう何が何だかわからなくなってしまうと思うからです(笑)。
でも、そこで何かしらのつながりが出来て、その後意気投合して仲良くなってしまった、なんて人がいたりするのも実際だったりすると思うんです。僕は、そう言う感じのものを出会いって言うと思いますし、その出会いには何かしらの意味はあるんじゃないかと思っています。で、これは決してスピリチュアル的な事を言いたい訳ではないのですが、そう言う人と出会うってもう運命で決まっていたりするのではないかとなんとなく思っているんです。いやいや、そこで声をかけたり、話し込んだりしたのは、自分たちなんだし、もう既に運命で決まっていたってのは無理があるんじゃないって思うとは思います。でも、その場所でたまたま同じ空間にいて、どちらかが声をかけて、その後の関係につながるって単なる偶然だけでは僕は説明がつかない様な気もしています。なので、例えそこに意味は見出せなかったとしても、自分の人生で何かしらの関係を持った人とは、出会う運命だったし、その出会いには意味がある(もしくはあった)と思ってみてもいいのではないかと僕は思っています。
出会いは出来るだけ大事にするといい
そんな感じなので、僕は自分が出会った人ってのは出来るだけ大事にした方がいいのではないかと思っています。だって、そこで出会ったのはもの凄い確率なんですよ。本当に何かの縁がない限りは出会う事なんてなかった様な人なんです。例え一言二言しか言葉を交わさない様な関係だったとしてもその出会いは大事にして、その人の事も大切に扱った方がいいのではないかと思います。もしかしたらその人との出会いは自分の人生に直接大きな影響を及ぼしたりはしないのかもしれません。でも、その人から他の人につながって、次の出会いってものを持ってきてくれたりする可能性だってあるかもしれないんです。それを考えてみたら、どんな人だって自分の人生に関わってきてくれた人は大事な人だと思える様になるんじゃないかと思います。ちょっと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、これは意外と本当の事なんじゃないかと僕は思っています。
その為には、自分の人生に現れて出会ってくれた人に対しては敬意を持って丁寧に接するって事が僕は大事だと思っています。だって、そんな風にされて嫌だと思う人なんてこの世にほとんどいないんじゃないかと思うからです(まぁ中にはごく稀に丁寧にされたくないなんて人もいるかもしれませんが(笑))。これは敬語を話せとか、常に下手に出ていろとかって事ではないんです。別にタメ語で話したって、対等な立場で付き合おうとしていたって相手の事を丁寧に扱う事は可能なんです。どんな立場の人に対しても自分は変わる事なく同じ様に接するって様な感じです。そして、可能であれば、自分より弱いものに対しては守ってあげる姿勢ってものも持ち合わせているとなおいいのではないかと僕は思っています。だって、こんな広い世界の中で自分の人生に関わってくれたんです。ちょっとぐらい過剰な感じで丁寧に接してもなんの損もないんじゃないかと僕は思っています。そうしていれば、きっとどんな出会いでも良い出会いになっていくんじゃないかと思います。
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悪い出会いも大切にする
どんな出会いも大事にした方がいいとは言っても、中には嫌な人との出会いもあったりするとは思います。そんな出会いであっても自分にとっては必要なもので、そう言うものを大事にしなくちゃいけないのでしょうか?これに対する僕の答えは「イエス」です。確かに、自分に対して嫌な事をしてくる人と出会ってしまったら困ってしまいますし、嫌な気分になってしまいますよね。でもね、これもやっぱりあなたに必要だったから、そう言う人と出会ってしまったんです。もうこれはそう言うもんだと受け入れていくしかないんじゃないかと僕は思っています。なので、「なんでこんな人と出会ってしまったんだ」って文句を言ったりするのはやめて、この出会いをどうしたら自分にとって有効なものにしていけるんだろうって感じの思考に切り替えていくしかないんじゃないかと僕は思っています。もうね、可能であれば、そう言った嫌な人からも何かしらを学ぶ様にししてみると、その出会いにも意味があったと思えたりするんじゃないでしょうか。
でもまぁそんな風に言われても、嫌な人との出会いまで大事にするのって相当難しい事ですよね。多くの人が「そんなに人間出来てない」って思うのではないかと思います。じゃあどうしたら、自分と出会った嫌な人の事を大事にする事が出来るのでしょう?これに関して僕が思っているのは、出会いに感謝をするって事なんじゃないかと思います。だって、自分がありがたいなって思う事に対しては、人は大事に扱おうと思うんじゃないかと思うからです。確かに悔しい気持ちになるってのもよくわかります。でも、嫌な人に対して嫌だなって思って生きるよりも、出会ってくれてありがとうって思って生きていた方がおそらく毎日を気持ちよく過ごせるんじゃないかと思います(まぁ難しいってのもよくわかりますけどね(笑))。
まとめ
いかがだったでしょうか?人と出会うって不思議な事ですよね。なんでこの人と出会ったんだろう?って思う事なんかもあるんじゃないかと思います。多くの人が単なる偶然だと思うかもしれませんが、僕は、人との出会いって意外と偶然ではないと思っています。そこには何かしらの意味があるんじゃないかとも思っています。
だからと言う訳じゃないですが、自分と出会ってくれた人の事は大事にした方がいいと僕は思っています。だって、この広い世界で自分と出会うなんてもの凄い低い確率です。そんな風に出会った人をないがしろにする理由はないんじゃないかと思うんです。それは、自分にとって嫌な出会いだと思う人に対しても僕は大事にするといいんじゃないかと思っています。嫌だ嫌だと文句を言って生きるより、その出会いに感謝してその人の事さえも大事にして生きていった方が僕は自分の為になると思っています。必ずそれが出来なくてもいいとは思います。でも、そう言う感じの気持ちで常に生きているといいんじゃないかなって感じです。
ゆーすけ
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