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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、自分にとって耳の痛い話をしてくれる人って周りにいますか?まぁこれが若い頃だったら、自分の親とか、学校の先生とかって人がこう言う事を言ってくれていたかもしれません。そして、そう言う耳の痛い話をされるのって本当に嫌な事だったんじゃないでしょうか。その気持ちはとてもよくわかります。僕も若い頃は、そう言う事を言われるのって苦痛で苦痛でしょうがなかった気がします。
でも、いい歳したおっさんになってから思うのは、自分にとって耳の痛い話をしてくれる人ってほとんど自分の周りにいなくなってしまったなって事です。まぁ常に耳の痛い話を聞きたいって訳ではないですが、誰も何も自分に注意してくれなくなったりする様になると、時に「今の自分って大丈夫なのかな?」って感じでちょっと不安になったりもするってのも正直な所なんです。本当に本当の時々ですが(笑)、誰かに厳しい事を言われたいなって思うなんて事もあったりするんです。そんな感じなので、僕は、もし自分の周りに自分にとって耳の痛い話をしてくれる人がいるのだとしたら、そう言う人の事は大切にした方がいいと思います。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
大人になると耳の痛い話をしてくれる人は周りからいなくなっていく
まずなぜ僕がそう言う人を大切にした方がいいと思っているかと言うと、自分にとって耳の痛い話をしてくれる人ってのはとても貴重な存在だからです。まぁこれはちょっと上でも書きましたが、年齢が上がれば上がるほど、自分の立場が上がれば上がるほどそう言う事を言ってくれる人はいなくなっていきます。だってそりゃそうですよね。年齢がいった人や立場が高い人にそう言う事って言いにくいですし、そう言う事を言える様な人って数が限られてきますもんね。まぁ単純に大人になると自分にとっての耳の痛い話をしてくれる様な人は周りからいなくなっていくもんなんです。でも、中にはそんな風になっても自分に対して苦言を呈してくれる人って現れたりするんです。これって相当嬉しい事じゃないですか?だってもしかしたら、自分の改善点なんかを発見するチャンスが貰える可能性が高いからです。人は往々にして自分の事を客観視する事は苦手です。なので、そんな事を口にしてくれる人は貴重以外の何者でもないので、僕はそう言う人の事は大切にして悪い事はないんじゃないかと思います。
じゃあなぜ彼らは、こちらに対して耳の痛い話をしてくれるのでしょう?これに関して僕が思っているのは、そう言う人たちはこちらの事を良くしたいと思ってくれている場合が多いんです。まぁ彼らがくれる耳の痛い話の全てがこちらの為になるかどうかはわかりません。時には、耳の痛い話をしてくれている人自体の為にそう言う話をしているなんて事もある事もあります。でも、どちらにしてもこの手の人たちはこちらの何かしらの関心を寄せてくれているって事は確かなんです。それって冷静に考えてすごい話じゃないですか?自分に興味を持ってくれているんですよ。僕はそう言う人の存在ってものは大切にしておいた方がいいんじゃないかと思います。だって、大人になって自分に関心を持ってくれている人に出会うってなかなかない事だと思うからです(笑)。
耳の痛い話をしてくれている人は勇気を出して苦言を呈してくれている
そして、ここでもう1つ忘れないでいて欲しいのは、こう言う風に耳の痛い話をしてくれている人の多くは、勇気を出して苦言を呈してくれているって事です。要は、そう言う人は、必ずしも言いたくて耳の痛い話を言っている訳ではないって事は心のどこかに入れておいた方がいいって感じです。だって、皆さんだって想像してみて下さい。人に苦言を呈するのって楽しくてワクワクする様な事ですか?おそらくそんな事ないですよね(まぁ中には、ダメ出し大好きなんて人もいるかもしれませんが(笑))。どちらかって言ったら、相手の気分を害するかな?って感じで言わずに済むなら言わないでおきたいって事が多いんじゃないかと思うんです。でも、そこを勇気を出して苦言を呈してくれている訳なんです。もう感謝をしてもいいぐらいのレベルなんじゃないでしょうか?
そして、僕が思うのは、もし誰かが自分に対して耳の痛い話をしてきてくれたのなら、それは初めから無視したりするのではなく、一旦はきちんと聞いた方がいいって事です。そうじゃないともうその人は自分に対して耳の痛い話をしてくれないくなってしまうからです。だって、皆さんだって、勇気を出して言った事をないがしろにされたら、「もう2度と言うもんか」って思ったりしてしまうと思うんです。まぁ言われた方の本心としては、そんな話聞かないに越した事はないってのがほとんどだとは思います。でも、そうする事で、今後一切耳の痛い話をその人から聞けなくなるって事の方が僕はもったいないと思っています。なので、どんな事があっても人から苦言を呈されたらそれは最後まで聞くって事は忘れない様にしてみて下さい。人から耳の痛い話をされるって本当に貴重な事なんです。
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耳の痛い話は聞いたとしても必ずしも受け入れる必要はない
そんな感じで、耳の痛い話をしてくれる人の話は聞いた方がいいとしても、忘れないでいて欲しいのは、それを受け入れるかどうかはまた別の話って事です。相手がしてくれた耳の痛い話を必ず受け入れなくちゃならないって事は決してないんです。だって、いくら自分にとって必要な事を言ってくれていたとしても、それを毎回毎回聞いていたのであれば、それは自分の人生を生きていないって事にもなりかねないと僕は思うからです。それじゃあただ誰かの言いなりになっているだけの様な気もするんです。だから、最後にそれを受け入れるかどうかは自分で決めていいんじゃないかと僕は思います。てか、自分で決めなきゃダメなんじゃないかと思います。
そんな事を言われても実際どんな感じで受け入れるかどうかを決めていけばいいかってよくわかりませんよね。これは僕が自分の中で決めている基準なのですが、相手からの耳の痛い話に一理あると思うかどうかで僕は受け入れるかどうかを決めています。要は、その話を聞いて「なるほどね」って思えるかどうかって感じです。どれだけ自分に役立ちそうな事であっても、自分の中で「なるほど」と思えないのであれば、それはおそらく自分にとってはトンチンカンな意見なんだと思います。もうこの感覚は自分でしかわからないと思いますが、もし自分の中で少しでも納得出来ない感じがするのであれば、どんなに自分に意味がありそうな耳の痛い話であったとしても、受け入れる必要なんかはないんじゃないかと僕は思っています。
まとめ
いかがだったでしょうか?誰だって自分にとって耳の痛い話なんて聞きたくないってのが本音でしょうが、時にそうやって自分に対して苦言を呈してくれる人ってのが助けになったりもするのも確かなんです。そして、大人になればなるほど、そうやって自分に耳の痛い話をしてくれる人なんてのは自分の周りからいなくなってしまう事が多いんです。
でも僕は、そう言う人ってとても貴重な存在なので、出来る事なら大切にした方がいいんじゃないかと思います。だってそう言う人はこちらの事を思って勇気を出してそう言う事をこちらに言ってきてくれている訳なんですから。貴重以外の何ものでもないんじゃないかと思います。でもだからと言って、相手がくれた耳の痛い話をなんでもかんでも鵜呑みにするのではなく、受け入れるかどうかは自分で決めていくって事は忘れない様にした方がいいと僕は思います。
ゆーすけ
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