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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、間違える事を怖がったりしてませんか?で、普段からいろんな事を間違えない様に細心の注意を払ったりしてませんか?まぁ確かに常に間違いを犯すより、間違いは少ない方がいいですよね。その気持ちはとてもよくわかります。僕だってそりゃ間違えないに越した事をはないと思っています。てか、基本的には間違えなんか犯したくないと思ってます(笑)。
でもそれと同時に、間違いを犯さない様にビクビクして生きるってのもあまりいい事ではない様な気がしているんです。それはなぜかと言うと、僕のこれまでの経験から言って、間違えない様にすればするほど、間違えるって事が多い様な気がするからなんです。これに関しては、確固たる根拠がある訳ではないのですが、なんとなくそんな気がしているんです。だからと言う訳じゃないですが、僕は、ちょっとぐらい間違えてもいいやぐらいに思って生ている方が間違う確率は少なくなるんじゃないかと思っています。そして、そうやって生きる方が、人生って確実に生きやすくなるんじゃないかとも思っています。
ここでは、なぜ僕がその様に考えいるかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
間違えない様にしている時は「間違い」と言う事が頭の中を占めている
まずどうして人は間違えない様にすればするほど、間違えてしまうのでしょう。これは僕なりの推測でしかないのですが、間違えない様にって考えている時点で、「間違い」と言う概念が頭の中に存在していて、さらにその考えが頭の中を占拠してしまっているからなんじゃないかと思います。でも、それの何がいけないの?って思いますよね。でも、いくら逆の間違えない様にって思っていたとしても、「間違い」と言う言葉が頭の中にある事で、間違える方向に自分が向かっていってしまうんじゃないかと僕は思うんです。これは僕が日頃から思っている事なのですが、人の人生って自分の思い込みに左右されるもんなんじゃないかと思うのです。だから、「間違い」と言う言葉に引っ張られてしまうんだと思います。
それに加えて、間違えたくないと思っている時って妙に体に力が入っていたりもすると思います。そして、そんなにガチガチになっている時って、気持ちにも体にも余裕がなくてなんか常に張り詰めている様な感じなんじゃないかと思うんです。イメージ的には、もの凄く緊張しながら綱渡りの綱の上を歩いているって感じを思い浮かべてもらうといいかもしれません。で、皆さんこんな時って綱を最後まで渡っていけると思いますか?おそらく途中で何かしらのアクシデントに見舞われて綱から落ちてしまうと思いますよね。で、こう言う時って、おそらく「落ちない様に」とか、「落ちたくない」とかって言葉が頭の中でぐるぐる回っていたりするんじゃないかと思います。そうなってしまったら、上に書いた様に、「落ちる」と言う言葉に引っ張られて綱から落ちてしまうんじゃないかと思います。そう言う意味からも、間違えない様になんて事ばかりを考えてしまうのはやめてしまった方がいいんじゃないかと僕は思います。繰り返しますが、じゃないと結局間違える事になってしまうんじゃないかと僕は思います。
「間違えてもいいや」ぐらいに思っている方が結局は間違えない
そして、これも僕なりに感じている事なのですが、間違えてもいいやぐらいに思っている時の方が確実に間違える確率は減っていくんじゃないでしょうか。これってなぜなんでしょうね。まぁおそらく、上に書いた例とは反対に、間違ってもいいやと余裕を持っている方が、肩の力が抜けていて思う様に自分の力を発揮する事が出来るからなんじゃないかと僕は思っています。ここでは気持ちの問題として話していますが、これはもしかしたらスポーツなんかに例えるとわかりやすいかもしれません。例えば、野球でも、テニスでも、ゴルフでも何か道具を用いてボールを打つと言う状況を想像してみて下さい。そして、その手に持っている道具で、ボールを思い切り叩いて遠くまで飛ばすとしましょう。で、そう言う時ってガチガチに力を入れてもそこまで飛ばす事が出来ないけど、力を抜いて体全体の力を使って球を打つと、そこまで力を入れていないはずなのに遠くまで飛んでいくなんて事があるんじゃないかと思います。
間違えに関しても僕はこれに近いものがあるんじゃないかと思っているんです。だから、ちょっと肩の力を抜いてリラックスしている方が間違いは減っていくんじゃないかと僕は思っています。もしかしたら、上に書いた例はちょっと的外れだったかもしれません。でも、僕がここで言いたかったのは、失敗しない様にガチガチになるよりも、失敗したって大丈夫ってぐらいの軽い気持ちでいた方がいいんじゃないのかな?って事なんです。たぶんその方が間違える頻度はもの凄い勢いで減っていくんじゃないかと僕は思っています。そして、上に書いた思い込みではないですが、こんな感じで間違ってもいいって思えている時って、意外と無心になっていて何も考えずにその事自体を楽しんでいる時が多い様な気がします。なので「間違い」と言う言葉が頭の中を回る様な事もなくなると思うので、「間違い」に引っ張られる事もなくなるんじゃないかと思います。
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間違えない事は偉い訳じゃない
では、どの様にしたら「間違えてもいいや」ぐらいに思えるのでしょうか?これに関しては、人は必ず間違えると言う前提に立ってみるといいんじゃないかと思います。何をやっても間違える事はあるんだから、必要以上に「間違えてはいけない」と言うプレッシャーを受けない様にするといいと僕は思います。要は、「自分は間違えるんだからしょうがない」と言う感じで開き直ってしまうって事です。そうするとなんとなく清々しい気持ちで「間違える」事に胸を張る事が出来るんじゃないかと思います。まぁこれが良いか悪いかは別として、余分な力を抜く為に開き直ってしまうってのはなかなか効果があるんじゃないかと僕は思っています。
そして、もう1つ大切な事は、間違えない事が偉い訳じゃないと言う事は知っておくって事です。確かになんとなく間違えないってなんかカッコいい響きがしますが、そんな完璧な人間なんてどこにもいないですし、なんか人間味がなくて逆に気持ち悪い様な気もします。だから、どんどん間違えちゃって僕はいいんじゃないかと思っています。その間違えを次に活かして、次からの間違える頻度を減らしていけばいいんじゃないかと僕は思っています(この減らしていくってのがポイントです(笑))。
まとめ
いかがだったでしょうか?普通に考えたら、誰だって間違いなんて犯したくはないんじゃないかと思います。でも、そうやって間違えたくないとばかりを考えていると、その思考に引っ張られて結局間違ってしまう事が多くなってしまうってのも実際なんじゃないかと思います。なので、出来る限り間違えない様にしようなんて事ばかりを考えない方がいいんじゃないかと僕は思っています。
それよりも、肩の力を抜いて、ちょっとぐらい間違えてもいいやぐらいに思ってみると意外と間違える事って減っていくんじゃないかと思っています。失敗しない様にと緊張してガチガチになるよりは、リラックスして開き直ってみるって事がもしかしたら間違わない為に必要な事なのかもしれません。
ゆーすけ
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