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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、自分の事が好きですか?もしくは自分に自信がありますか?もしそうなのなら、なんの心配もありません。そのまま人生を楽しく爆進しちゃって下さい(笑)。でも、もし皆さんが、自分の事があまり好きじゃなかったり、自分に自信がなっかたりするのであれば今回のお話はちょっと助けになるかもしれません。
これは僕の想像なのですが、自分の事が好きになれなかったり、自分に自信がない時って、自分のネガティブな面ばかりを探してしまっているんじゃないかと思います。例えば何をやっても上手く出来ない自分ってものに苛立ちを感じていたりするんじゃないかと思うんです。そして、さらに出来ない自分ってものを責めてしまうから自分の事をもっと嫌いになって、どんどん自分に自信がなくなっていってしまうんじゃないかとも思うんです。
じゃあそんな時はどうしたらいいのでしょう?これは僕が編み出した必殺技なのですが、もし自分が出来ないと思って自信をなくしているなら、自分は「出来ないの天才」だと思ってしまえばいいんじゃないかと思うんです。僕はそうやって思う事で人生ってなんとなく生きやすくなっていくんんじゃないかと勝手に思っています。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
自分は出来ると過信し過ぎると辛くなる
まずどうして、出来ない自分ってものを人は嫌いになってしまうのでしょう?まぁ確かに出来ないより、出来る方がいいですよね。で、もし自分が出来るのなら、自分を好きになりやすいと思いますよね。まぁこう考えるのは当然の事なんじゃないかと思います。でも、例え出来なかったとしても、自分を嫌いにまでならなくてもいいと思いませんか?もしくは自分をそこまで責めなくてもいいと思いませんか?まぁもしかしたら、出来ないなら嫌いになるのも、自分を責めるのも当然だって方もいらっしゃるかもしれませんが、それじゃあ話が進まなくなってしまうので、ここではそうじゃないと思う事にしておいて下さい(笑)。
僕は思うのですが、自分が出来なくて自分を責めてしまう人って、出来ない事に不甲斐なさを感じで自分を責めているのではない様な気がするんです。じゃあ何に対して怒ってるかと言うと、この手の人たちは、自分が出来ると過信している事が多く、その出来て当たり前の自分が出来てないって事に腹を立てて自分を責めているって事なんじゃないかと思うんです。それって結局同じ事なんじゃない?って感じに思うかもしれませんが、これはちょっと違うんです。出来ない事に不甲斐ないって思っている人の場合は、ただ自分が今出来てないって事にがっかりしてるってだけなんだと思うんです。だからこう言う人たちは自分を責める様な事はしません。だって、この手の人たちは、いずれ出来る様になればいいとか、きっとそのうち出来る様になるとか思っている事が多い様な気がするからです。
でも、出来ない自分を責めてしまう人の場合は少し厄介です。だって、この人たちにとっては自分は出来る人間であるので、出来て当たり前、出来なかったら、それは責めの対象って事になってしまうからです。まぁ、ちょっとわかりにくかったかもしれませんが、簡単にまとめると、前者は加点方式でものを考えていて、後者は減点方式でものを考えているって感じの様な気がするんです。そんな感じなので、自分はきっと出来ると信じる事は大切なのですが、出来るって事自体を過信し過ぎると、出来なかった時に自分を責める事になって辛くなっていくんじゃないのかな?って僕は思います。
自分は「出来ないの天才」と普段から思っているといい
じゃあ、自分が出来るって過信しない様にする為には、どうしたらいいのでしょう?まぁ基本的には、どんなものにも絶対って事はないので、出来ない時もあるって事を認める事なんじゃないかと思います。自分が出来ると過信している人って、自分は必ず出来る、もしくは自分に出来ない訳がないって心のどこかで思っているから、出来なかった時のダメージが大き過ぎて自分を責めてしまうし、自分を嫌いになってしまうんだと思います。だから、元から出来ない事もある前提でいると少しは、出来なかった時のダメージは少なくなるんじゃないかと思います。
でも、そう言う考え方は何となくわかるけど、それじゃあ自分の自信にはつながらないんじゃないの?って思いますよね。そして、いくらダメージが少なくなったとは言え、出来なかったらやっぱり自分を責めてしまいそうって思いますよね。その気持ちはとてもよくわかります。だから僕は、ここで発想の大きな転換が必要になってくるんじゃないかと思うんです。で、僕がここで提案したいのが、「自分は出来ないの天才」って普段から思っておくって事なんです。じゃあなぜこれが有効かと言うと、まずこの考え方だと出来ない事が前提になっているので、自分は絶対に出来ると過信する事はありません。だからどうやったって、出来なかった時に自分を責める事は出来なくなってしまうんです。だって、それの天才なんですから、もう出来ないのはもうしょうがない事ですもんね(笑)。
そして、もう1つこう思う事で良い効果が生まれると思うのは、ちょっとバカバカしくなって出来なくてもいいやって少し肩の力が抜けて、例え出来なくても気楽に流せる様になるって事なんです。こんな感じで、ちょっとバカになってみるって事も時には大事な事なんじゃないかと思います。だって、こう言う風に思えずシリアスになり過ぎているから自分を責めたり、自分を嫌いになったりしている訳ですよね。時には、こんな感じで、出来ない事を笑い飛ばしてしまうって大事な事なんじゃないかと僕は思っています。
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「自分は出来ないの天才」と思っていれば意外と出来ちゃったりする
で、もう1つ「自分は出来ないの天才」だと思っているといい理由として僕が思っているのは、そうやって思っていると、出来ないと思っていた事が意外と出来ちゃたりするって事なんです。いやいや、出来ないの天才なんでしょ?じゃあ、いつまでたっても出来る様になんかなる訳ないじゃんって思うかもしれません。でもね、僕は、そんな風にはならない様な気がしているんです。なぜそんな風に思うかって言うと、まずは、上に書いた様に肩の力が抜けるって事があるからなんです。何かをやっていて、上手くいかない時って、その事を絶対に成功させようと力んでいたりする事が多いんじゃないかと思うんです。でも、逆に肩の力が抜けてリラックスしている時って、予想外に上手く出来ちゃったりするもんだったりするんです。
そして、「自分は出来ないの天才」って思っているって事は、おそらく何度も挑戦する事に躊躇がない様な気もするんです。だって、やってみて出来なくたっていいんですもん。なんてったってその出来ないの天才なんですから。出来ちゃう方がおかしいんです。で、これの何がいいかって言うと、それぐらい開き直ってるって事なんです。これは皆さんも経験があるかもしれませんが、ダメでもともとって感じで開き直って挑戦した事って結構成功率が高かったりしませんか?こう言う意味からも、僕は「自分は出来ないの天才」って思う事って割と良い事なんじゃないかな?と思っています。
まとめ
いかがだったでしょうか?自分を好きになれなかったり、自分に自信がなかったりする人って、上手く出来ない自分ってものを責めてしまう事で自分を低く見積もってしまうから、自分を嫌いになったり、自分に自信をなくしてしまったりしてしまうんじゃないかと思います。そんな時は、敢えて「自分は出来ないの天才」なんだと思ってしまうのがいいんじゃないかと思います。
僕はこれを勝手に「反対の反対は賛成なのだ」理論と呼んでいます。これは以前にバカボンのパパがこんな様な事を言っているのと聞いて思いついた僕なりの理論です。自分の事を好きになれなかったり、自分に自信がない時って、自分を否定しがちです。でも、その否定している事を天才って感じで否定すれば、それは自分を肯定する事につながって、ちょっと自信が湧いてきたりすると思うんです。と言うより、バカバカしくてなんかちょっと肩の力が抜けていい感じになるんじゃないかと僕は思います。そうすれば、自分が好きとか嫌いとか、自信があるとかないとかどうでもよくなっちゃうんじゃないでしょうか。
僕の経験では、そう言う感じで力みが抜けている時の方が物事が上手くいったりする様な気がするんです。ちょっとバカっぽく聞こえるかもしれませんが、「自分は出来ないの天才」って普段から思っておくと結構生きやすくなると思います。意外とオススメなので、もし良かったら試してみて下さい。
ゆーすけ
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