スポンサーリンク
どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、自分の昔話をするのって好きですか?もし質問に対する答えが「イエス」だった場合は少し気をつけた方がいいかもしれません。しかもそう言う話を気づいたら毎回しているって感じだったら本当に気をつけた方がいいです。
えっ?自分の事を相手に知って貰うには自分の昔がどんなだったかを語った方が伝わりやすいんじゃない?って思うかもしれません。でも、もし自分の昔話が、自分にとっての武勇伝って言うのだったら僕はやめた方がいいと思います。
時には、その手の話が他の人の教訓になる場合も確かにあるとは思います。もしくは、昔の情報を伝えると言う意味では必要な場合もなくはないとは思います。でもね、武勇伝って大抵の場合は自分の自慢話だったりするんじゃないかと思うんです。特に自分がいかにやんちゃだったか、なんて感じの自慢話だったりするんじゃないかと思うんです。だからね、ほとんどの場合は武勇伝なんか誰の為にもならないから、どんなにそう言う話をしたくても、やっぱり我慢した方がいいんじゃないかと僕は思います。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
人の武勇伝を聞いて嬉しいと思う人はほぼいない
まず、最初の前提としてどうして武勇伝なんか話さない方がいいのかと言うと、そんなもの聞いて嬉しいと思う人はほとんどいないからです。えっ?でも、そう言う話をするたんびに周りは「すごーい」って言ってくれるよって思った方、その「すごーい」にはおそらく気持ちはこもっていませんよ(笑)。社交辞令とか、その類のものです。そして、一度自分が武勇伝を話している時に聞かされている人の目を見てみて下さい。たぶんそこに生気は宿っていないと思います。もしかしたら、怒りが宿っているかもしれません(笑)。そうなんです。人の武勇伝なんか聞きたいと思っている人なんかどこにもいないんです。
それを話していい気分になっているのは話している大抵本人だけだったりするんです。まぁ話している本人は気がつかない事が多いかとは思いますが、自分が自分の昔話をしている時には周りの反応はちょっとは気にしてみた方がいいんじゃないかと思います。そして、周りがちょっとでもしらけている感じになっている様ならその話はもうそこでやめた方がいいんじゃないかとも思います。まぁそんな事に自分から気がつける人だったら相手の事を考えて武勇伝なんか初めから話したりはしないとは思います(笑)。でも、誰だって自分の昔の話をしたくなる時はあると思いますし、誰も知らない自分の過去であったら少しぐらいは盛って話を大きくしてしまったりもするんじゃないかと思うんです。
で、知らない間に周りのみんなに引かれていたなんて事になってしまう事も正直言って時には誰にだって起こってしまう事なんじゃないかと思います。だからと言う訳じゃないですが、心の片隅にでも「自分の昔の話をする時には周りの様子を観察する」って事を入れておくといいんじゃないかと思います。
自分を大きく見せたってしょうがない
では、武勇伝を話したがる人ってどうしてこんな話をするのでしょう。まず、最初の大きな理由は自分を大きく見せたいって事なんじゃないかと思います。だから、ちょっと大げさに話したりするんじゃないでしょうか。そして、上にもちょっと書きましたが、武勇伝の内容がやんちゃ自慢とか、悪かったアピールとかになったりしてしまうのはこの為なんじゃないかとも思います。
それじゃあなんで、この手の人たちはそんな事を周りにアピールしなくちゃいけないのでしょう?それは彼らが自分に自信がないからです。大体自分を必要以上に大きく見せようと思っている人は自分に自信なんかないんです。だから、それを隠す為に自分を大きく見せようとしているんです。まぁ野生の動物が体を大きく見せて敵を威嚇しようとするのと同じ様な事なんです。確かに野生の世界では自分を必要以上に大きく見せるのは意味があるのかもしれません。でも、我々人間の世界では、大抵の場合自分の事を大きく見せた所でなんの意味もなかったりするんです。それで周りの相手が威嚇される事なんか全くないんです。
そんな事にわざわざ時間を割くよりも、僕は等身大の自分で勝負する事が大事なんじゃないかと思います。そうでなければ、偽りの自分でい続けなきゃならなくなってしまうんじゃないかと思うんです。そんな感じで、本来の自分の姿でいられない事が長く続いていくと自分が辛くなってしまうんです。だから、わざわざ武勇伝なんかを話して、自分の偽の凄さを周りに見せつけようとなんかしない方がいいと僕は思います。
そして、もう1つこの手の人たちが武勇伝ばかりを話したがる理由としては、彼らが今や未来を生きていないって事もあるんじゃないかと僕は思います。過去にとらわれて生きてしまっているから過去の栄光の様な自分の武勇伝にすがってしまう訳なんです。今より過去の方が良かったと思っているって事でもあると思うんです。でも、過去って大抵の場合美化されている事が多いので、自分が浸っている過去が本当に良かったのかどうかなんて正直わからないって感じなんじゃないかと思います。
まぁそんな感じなので、武勇伝なんかを話して大きく見せた自分として過去にとどまっているよりも、ありのままの自分で現在、そして未来に生きていくのって言うのが僕はいいんじゃないかと思っています。
スポンサーリンク
武勇伝よりも失敗談を話すといい
武勇伝なんか話さない方がいいって言っても、話題として自分の過去の事は事を少しは話したいと思いますよね。それはそれでいいんじゃないかと思います。自分の過去を話す事はありって言えばありなんです。でもそれは周りの為になって、周りがちゃんと聞いてくれる様な話をする事が出来るならって条件がつかなきゃいけいない様な気がするんです。
で、それにぴったりなのが、自分の失敗談なんです。そんな話しても周りが喜ぶ事はないなんて思ったりしませんでしたか?でもね、これが意外や意外、周りから喜ばれる事が多いんです。まず最初の理由は、人は大抵他人が失敗するのを見るのが好きって事だと思います。人の不幸は蜜の味って言葉もあるぐらいですからね(笑)。でもそれよりも大事な理由としては、人の失敗談って今後の自分の参考にする事が出来て、聞くだけでもかなりの自分の利益になったりするからなんです。
まぁこう言った感じの自分の過去の話だったら、僕はアリだとは思います。でも、どれだけ他人の為になるからと言って、同じ人たちの何度も何度も同じ失敗談を語り続けるってのはちょっと違うとは思いますが(笑)。兎にも角にも自分の過去を語るなら、自分の失敗談にしてみるってのも忘れない様にしてみて下さい!
まとめ
いかがだったでしょうか?誰だって自分の過去を誰かに話したくなる時ってあると思うんです。それはそれでいいと思うのですが、それが自分の武勇伝の様なものにはならない様に注意はした方がいいとは思います。そんな過去の武勇伝なんか聞いた所で周りの誰も楽しい気分にならないですし、そんな話誰の為にもならなかったりするからです。
そんな話をするよりは、ちょっと恥ずかしいかもしれませんが、自分の失敗談を話す方がいいんじゃないかと思います。その方が相手だって勉強になるしとても喜ばれるんじゃないかと思います。武勇伝はオリラジの専売特許にしとけばいいんです(笑)。
ゆーすけ
スポンサーリンク
スポンサーリンク
もし私の書いたブログ記事やツイートに価値を感じていただけている方がいらっしゃるのであれば、よろしければ以下よりサポートを頂けないでしょうか?もし少しでもサポートを頂けるのであれば、クリエイター冥利に尽きますし、今後の作品作りのモチベーションになります。
こちらから頂きましたサポートは、今後のブログ記事やツイートの取材費として大切に使わせて頂きたいと思います。
アメリカ在住の為、なかなか日本の本を手に入れる事が出来ません。ツイートやブログ記事の参考にさせていただきます。ご支援いただければ幸いです。
スポンサーリンク