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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、周りから「前に言っていた事と、違う事言ってるぞ」みたいな指摘を受けた事ってないですか?こんな風に言われると自分には一貫性がない様な気がして、なんだか自分が悪い事をしている様な気になったりしませんか?
その気持ちはとてもよくわかります。確かにビシッと一本筋が通っている人の方が信頼が置けそうな感じがしますよね。でも、本当に意見って首尾一貫している方がいいのでしょうか?僕は必ずしもそうだとは思えないんです。人の意見や考え方って変わる事があってもいいと思うんです。例えそれがまるっきり反対のものになってしまったとしてもそれはそれでありなんじゃないかと思うんです。
もしかしたら、周りからは「ブレブレで頼りないなぁ」なんて思うかもしれません。でも、それが周りに流されたのではなく、自分で決めて「今はこの考え方が自分にはしっくりくる」って思っているのであれば、もし自分の中で矛盾があったとしても、それをそこまで恐れる事はないんじゃないかと僕は思います。そこに対する周りの意見なんてそこまで気にしなくてもいいんじゃないかと思うんです。
ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
人は絶対に変わっていく
これに関してはおそらくほとんどの方が同意して頂けるのではないかと思いますが、この世に全く変わらない人って言うものは存在しません。必ず誰だって、いる場所、いる時代、関わる人々などによって少なからずの影響を受けて何かしたらが変わっていきます。それは良い意味で変わる場合もありますし、悪い意味で変わってしまうって言う場合もあります。中には、どれだけ久しぶりにあっても「この人は変わらないなぁ」って感じさせてくれる人もいる事はいますが、それでも何1つ全く変わっていかない人なんかは絶対にいないんんです。
まず、そこは自分でも受け入れてみるといいと思います。自分は変わっていくんです。てか、ある程度は変わっていかなきゃ、それはそれでおかしいんです。だって、もし何にも変わっていないんだとしたら、その間何も経験していないって事にもなってしまうんじゃないかと思うからです。だから僕は人は変わっていくって事は当たり前の事なんじゃないかと思っています。中にはそれを寂しいと思う方もいらっしゃるかもしれません。でも、こればっかりは避けられる事でもなんじゃないかとも思っています。
そして、その変化の振り幅が少ない場合は、特に自分や周りにとっても特に変わったなと感じる事はないのかもしれません。でも、それが全く違う方向に変わってしまったりした時なんかは、自分にとっては自己矛盾していると感じてしまうかもしれませんし、周りからしたら「あの人は変わったな」って事になってしまったりするんじゃないかと思います。
そんな感じで多かれ少なかれ人は変わっていくもんなんです。なので、それを怖がる必要はないし、周りから何かを言われる事もそこまで気にしなくてもいいんじゃないかと思います。振り幅が大きくたって、小さくたって変化は変化なんですから。
自分の大きな軸がブレていないのであれば、枝葉は多少ブレブレでも気にしない
それでもやっぱり、自分は出来るだけブレたくはないって思いますよね。その気持ちはとてもよくわかります。コロコロ考え方や行動が変わってしまうのって良くない事の様に感じてしまいますもんね。でも、僕は逆に何も変わらない方がどちらかと言うと良くない事なんじゃないかなぁと思ったりもするんです。
確かに変わる必要がないならないに越した事はないとは思います。でも、例え変わって欲しくなかったとしても、環境や周りで関わる人は変わっていきますし、時間はどんどん流れていくんです。上にもちょっと書きましたが、それらの変化の影響って言うものは必ず受けてしまうもんなんです。で、自分の周りが変化していったら、無理に変わらないって言う方が難しいんじゃないかと僕は思うんです。
もし、それでも自分がブレてしまう事に恐怖を感じているのなら、自分の根幹になる幹の部分だけはしっかりと守るって事にしてしまえばいいんじゃないかと思います。自分の深い部分の軸さえブレていなければ、他の枝葉の部分は少しぐらいブレてしまっても僕はしょうがないんじゃないかと思います。
例えば、僕はツイッターやこのブログで自己啓発的な発言をしています。その根幹にあるのは、今生き辛さを抱えている人の心を出来るだけ軽くしたいなぁって言うものがあります。でも、沢山発言すればするほど、発言に関して一貫性を保てなくなる事なんかも正直起きてきたりします(本来ならそんな事がない事が1番いいのだとは思いますが)。それは、その問題に関して、以前に感じていた事と、少し経験を重ねて今感じている事が少しずれている事があったりするからです。でも、僕は、今生き辛さを抱えている人の心を出来るだけ軽くしたいなぁって言う自分の根幹だけには矛盾しない様には気をつけています。
そこに矛盾がないのであれば、ちょっとぐらい考え方や発言が変わっていく事も正直ありだと思いますし、そう言うものを自分としても楽しんでいけたらなぁとも思っています。でも、そう言うものが、読む人を混乱させて相手を煙に巻く為(そんな事は決してないので信じて下さいね(笑))って言うのであれば、その自己矛盾はあまり良いものではないとは思います。
まぁぶっちゃけた話、自分の考え方や行動にもの凄い衝撃がある影響があった時には、自分の根幹から全てが変わってしまうなんて事もあったりもするのですが(一体どっちなんだって話ですよね(笑))、もしそこまでの衝撃がなく自分の軸を守っていけるのであれば、枝葉になる様な考え方や行動が少しぐらい変わってしまってもそこまで気にしなくても僕はいいんじゃないかと思っています。
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「こうじゃなきゃいけない」と思うのではなく、「こうでもいい」と思える柔軟性を手に入れるといい
そんな感じで自分がブレてしまう事には気にしなくてもいいって言われてもやっぱり何となくそこに罪悪感を感じてしまったりしますよね。でも、そこに罪悪感なんか感じる必要は僕はないとは思っています。それじゃあどうやったら、ブレてしまった自分に罪悪感を感じないでいられるのでしょう?
それは、「こうじゃなきゃいけない」とう言う風に考え方を固定するのではなく、「こうでもいい」と言う風に考え方に柔軟性を持たせるって言うのが僕はいいと思うんです。考え方を固定してしまうと、一回口に出してしまった事とか、一回起こしてしまった行動を後から変更するのは良くない事と感じてしまうんじゃないかと思います。でも、考え方に柔軟性があれば、時と場合によって考え方が変わってしまっても、それはそれでしょうがない事なんだと思う事が出来るんじゃないかと思います。
そんな感じで人の考え方なんて変わります。時には以前に言っていた事ややっていた事とまるっきり反対の意見や行動になってしまう事もあるんじゃないかと思います。でも、僕はそこにきちんとした理由があって、自分が納得して考え方や行動を変えているならそれはそれでいいんじゃないかと思います。それぐらいの柔軟性は持っていてもいいんじゃないかと思います。
まとめ
いかがだったでしょうか?時に人は以前と全く反対の事を言ってしまったり、反対の行動をしてしまったりする事があるんじゃないかと思います。そんな時には、周りから矛盾していると突っ込まれたり、ブレていると指摘されたりする事もあるんじゃないかと思います。でもね、僕はそれはそれでありなんじゃないかと思います。だって人は必ず変わっていくものですし、考え方がまるっきり変わってしまうぐらいの影響を受けてしまうなんて事もある訳なんですから。
そんな時には、自分は進化したと思えばいいんです。逆に何も変わらない方が不自然だったりもするんじゃないかと思います。ただその振り幅が大きいから周りからしたら、全く違う事を言っていると思われているだけって事もあるんです。自分の中でしっかりとした軸があるのであれば、その周りの枝葉が変わっていく事を恐れない事です。人は変わっていきます。それが自分で変わると決めたのならそれでいいんです。周りになんと言われようと気にする事なんてないんです。
ゆーすけ
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