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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、誰かに認められたいって思う事ってないですか?誰だって自分が頑張っていたりする時なんかには、「この頑張りを誰かが認めてくれないかぁ?」なんて思う事はあると思います。
こう言う感情の事を承認欲求と言うのですが、僕はある程度の承認欲求はあってもいいと思っています。例えば、認めては欲しいけど、認めてもらえなくてもいいやって感じだったらいいと思うんです。なぜならそう言う場合の承認欲求は、自分の欲求だけで完結していて、相手に認めて貰う事が目的にまでなっていないと思うからです。
でも、それが目的にまでなってしまっていたら話はちょっと変わってくるんじゃないかと思います。そこまでいってしまうと、自分がどうこうするのではなく、誰かの目線で動いてしまう事になってしまうと思うからです。言い換えるなら、自分にはコントロール出来ない事をコントロールしようとする事になってしまうと思うからです。
そして、この承認欲求って、自分が頑張っている時だけじゃなくて、自分が辛い状況にいたりする時にも発揮されてしまったりするんです。えっ?そんな事あるの?って思うかもしれません。でも、皆さんの周りにも、自分がいかに不幸かを切々と自慢げに語ってくる人っていませんか?
この手の人たちは、自分の不幸を自慢する事で、自分の承認欲求を満たそうとしている訳なんです。でもね、この不幸自慢って僕はやめた方がいいと思うんです。どれだけ自分の事を誰かに認めて欲しいからって、不幸自慢はしない方がいいと思うんです。
ここでは、不幸自慢する人はなぜその様な事をするのか、なぜ不幸自慢をするのはやめた方がいいのか、そして、不幸自慢する人への対処法などについて、僕が思っている事を簡単にまとめてみたいと思います。
もくじ
不幸自慢する人は構ってちゃん
では、なぜ不幸自慢をする人はその様な行動をとるのでしょう?自分の辛い事を自慢する事で一体全体何を達成しようとしているのでしょう?まぁこれは上にも書きましたが、自分が不幸だって言う事を語る事で、自分の事を相手に認めて貰いたいって言う事が最初に挙げられると思います。自分の事を見て欲しいんです。要は、構ってちゃんなんです(笑)。
で、これを聞くと、構って欲しいなら不幸なんかを利用しないで、他の事で他人に気を引けばいいじゃないかと思いますよね?もっと人が興味を持ってくれる事で他人の注意を引けばいいじゃないかと思いますよね?おそらくそれが多くの人が考える事なんじゃないかと思います。でも、不幸自慢をする人って大抵の場合、不幸以外に自分を誇れるものなんて何もないと思い込んでいたりするので、不幸を利用するんです。簡単に言うと自己肯定感が異様に低いんです。
まぁ自分に自信がないから不幸を利用するとして、実際問題構って貰える様になるもんなんでしょうか?これがね、意外と上手くいったりしてしまうんです。皆さんも、もし誰かが自分の不幸な状況を話してきたら、1度ぐらいは話を聞いてあげて、慰めてあげたりするんじゃないでしょうか?どんなに聞きたくなくても、いきなり無視なんかしませんよね。まさにこれが相手の思う壺なんです。彼らは、誰かしらが慰めてくれる事を知っているんです。だから自分の不幸を、それがどれだけ辛いのかについて延々と語り続ける訳なんです。
まぁちょっとめんどくさいですよね(笑)。でも、おそらくこれが、なぜ彼らが自分の不幸を自慢するかって事なんじゃないかと僕は思っています。
不幸自慢をしていると、結局人は離れていく
まぁ確かに周りにとってはめんどくさくても、それで自分の目的が達成されているなら、別に不幸を自慢していても別に悪くはないんじゃないか?って思ったりしませんか?でも果たして本当にそれでいいのでしょうか?僕は決してそんな風には思えないんです。だって、想像してみて下さい。誰かが、あなたに向かって「自分はいかに不幸か」って事を延々と自慢され続けたらどう思いますか?おそらくその人から距離を取ろうと思いませんか?
そうなんです。不幸自慢って結局周りの気分を害するだけなんです。で、まともな感覚を持っている人はいずれ不幸自慢をする人から離れていきます。特に自分が幸せだと思っている人は、あっという間に離れていきます。だって、他人の不幸になんか巻き込まれたくないですもん。で、気がついたら不幸自慢をしている人の周りに残っていくのは、同じ様に自分が不幸だと思っている人だけになってしまうんじゃないかと思います。言い換えるなら、お互いに傷をなめ合える様な人しか残ってくれないんです。
そして、その様に不幸な人に囲まれた所でいずれ構って貰うと言う自分の目的も果たせなくなっていきます。だって、自分の周りにいる相手も構ってちゃんなんです(笑)。自分の周りに構ってちゃんがいくら沢山集まった所で、自分の事を構ってくれる人が増える訳ではないんです。だからと言う訳じゃないですが、やっぱり不幸自慢なんかしても意味はないんです。確かに、ちょっとは構って貰えるのかもしれません。でも、その構って貰えるのはほんの一瞬です。長くは続かないんです。
結局、自分が不幸だと思うか、幸せだと思うかは自分に起きている出来事をどうとらえるかにかかっているんです。もし、自分の事を周りに認めて貰いたいとか、自己肯定感をあげたいとかって思っているのであれば、自分が不幸であると考えるのはやめて、自分の周りにある幸せを見つけていくのが1番の近道なんじゃないかと僕は思うんです。そう言う意味からも、やっぱり不幸自慢なんかしない方がいいと僕は思っています。
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不幸自慢をしてくる人の事は出来るだけ構わない
不幸自慢をしてくる人がなぜ不幸自慢をするのかがわかって、自分も不幸自慢なんかしない方がいいって事もわかったとして、不幸自慢をしてくる人にもし出会ってしまったとしたらどの様に対応していけばいいのでしょうか?僕はそう言う人の事は出来るだけ構わない方がいいと思っています。でも、相手は構って欲しいんだから、構ってあげた方がいいんじゃないの?っておっしゃる方もいるかと思います。でも、それじゃあ相手の思う壺ですし、相手の為には全くならないんです。
それはなぜかと言うと、この手の人たちは、誰かに構って貰うとか、自分の不幸を認めて貰うって事が不幸自慢する事の理由になっています。だから、もしそこで、誰かが構ってしまったら、そこで彼らの目的は達成されてしまうんです。えっ?それの何がいけないの?って思いませんか?その気持ちはとてもよくわかります。でもそれじゃあ、彼らは不幸から抜け出せなくなってしまうんです。てか、いつまでも不幸でいなきゃいけなくなってしまうんです。だって、不幸でいれば自分の目的が果たせるんですから。幸せになる必要なんかないんです。だから、彼らは常に不幸でいようとしてしまうんです。
なので、その手の人の事は構ってしまってはダメなんです。構わなければ、彼らは不幸でいたら自分の目的が果たせなくなってしまうので、不幸から出ていこうとする事もあるんです。上にも書きましたが、自分の承認欲求を満たしたり、自己肯定感をあげたりする為には、自分が幸せである事に気付く必要があるんです。自分が不幸と思っている間はそれらを達成する事は決して出来ないんです。
で、こう言う事って人に言われて出来るもんでもないんです。自分で気がつかない限りは自分を変える事って難しいと思うんです。だからと言う訳じゃないですが、不幸自慢は意味がないと自分で気づいて貰う為にも、不幸自慢をしてくる人を慰めたりして構ったりするのはやめた方が僕はいいと思っています。
まとめ
いかがだったでしょうか?世間では、人に認められる事ばかり考えない方がいいなんて言われていたりすると思いますが、僕は少しぐらい承認欲求があってもいいんじゃないかと思っています。そう言うものがモチベーションややる気につながる事もあったりするからです。でも、その承認欲求の度が過ぎてしまうのはどうかな?とも思います。そうなってしまうと人の基準で生きてしまう事にもなってしまったりするからです。
特に自分が辛い時に自分を認めて欲しいからって、不幸自慢みたいなものはしない方がいいと思います。そんな事をしても自分の心が満たされる事もないですし、自分の問題が解決する事も一切ないんです。不幸を自慢する為に不幸でいようとなんかしない事です。そんな事より、自分が幸せだって事に気づくのです。その方が精神衛生的には絶対にいいはずです。
ゆーすけ
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