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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、常識がある人と非常識な人だったらどちらの方が付き合いやすいですか?こんなの言うまでもないですよね。もちろん常識的な人だと思います。
巷には「常識を疑え」なんて言葉もありますが、僕はある程度の常識って誰でも持ち合わせていた方がいいとは思っています。そして、疑ってはいけない常識ってあると思うんです。だって、そう言うものがなければ、みんながみんな好き勝手な行動をしてしまう事になって世の中がめちゃくちゃになってしまうんじゃないかと思うからです。

でもだからと言って常識ガチガチってのもどうなのかな?とも思うんです(結局どっちなんだって話ですよね(笑))。だって常識人って聞こえはいいけど、頭でっかちの融通が利かない人って感じがしませんか(笑)?僕は基本的には、人ってある程度の柔軟性を持っていた方がいいんじゃないかと思っているんです。
まぁそんな感じなので、僕の常識に対するスタンスとしては、全ての常識を疑う必要はないけれど、世の中の常識と言うもの自体にとらわれ過ぎない方がいいって感じなんです。
ここでは、なぜ僕がその様に考えてるかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
常識ってのは多くの人に当てはまる誰かが決めた基準でしかない
では、まずどうして僕がそこまで常識にとらわれる必要がないと思っているかと言うと、常識って言うのは、単に多くの人に当てはまる基準でしかなかったりすると思うからなんです。言い換えるなら、全ての人に当てはまる事柄ではないって事なんです。まぁ例えるなら、男の人は青が好きで、女の人はピンクが好きって言うのが一般的な常識と思われているんじゃないかと思います。これは、自分で本当にその色を選んでいるかどうかは別として(誰かにそうなる様に導かれている可能性もありますが)、多くの男女がある程度はその様な傾向にあるんじゃないでしょうか?

でも、これって100%の人に当てはまるって事はありえませんよね。ピンクが大好きな男の人もいるし、青が大好きな女の人もいる訳です。けれど、一般的な常識としては、男の人の色は青で、女の人の色はピンクってなっているんじゃないかと思います。だからと言う訳じゃないですが、常識ってその程度のものだったりするんじゃないかと思うんです。全てではなく、多くの人に当てはまれば、それって常識って事になってしまうんじゃないかと思うんです。
それはもしかしたら、みんなと同じでいたいって人には都合のいい基準なのかもしれません。でも、僕はそう言う理由で人と同じ事をするってあまりいい事ではないと思うんです。なぜかと言うと、それは周りに合わせる為に自分を偽っているって事になると思うからです。自分がやりたい事をやっていたら、たまたま周りも同じ事をやっていたと言うのであればいいと思うのですが、常識だからと言う理由で大多数と同じ事をするって僕はあまりオススメはしたくないんです。

そして、もう1つ常識にとらわれない方がいいと思う理由としては、多くの常識って誰かが決めたものだったりするんです。確かに多くの人と一緒に生きていく上では、それなりのルールが必要です。そこに当てはまる常識ってものはなきゃいけないとは思います。でも、そう言うものを含めて、常識って勝手に発生していくものとは僕には到底考えられないんです。絶対にそれを決めた誰かがいるはずなんです。上に書いた男女の色の好みについても、おそらく昔の誰かが男は青、女はピンクって決めたからそれが今では常識の様なものとして認められているんだと思います。例えば、その時に誰かが、男は黄色で、女は緑って決めてれば今ではそれが男女の色の常識って事になってたかもしれないんです。

だからと言う訳じゃないですが、そんな人が決めた多くの人に当てはまるものなんかにそこまでとらわれる必要はないんじゃないかと僕は思うんです。ある程度誰にも迷惑をかけないのであれば、僕は自分の基準は自分で決めてしまって、それに沿って生きてもいいんじゃないかと思っています。
常識が本当に正しいのかはよくわからない
そして、これはおそらく多くの皆さんが感じている事なんじゃないかとは思うのですが、常識って聞くとあたかもそれが正しい事の様に感じてしまったりしませんか?まぁそりゃそうですよね。大多数の人に当てはまるのであれば、それが正しいと感じてしまってもおかしくはないですよね。でも、果たして本当にそうなのでしょうか?僕には常識ってものが常に正しいとはどうしても思えないんです。
僕は今現在アメリカにある小さな大学で働いているのですが、授業をしたりセミナーをしたりって言うのは、教室や講堂にみんなが集まって対面でやるって言うのが、ちょっと前までの当たり前の常識でした。でも、今年の初めあたりからの大規模な感染症の影響で、それが一切出来なくなって、オンラインで授業をしたり、セミナーをしたりって言うのが今の常識になっています。
オンラインでセミナーに参加するってスタイルは今に始まった訳ではなく実は前からあったのですが、僕も以前は、セミナーはオンラインなんかじゃなくて対面で参加する事に意義があるぐらいに思っていました。でも今となっては、セミナーが行われる講堂まで移動する必要なんかもなくなってしまったし、自分の居心地のいいオフィスでセミナーが聞けるこのスタイルもありだなって思う様になってきてしまったのです。で、どちらかと言うとこっちの方が正解なんじゃないかぐらいにさえ思ってきてしまっているのです。
なので、常識ってのは、確かに多くの人には当てはまってるので今はそれが当たり前ではあるけど、それが本当に正しいのかどうかはわからないと言う風には思っているといいんじゃないかと思います。もしかしたら、これが巷で言う「常識を疑え」って事なのかもしれませんが(笑)。

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常識なんてコロコロ変わっていくので柔軟に反応していくといい
これはもしかした、上に書いた事と少しつながるのかもしれませんが、常識って時代や場所でコロコロ変わっていくもんなんです。もうこればっかりはどうやっても避けられないんです。いくら常識だからってそれが永遠に続いていくなんて事はない訳なんです。例えば、日本なんて遠い昔はみんながみんな着物を着ていたんですよ。でも、どうですか、今は洋服を着るのが普通で着物を着る事の方が珍しくなっていたりしていませんか?髪型だって男の人はちょんまげだったんですよ(笑)。まぁこれはちょっと極端な例だとは思いますが、そんな感じで常識なんて変わってしまうんです。

なので、やっぱりここでも言いたいのは、常識になんかとらわれ過ぎない方がいいと思うんです。その時その時で変わっていく常識に柔軟に対応していけばいいと思うんです。無理に流れに逆らおうとせずに、世の中の変化に乗ってみるってのもアリだと思うんです。でもそれは、みんながやっているからそれに乗っかるってのではなく、自分の意思で流れに乗ってみる(もしくは乗らない)ってのが大事だとは思います。

まとめ
いかがだったでしょうか?人同士がお互い上手くやっていく為には、ある程度の常識を知っているって事はとても大事な事だと思います。じゃないとみんなそれぞれが自分のやりたい様にやってしまう事になってしまって、収拾がつかなくなってしまうと思うからです。でもだからと言って、常識にとらわれ過ぎるのもそれはそれで良くはないんじゃないかと思います。
常識なんてものは、
- 多くの人に当てはまる他人が決めた基準でしかないですし、
- 正しそうに見えて本当に正しいのかはわかりませんし、
- 時代や場所によってコロコロ変わっていく様なもんだからです。
だから、そんな常識ばかりにとらわれず、時には自分の決めた自分なりの基準に従って生きるといいんじゃないかと思います。そして、変わっていく常識に対しても、昔の常識が絶対に正しいとなんか思わずに柔軟に対応していくのがいいんじゃないかと僕は思います。
ゆーすけ
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