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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、怒られるのって得意ですか?まぁ正直そんな人この世のどこにもいないんじゃないかと思います(笑)。誰だって出来れば怒られたくなんかないですよね。
でも、これはもしかしたら皆さんもなんとなく経験した事があるかとは思いますが、怒られない様にと出来るだけ注意して何かをした時に限って、逆にめちゃくちゃ怒られちゃったりしたなんて事ありませんか?あれって一体なんなんでしょうかね?
まぁこんな感じで、人はどれだけ注意していたとしても怒られる時は怒られます。どれだけ怒られたくないと思っていても、怒られる事って完全に避ける事は出来ないんじゃないかと思います。そして、これは僕の感覚なのですが、人って怒られない様にすればするほど、怒られてしまう様な気がするんです。
だからと言う訳じゃないですが、何をするにも「怒られない様に」を目的にするのはあんまり意味がないんじゃないかと思うんです。てか、そんな事やめた方がいいと思うんです。
ここではなぜ僕がその様に考えているかについて、簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
人の顔色を伺う行為は時に人を苛立たせてしまう
まず、なぜ何かをする時に、誰かに怒られない様にするって事を目的にしない方がいいかと言うと、おそらく怒られない様にするって言う事が、その事をやる為の本来の目的ではないと思うからです。
それはどう言う事かと言うと、例えば、仕事でAと言うものを作っていたとしましょう。この時の目的はAを作るって事ですよね。でも、途中の過程で問題が起こってしまって、その納期に間に合わせる事が出来なかったとしましょう。で、それを知ったあなたの上司にあなたはこっぴどく怒られてしまったとしましょう。そして、それに怖くなってしまったあなたは、次の同じ様な事が起きてしまった時に上司に怒られない様にと、Aの質を落としてでも納期に間に合わせる事を優先させてしまう様になってしまうって感じの事なんじゃないかと思います。
まぁもしかしたらこの例えもわかりにくかったかもしれませんが(笑)、要は誰かに怒られない様にするって、本来の目的とはだいぶかけ離れた目的を達成する事に注意が注がれてしまう事になってしまって、それこそ本末転倒だよって感じの事を言いたかったのです。そんな感じなので、何かをやろうとしている時に、もし本来の目的を達成したいと思っているのであれば、誰かに怒られない様にって事を目的にするのはあまり良い考え方ではないんじゃないかな?って僕は思います。
それに加えて、怒られない様にしてる時って、だいぶ相手の顔色を伺っていますよね。相手がどんな事をしたら怒って、どんな事をしたら喜ぶのかなんて事を考えて物事を進めていますよね。これは皆さんも顔色を伺われている側に立ってみるとわかると思うのですが、自分の顔色を伺われているかどうかなんて正直手に取るようにわかってしまったりするもんなんです。
で、中にはそうやって自分の顔色を伺われて、自分の機嫌を取られる事に喜びを感じる人もいる事はいるとは思うのですが、大抵の場合、人は顔色を伺われるとなんとなくイライラしてきてしまったりするんです。特に、自分に怒られない様にビクビクしている人を目の当たりにすると、なぜだかもっと怒りたくなってしまうもんなんです(笑)。
だからと言うわけじゃないですが、そう言う意味からも、人の顔色なんか伺って怒られない様に、なんて考えない方がいいんじゃないかと僕は思うんです。それよりも本来の目的を達成する事の方が大事な事なんじゃないかと思います。どんなに怒られて怖い思いをしたからって、それは履き違えない様に気をつけた方がいいと僕は思っています。
怒られている事を自分自身を否定されたとは、とらえない様にする
誰かに怒られない様にを目的にしないほうがいいってのがわかっとしても、それでもやっぱり人から怒られるのって嫌なもんですよね。出来るならそんな事避けたいと思いますよね。その気持ちはとてもよくわかります。僕だって人から怒られたくはないと思います。では、なぜ人はそこまで他人に怒られるのを嫌がるのでしょうか?それは、多くの人が怒られている事を個人的に受け取ってしまうからなんじゃないかと思うんです。
確かに怒りにまかせて人格否定をしてくる人はいます。そう言う人はちょっとこの際除外しておきましょう。そんな感じで直接人格否定をしてくる人は別として、多くの場合、人が起こっている事ってその起きた出来事に対してだったりするんです。例えば、上の例に戻ってみるとしましょう。上司が怒っているのは、Aと言う商品が納期通りに上がってこない事に対してで、あってあなたの能力などについて怒っている訳ではないんです。でも、多くの人は、それを個人的な攻撃と感じてしまって苦しむ事になってしまうんじゃないでしょうか。
まぁ確かに、「お前のせいだ」とか人格を否定してくる上司も中にはいるでしょう。上にもちょっと書きましたが、そう言う場合の話は別です。そんな風に人格を否定してくる人の言う事なんかに聞く耳を持つ必要は全くないです。でも、もし怒られている内容があなたに対する人格否定ではなく、起きた出来事に対するものであるのなら、実際はそこまで恐れる事もないんじゃないかと僕は思います(まぁ恐れるなと言われてもそんな簡単な事ではないのはわかりますが)。
なので、何かをやっている時に、もし誰かに怒られたとしたら、なんでもかんでも怖がって尻込みしてしまうのではなく、その怒りがどこに向いているのかを一旦冷静に判断してみるといいんじゃないかと僕は思います。その怒りは意外と自分に対して向けられている訳じゃない事が多いって事に気がつくんじゃないかと思います。
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「怒られない様に」をやめる為には、自分の事をありのままで受け入れてくれる拠り所を見つける
怒られない様にした方がいいって事はわかって、怒っている事が大抵の場合は自分に対する攻撃ではないとわかったとして、どうやったら「怒られない様に」って事をやめる事が出来るのでしょうか?そうやって言うのは簡単だけど、実際にやるのは難しいですよね。
じゃあここでちょっと考えてみましょう。誰かに怒られない様にしている時って何が目的で怒られない様にしているのでしょうか?その裏側にはどんなな心理が隠れているのでしょうか?僕はその裏には、自分の事を認めて欲しいって言う気持ちが隠れているんじゃないかと思っています。だから、相手の気持ちを逆なでない様にしているのではないかと僕は睨んでいます。
でもね、こうやって怒ってくる人ってどんな風に頑張っても、こちらが思っている様な形で認めてくれる事ってないんじゃないかと思います。例え、100歩譲って、こちらに期待をかけてくれているから怒ってくれているって事があったとしたって、こちらは怒らないでただ素直に認めて欲しい訳ですよね。どちらかと言うと認めているなら褒めて欲しい訳ですよね。だから、もうこの時点で噛み合ってない訳なんです。
それでは、こんな時はどうしたらいいのでしょう?もう怒ってくる人に認めてもらうのは一旦忘れてしまうって事が大切なんだと思います。そして、自分の事を認めてくれる他の環境を探しに行くといいと僕は思うんです。例えば自分の事を必要としてくれる様な自分の居場所を他に作ってしまうといいと思うんです。そう言う場所が1つでもあれば自己肯定感は確実に上がります。自分に自信があれば、違う場所でちょっとぐらい怒られたって「怒られない様に」と自分を偽る必要もなくなっていくもんなんです。
まとめ
いかがだったでしょうか?時に人って言うのは、誰かに怒られない様にするって事が行動の基準になってしまうって事があるんじゃないかと思います。確かに誰だって人に怒られるなんて経験はしたくないので、出来るだけ怒られない様に気を付けてはいるんじゃないでしょうか。でも、長い人生を生きてりゃ、必ずどこかで怒られるでしょうし、怒られる事を避けるって事は不可能なんじゃないかと思います。
そして、残念なのですが、人は怒られない様にと顔色を伺えば伺うほど、相手の事を苛立たせてしまうもんなんです。なので、もし怒られたくないのだとしたら、出来る限り相手の機嫌をとる様な事は逆にやめた方がいいと思います。そして、もし怒られてしまったとしても、全てを自分に対する攻撃とは受け取らない事です。自分が責められていると思うから怒られる事が怖くなってしまうんだと思います。で、人に怒られない様にと顔色を伺わない様になる為には、自分に自信を持つ事です。自分に自信をくれる環境に身を置く事です。そうしていれば、ちょっとぐらい怒られたってなんとも思わなくなってくるはずです。
ゆーすけ
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