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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、考えても考えても答えが出ない時ってないですか?そう言う時って自分がどうしていいのかがわからなくなってしまって、ちょっと苦しく感じてしまいますよね。
そして、そんな時ってなおさら答え(もしくは正解)が知りたくて知りたくてしょうがなくなってしまって悶々としてしまうんじゃないかと思います。でも、ここまできてしまうともうどうやっても答えなんか出てこないんじゃないかと思います。
でも時として、こんな感じの状態でも何かしらの答えを出さなきゃならないって状況に追い込まれる事ってあるんじゃないかと思います。そんな時皆さんはどの様にして乗り越えていますか?
誰かに相談しますか?当てずっぽうで決めちゃいますか?
僕はそんな時こそ自分の勘に頼ってしまうのがいいんじゃないかと思います。えっ?勘なの?って思うかもしれません。でも、自分の勘って結構頼りになったりもするんです。ここで注意しておいて欲しいのは、当てずっぽうではなく、勘って事です。この2つは似ている様で全然違うんです。
そんな感じで、考えて考えて考え抜いても答えが出ないって時には、最後は自分の勘に頼るといいんじゃないかと僕は思っているんです。
ここではなぜ僕がそう思っているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
勘はこれまでの自分の経験から発しているサイン
まず最初に、勘に頼れって聞くと、なんかいい加減に答えを出せって聞こえるかもしれませんが、意外とそんな事はないんです。自分の勘って結構侮れないものだったりするんです。それはなぜかと言うと、勘って言うのはテキトーに思いついた答えではなくて、これまでの自分の経験から自分が発している何かしらのサインだったりするからです。まぁそのサインが100%正しいかって言われたらそこまでではないとは思いますが、それでもかなりの確率で当たっている事が多いんじゃないかと思います。僕のこれまでの経験から感じているのは、自分の勘って8割9割は当たっているんじゃないかって事です。
ではなぜ、勘ってそんなに高い確率で当たるのかと言うと、自分がこれまで経験してきた事を総合して、こう言う時はこうした方がいいとか、ああ言う時にはこうはしない方がいいとかって言う判断を無意識のうちに自分が勝手に行っているからなんです。なので経験を積めば積むほど自分の勘って言うのは研ぎ澄まされていきますし、当たる可能性も高くなっていく事が多いんです。
でもそんなに凄いものなのになぜ人は勘って聞くと嘘っぽいと思ってしまうのでしょう?それはそこにはっきりした根拠(もしくはエビデンス)と言うものが見えないからなんじゃないかと思うんです。上にもちょっと書きましたが、勘が働いている時って結構無意識です。あれがああなって、これがこうなって、そうなるからこれが正しいみたいな道筋を通って答えにたどり着いている感じがしないから、なんとなく信じ難いんだと思います。でも、実際は自分の中で気がつかないうちにそんな感じの計算をしているから勘というものが働くわけなんです。
だからと言う訳じゃないですが、自分の中で感じる勘って言うものは意外と信じてみても僕はいいんじゃないかと思っています。特に一生懸命考えた末の勘って言うのは結構な確率で自分を正解に導いてくれたりするんじゃないかと僕は思っています。
迷っている時は頭に浮かんだ方をパッと選んでみるといい
で、結構考えている時って、おそらくなんですが、大体の場合選択肢が2つか3つぐらいにはしぼられている様な状況なんじゃないかと思うんです。だって一生懸命考えているのに本当に何も思い浮かばないなんて事はほぼないんじゃないかと思うからです。もう少しで決められそうだけど、後もう1歩が踏み出せないって時に考え込んでしまう事が多いんじゃないかと僕は思うんです。
でも、僕のこれまでの経験から言って、こんな感じになった時って、何を選んでもそこまで大差がないって事が多かったりするんです。だって、明らかに違いがわかっている時は、簡単に決められるんです。でも、どれを選んでもそこまでの差が見えないからなかなか決めきれずにいるんじゃないかと思います。
で、僕はこんな時こそ勘が助けてくれるんじゃないかと思うんです。その時にパッと頭に浮かんだものを選んでしまうといいんじゃないかと思うんです。だって、自分の中ではどれを選んでもほぼ一緒なんです。その中でパッと浮かんだものならあまり大きな間違えにつながる様な事はあまり可能性としては高くないと思うんです。
どれを選んでもそこまで差がないものに迷って時間をかける事こそ、僕は時間の無駄だったりするんじゃないかと思うんです。迷っている時こそ勘に頼っていんじゃないかと僕は思います。
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勘に頼るのと、テキトーに決めるのをごっちゃにしない方がいい
で、ここでもう1度確認しておきますが、勘に頼るって事と、当てずっぽうにテキトーに決めるってのは決してごっちゃにはしないで下さい。例えばこう言う話をすると、テストで3択の問題なんかに出会った時に、答えがわからなくても勘でいけって事なんでしょ?みたいにもの凄く極端な話に持ち込もうとする人が出てきたりするのですが、これはそう言う事をいいたい訳ではないんです。
そう言う行為を勘に頼るって言っている人もいますが、僕はそう言うものは勘だとは思っていません。それは本当に当てずっぽうでテキトーに選んでいるだけです。だって、自分の過去の経験に基づく様な判断ではないですし、これこそ全く何の根拠もない選択なんじゃないかと思います。勘に頼っていい時ってのは、それに近い様な事を以前に経験した事があって、それに対して自分の気持ちがなんとなくざわつくって時なんじゃないかと僕は思っています。
この心がざわつく感じってのが僕は自分が発しているサインなんだと思います。なんの経験もなく、心もざわざわしてないのに、ただテキトーに選んだって、それは単なるギャンブルです。当たる確率なんてもの凄く低いと思います。たぶん1割にも満たないんじゃないでしょうか。そんなものに頼っても絶対に正解なんか導き出せません。もしそれが正解だったとしたらそれは単なるラッキーなんです。
なので、どんなに答えが欲しくても、本当になんの根拠もない選択はしない方がいいです。勘が働く時ってのは、自分の中で何かしらのサインがあるはずです。それに注意しておくといいです。それを見逃したりすると時として大変な事になったりもするからです。
まとめ
いかがだったでしょうか?時に人って考えても考えても答えが出せない時ってあるんじゃないかと思います。そんな時ってなんかその場から抜け出せない様な気がして辛く感じてしまったりもするんじゃないでしょうか。でも、もうその状態までいってしまった様な時には、それ以上考えても答えなんか絶対に出ないんじゃないかと思います。
僕は、そんな風に沢山考えた時にはもう最後は勘に頼ってもいいんじゃないかと思っています。勘っておそらく皆さんが考えている以上に自分を正しい答えに導いてくれたりもするんです。何も考えずにテキトーに当てずっぽうで決めようとするのはどうかと思いますが、いろいろ考えた末に迷っている(もしくは悩んでいる)なら、その時にパッと浮かんだものに従ってみるってのもありなのかもしれません。
ゆーすけ
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