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どーも、ゆーすけです。
皆さんは、自分の行動に自分でちゃんと許可を出せていますか?そんなの当たり前だろっておっしゃるとは思いますが、僕は意外とそれが出来てない人が多いんじゃないかと思っているんです。
確かに、法律とかルールで決まっている事に関しては、勝手になんでも自分の判断で出来る訳ではなく、それなりの手続きを経て誰かの許可を得ると言う事は必要だとは思います。
でも、そう言う風にどうしても誰かの許可が必要と言う事以外に関しては、大抵の事は自分で許可を出してもいいんじゃないかと思います。てか、許可を出せるのは自分しかいないんじゃないかと思うんです。
そして、自分が何かの行動を起こす事に関して、誰かの許可を得る必要もないんじゃないかと思うんです。
もくじ
伝達と根回しは必要だが、許可を取る必要はない
まず、他人の許可を得る必要はないとは言いましたが、なんでもかんでも自分のやりたい様にやっていいって事を言いたい訳じゃないって事は理解していて下さい。自分に許可を出したのだから、自分勝手にやっていいって事ではなくて、やはり周りとの兼ね合いみたいなものは大事にした方がいいとは思います。その為には、周りに自分はそれをやるよって事を伝えておく事と、それをやる事で他に支障が出ない様にきちんと根回しをしておくって事は大事だとは思います。
これはどう言う事かと言うと、例えば仕事で休暇を取る時なんかがそうなんじゃないかと思います。ちょっと長めの休みを取る時に、たぶん多くの人が「ここからここまで休んでもいいですか?」って上司の方とかに聞くと思うんです。これは僕も別に悪い事ではないとは思います。僕も一応研究室のボスだったりするので、自分のラボメンバーから休みたい時にはその様に聞かれます。
で、僕は、この時に「いいですか?」って「許可を下さい」って感じで聞かなくてもいいんじゃないのかな?って思うんです。だって、もし僕が「ダメ」って言ったら休まないの?って思ってしまうからなんです。いや僕だって、それが許可を取りに来ているんじゃなくて、一応の確認で聞かれているのはわかります。でも、それは僕と僕のラボメンバーの関係性があっての話であって、彼らも僕が「ダメ」という事はないとわかっているし、休んでも仕事に支障がないだけの準備をしていから報告に来ているので、僕らの場合は本当に確認作業なのです。
でも中には、「ここからここまで休んでもいいですか?」で本当に許可を取りにいっているケースもあるんじゃないかと思います。で、実際に「その時期はダメ」とか「本気で休むの?」とか言われて断念せざるを得ないなんて事もあったりするんじゃないかと思うんです。それって僕はなんか変なんじゃないかと思うんです。
まぁここでは休暇を取る事についてを例えに出しましたが、これだけじゃなくてあらゆる場面で多くの人が誰かの許可を得なくては自分の自由に事を進められないって事が多いんじゃないかと思います。でも、大抵の事は、周りに確認してそれなりの準備をしてさえいれば、自分で決めて自分の判断で進めていく事が出来るはずなんです。
もし、あなたが今その様な環境にいるのであればそれは絶対に何かがおかしいです。もし必要であればその様な環境からは抜け出した方がいいのかもしれません。
自分には逃げる許可も出す
で、誰かの許可がないと何も出来ない様な環境からは逃げた方がいいとは言いましたが、その逃げると言う行為を自分に許可を出すのも自分なんです。言い換えるなら、自分の行動に決断を下してゴーサインを出していけるのは自分だけなんです。
そんなの当たり前だって思うかもしれません。でも、この逃げるって事に関して非常に多くの人が他人の許可を取ろうとするんです。例えば、転職したいと思っている時なんか「仕事辞めちゃってもいいかな?」とか、誰かに聞いちゃうなんて事なくはないと思うんです。
それが相談という形であるのならそれはそれでありだと思います。でも、中には誰かに決めて(もしくは誰かの許可が)欲しくて聞いている人もいるとは思うんです。
確かに、仕事を変えるって大きな決断です。そう簡単に決められる事ではないのはわかります。何の準備もなく辞めては、収入がなくなっては大変な事になってしまいます。もし家族がいるなら、収入がなくなったら養っていけなくなってしまう可能性もあります。
でも本当に自分が違う仕事をしたいと思っているのに、ダメって誰かに言われたとして、それを諦めきれるのでしょうか?僕には何となくそうとは思えないんです。例えば上に書いた様に家族にちゃんと確認をとって、ある程度無収入になる時期があっても大丈夫という準備と根回しが出来ていれば、最後に許可を出すのは自分なんじゃないかと思います。
これには賛否両論あるでしょう。それって自分勝手すぎるんじゃないか?って意見もあるかもしれません。でも、やっぱり自分の人生に対する許可は自分で出すしかないんじゃないかと思います。
僕はこれまでに医者と言う仕事を辞めて、日本を飛び出してアメリカに移住すると言う大きな決断をしてきました。周りのみんながみんな賛成してくれた訳ではなく、結構な反対にも遭いました。でも、僕はこのまま日本で医者をやっていたら自分が壊れてしまうと思うぐらい、辛さを抱えていました。
だから、医者を辞めた時も、アメリカに飛び出した時も、誰かが許してくれたからそれをやった訳ではなく、最終的には自分で自分に対して「医者を辞めていい」、「日本を出て行ってもいい」と許可を出したのです。
こう言う事ってちょっと大きな決断なので、自分に自信がないから誰かからの許可をもらうって形で背中を押してもらいたいって感じなのはわかります。でも、これって実際は誰かに「トイレに行ってもいいですか?」って聞いているのと同じ様な事なんじゃないかと、僕は思うんです。もうどうしてもトイレに行きたかったら、「ダメ」って言われた所で行かない訳にはいかないですよね(笑)?何とかして行く方法を探しますよね(笑)?
まぁ要は、そんな感じなんです。自分がどうしてもその環境から逃げたいのなら許可を出すのは、他の誰でもなく自分しかいないんだと思います。
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責任を他人に押し付けるのはちょっと違う
でも、どうして人は何かをやろうとする時に、誰かの許可を取ろうとするのでしょう。まず1つ目の理由としては、小さい頃から何をするにも許可を取らなきゃいけないって言う教育を受けてきたってのがあると思います。まぁ確かに教育現場では、好き勝手に何でもやられては困るってのがあるとは思うので、ある程度先生や大人の許可を得る必要があるってのは理解できます。
でも、大人になってまでそれを引きずる必要はないんじゃないかと思うんです。確かに、自分で自分に許可を出していいって言う風には教わってきていない人が多いと思うので、自分で決めて自分でそれに許可を出すってのは難しいってのはわかります。でも、やっぱり自分がやりたい事があるのなら、それは誰かの許可なんかをもらわなくても自分で判断して進めていくって言う事を少しずつ習慣にしていってもいいのではないかと思います。
そして、2つ目の理由としては、ちょっと厳しい事を言ってしまう事になりますが、誰かに許可を得ようとするって、結局は自分で責任を取りたくないからなんだと思うんです。だから、誰かの許可を貰うって形にして「あの人がああ言ったから」と言える様に保険をかけているんじゃないかと思うんです。
まぁでも、僕はこれはちょっと違うんじゃないかと思います。だってもし僕が、医者を辞めたのも、アメリカに飛び出したのも、「だれだれさんがいいって言ったから」言ってたら、「はーっ何言ってんの?」ってなりません?そのだれだれさんだって、「何こっちのせいにしてくれてんだ?」ってなるんじゃないかと思うんです。
だからと言う訳じゃないですが、どんなに不安んでどんなに自信がなくても、何かをやろうとする時に誰かの許可なんか求めない方がいいと思うんです。繰り返しになりますが、そこに関わっている人たちにちゃんと伝えてそれなりの準備をしておく事は絶対に必要です。でもそうでなければ、自分のやる事に責任を持って、許可を出すのは自分だけなんじゃないかと思います。
まとめ
いかがだってでしょうか?確かに世の中には、決まりとか規約とかがあって誰かの許可を取らないと物事を進めてはいけない場面ってのはあると思います。でもそうでなければ、基本的には何かをするのに誰かの許可なんかいらないんじゃないかと思います。
誰かに許可をもらった方が、その選択が相手の責任になる様な感じがして気持ちは楽になると思います。でも、それじゃあやっぱり自分の人生を生きているって事にはならないんじゃないかと思うんです。なので、どんなに不安でどんなに自信がなくて、誰かに頼りたくなったとしても、自分の為に自分の選択に対する許可は自分で出していくのがいいと思います。その方が結果に対しても、その結果がどうあれ絶対に納得出来るはずです。
ゆーすけ
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