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どーも、ゆーすけです。
皆さんは、もし誰かに「成功するのと失敗するのとどちらがいい?」って聞かれたらどう答えますか?おそらく相当な物好きでもない限りは「成功した方がいい」って答えるんじゃないかと思います(笑)。そりゃそうですよね。誰だって失敗なんてしたくないですよね。
で、成功する為には皆さんはどんな感じで物事にアプローチしますか?出来れば完璧に準備して、完璧に仕上げてってのが理想的ですよね。でも、世の中には「完璧主義はやめた方がいい」なんて言われてるから、なるべく完璧を目指さない様にはしているけど、結局完璧を目指しちゃったりしませんか?だって完璧を目指す以外に物事を上手に成し遂げる術って他になさそうですもんね。
でもね、やっぱり完璧って目指さない方がいいと思うんです。完璧ってどこまでいっても終わりがないんです。どうやってもたどり着けないんです。じゃあ、どうやって物事を進めていくのがいいのでしょう?僕は完璧を目指すのではなくて、その時の最善を尽くすってのがいいんじゃないかと思うんです。
もくじ
やるだけやったと思える所で満足する
でも最善を尽くすのがいいって言われても、最善ってその時のベストって事なので、完璧と何が違うのかな?って思いません?最善を尽くすって事だって完璧を求めているのと同じ様なもんじゃないかって意見も出てくると思うんです。
でも、最善と完璧は全く違うんです。何が違うかって言うと、例えば完璧を100とします、それで完璧を求める(もしくは完璧主義)ってのは常にどんな時でも100を狙うんです。そして、99では満足出来なくて、その足りないたった1にもの凄くこだわるんです。で、そう言う人にとっては100以外は完成ではないので、何をやっていてもいつまでたっても終わりません。
えーっ、それはちょっと言い過ぎなんじゃないって思うかもしれません。でも、周りをよく見回してみて下さい。こう言う人って以外とそこら中にいるってことに気づくと思います。
でその一方で、最善を尽くすってのは、ちょっと疲れてたりして、このままやっていてもたぶん100には届かないだろうな?って言う時に、その手前の段階で「ここまでやったからこれでいいや」って思えるって事なんです。例えばそれが60であったとしても「やるだけやったし60でもオッケー」と思えるって事なんだと思います。まぁ言い換えると、この「やるだけやる」ってのが最善を尽くすって事なんだと思うんです。

ただ1つ勘違いして欲しくないのは、この60は諦めての60ではないって事です。本当は100が良かったけど、60にしか届かなかったってのではなく、本当は100が良かったけど、今は60が自分の全力だから100じゃなくてもそれはそれで良しと思えているって事なんです。
で、もう1つ覚えておいて欲しいのは、これが手を抜いての60でもないって事です。本当は80とか90とかに余裕で到達できるのに、まぁ60ぐらいやっときゃいいやって言う感じの60ではないって事です。
まぁ簡単にまとめると、最善を尽くすってのは、常にどんな時でも100%を目指すのではなく、その時の状況によって目標地点を柔軟に変更して、その時に自分に出来る事を出来る範囲で最大限に努力し、その時に自分が到達して地点(例えそこがどこであろうとも)に満足するって事なんじゃないかとお思います。
絶好調の時のイメージは捨て去る
そして、最善を尽くす上で意外と忘れられがちなのは、その時点での最善を尽くすって事です。そんなの当たり前だろって思うかもしれません。でも、多くの人が、自分の全盛期とか絶好調とかの時を基準にして最善を尽くそうとしていたりもするんです。そうするとその最善に到達出来ずにもの凄くがっかりする羽目になるんです。
例えば、スポーツなんかがそうですよね。僕は、若い頃にサッカーで全国大会に出た事があります。まぁ自分で言うのもなんですが、そこらへんの人よりはちょっとだけサッカーは上手いです。実は今でもサッカーは続けていて、20代ぐらいの若者と一緒にプレーしたりもします。もう昔みたいには動けませんが、昔取った杵柄でそこそこ若者たちと渡り合う事が出来ています。そこでも僕は自分の最善を尽くしていますが、若い頃のイメージは今は捨てました。たまに若かった頃の全盛期のイメージで動いて何度も怪我をしたからです。
まぁもしかしたら例えはちょっと違ったかもしれませんが、ともかく最善を尽くす時には、自分の1番良かった時の幻想で全力を出さないって事が大切だと思います。非常に残念なのですが、人間は年齢を重ねる事にいろんな部分で衰えていきます。それを考慮に入れず、その時のイメージのままで最善を尽くそうとすると、必ず無理をしてしまう事になります。
まぁこれは年齢だけではなくて、体調なんかも同様なんじゃないかと思います。何か大きな病気などをした後に、病気をする前の調子で全力を出そうとして、思っているレベルに到達出来ずにがっかりしてしまう事も多いんじゃないかと思います。
だからと言う訳じゃないですが、自分の現状を冷静に判断し、その時点でも最善を尽くしていく事が大事なんじゃないかと思います。そして、その際に注意して欲しいのが、例え自分が以前より出来る範囲が少なくなっていてもそれはそれとして受け入れるって事がとても大切なんだと思います。

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どんなに嫌な事でも最善を尽くす事は出来る
で、ここまでは、なんとなく前向きに何かを達成していく事について話ている感じがあったかもしれません。でも、この最善を尽くすってどうしてもやりたくない事をやらなきゃならない様な状況にも当てはめる事が出来るんです。
誰にだって、やらなきゃいけないのはわかってるけど、どうしてもやりたくない事ってあると思うんです。その時に、完璧主義でいると本当に苦しい事になります。だっ想像してみてください。その事はどうしてもやりたくないんですよ。でも、それを完璧にしないと気が済まないんですよ。なんかもう考えただけで「キーッ」ってなっちゃいませんか?
でもこれが逆に最善主義であればどうでしょう?まぁやりたくはなくても、自分に出来る事を出来る範囲でやるぐらいなら、やってみてもいいかなとは思えるんじゃないでしょうか。で、必死になってやらなくてもいい言い訳なんかも探したりしなくてもよくなるんじゃないかと思います。
まぁ、人生生きていれば、やりたくないけどどうしてもやらない訳にはいかない場面には何度となく遭遇するんじゃないかと思います。そんな時に毎回毎回「なんで自分が」とか「こんな事やっても今がない」とか文句ばっかり言っててもしょうがないと思うんです。もうそれだったら、文句なんか言わずにその時の最善を尽くしてみればいいんじゃないかと思います。たぶん少しは気持ちを楽にしてにそれをやる事が出来るんじゃないかと思います(まぁイライラするのはイライラすると思いますが(笑))。
まとめ
いかがだったでしょうか?僕は上に書いた様にどんな物事にも完璧主義でアプローチするのではなく、最善主義でいくのがいいんじゃないかと思っています。そしてそうする事がひいては成功につながるんじゃないかと思います。それはなぜかと言うと最善主義であれば数が撃てるからです。
成功する為にはそれ以上に失敗する必要があります。でも、完璧主義だとなかなか物事が完成しないので、それを世に問う機会が確実に少なくなります。なので、数が撃てません。そうすると成功する確率は格段に少なくなるんじゃないかと思います。
その一方で、最善主義であれば、ある程度の所で終わりにする事が出来てそれを何度も世に発信する事が出来ます。そして、最善主義の人は、そこから得た批判を元にさらに改善を重ねるって事が出来るんじゃないかと思います。だから、僕は最善を尽くしていれば成功する確率は上がるんじゃないかと思うんです。
まぁでも、結果に関しては自分でコントロールする事は出来ないので、結局は人事を尽くして天命を待つってのが1番いいのかもしれません。最善を尽くして、あとは神頼み、たぶんこれが成功する為の秘訣なんじゃないかと思います(笑)。

ゆーすけ
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