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どーも、ゆーすけです。
皆さんは、自分が迷っている時に「誰かに背中を押して欲しいな」って思った事ってないですか?誰だって少なからずそう思った事はあるんじゃないかと思います。
だって最初の1歩って踏み出すのってもの凄く怖くないですか?そして、もうあと1歩で踏み出せるって所まで来てたら、誰かが背中を押してくれさえすれば決められるのにって思ったりしますよね。
その気持ちはとてもよくわかります。もうあとほんのちょっとですもんね。でもね、残念ながら誰かが向こうからやって来てあなたの背中を押してくれる事って絶対にないんです。と言うか、自分が何かに迷っている時に、誰かに背中を押してもらうって事を期待したりはしない方がいいと思うんです。
もくじ
背中を押して欲しいと言う気持ちは背中を押して欲しいって訳じゃない
ちょっとここでは耳の痛い話をしますが、皆さんが思っている「背中を押して欲しいなぁ」って思っている気持ちは、たぶん本当に背中を押して欲しい訳じゃないと思うんです。「いやいや、そんな事ないよ、本当に最後のプッシュが欲しいんだよ」っておっしゃる方もいるとは思います。でも、本当にそうなのでしょうか?じゃあ「思い切ってやりやよ」って言われたら、本当にやりますか?「いや今は時期じゃない」とか「いやまだ踏ん切りがつかない」とか言って後回しにしようとするんじゃないでしょうか?
ちょっと図星だったんじゃないですか(笑)?そうなんです。背中を押して欲しいって言ってる人の大部分は背中を本当に押されそうになったら、なんとかしてそれを阻止しようとするんです。では、その「誰かに背中を押して欲しい」ってのは一体全体どう言う意味なのでしょう?
これは僕の単純な想像なのですが、誰かに「大丈夫だよ」とか「上手くいくよ」とかって言って欲しいだけなんじゃないかと思うんです。それと、背中を押すのと何が違うんだよ、って思いませんでしたか?確かに「大丈夫だよ」とか「上手くいくよ」とかって背中を押してる様に聞こえますよね。
でもね、これって言われている方には全くちがく受け止める事が出来るんです。言われている方が「大丈夫だよ」とか「上手くいくよ」とかに求めているのは、保証なんです。要は、責任を自分からその誰かに渡そうとしている事と一緒なんです。
誰かが上手くいく事を保証してくれたら1歩を踏み出すのって簡単ですよね。そして、例え上手くいかなくても、それをその人のせいにする事も出来ますもんね。そんな感じで、誰かに背中を押して欲しいと思っている人ってのは正直ちょっと逃げているんです。ちょっと厳しい事を言ってしまったかもしれませんが、どんなに迷っていても選択の責任を他人に押し付けようとするのは僕はちょっと違うと思うんです。
もう気持ちが決まっているなら誰かに聞いてもしょうがない
で、もう1つの多くの人が「背中を押してもらう」って言う風に思っているけど、それは最後の一押しを求めている訳じゃないってのがあって、それは「どう思う?」ってやつです。これね、大体心の中ではどうするかは決まってるんです。それで、最後に誰かの同意が欲しいだけってやつなんです。まぁ相談とは、もうすでに答えが決まっているけど、それを誰かに確認する作業だ、なんて言う話も聞きますが、これってかなり失礼な話なんじゃないかと思います。
要は、イエスマンが欲しい訳ですよね。相手がどう思うかはもうこの際どうでもいい訳なんです。自分が思っている事の賛同者が欲しいだけなんです。僕も結構いろんな人からこの「どう思う?」ってのをよく聞かれたりします。そして、なんとなくですが「あー、こう言う風に言って欲しいんだろうなぁ」って言うのは意外とわかるもんなんです。
確かに相手が言って欲しい事を言う事は出来ますし、その方が相手の要望も満たせるし話は簡単に進むのかもしれませんが、僕は基本的には相手に合わせて自分の意見を曲げたりはしません。だから時には相手が欲しい答えを答えない場合も多々あります。そうするとどうなると思いますか?大体相手はムッとするんです。もしくは、やたらと自分の意見に僕が賛同する様にいろいろな言い訳を始めるんです。
で、僕の中では「だったら、じゃあ聞くなよ」って気持ちになってしまうんです。まぁ、これも上に書いた事と一緒で結局自分で責任を取らない様にしているだけなんです。相手に同意させて、なんかあったら気持ちの中で「同意したあいつのせい」に出来る様に自分の気持ちに保険をかけているだけなんです。
だからと言う訳じゃないですが、基本的に自分がやりたい事が決まっているのなら、もう他人に聞いたりしない方がいいんじゃないかと思います。時によっては自分が求めていない答えをもらう事もあります。ただ単に同意して欲しくて聞いているだけなのであれば、相手に対して失礼なんじゃないかと思います。
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結局自分の背中を押せるのは自分しかいない
まぁそれでも踏ん切りがつかない時ってありますよね。背中押して欲しい時ってありますよね。そんな時はどうしたらいいのでしょう。それは自分で自分の背中を押せばいいんだと思います。てか、自分の背中を押せるのは自分しかいないんです。
いやいや、いろんな人の言葉や格言に背中を押された経験あるよ、って方もいると思います。でもね、これはそれらの言葉に背中を押された訳じゃないんです。それらの言葉に感化されて気持ちが盛り上がったりしたのは確かかもしれません。「もうやるっきゃない」って気持ちになったのかもしれません。
でもこれは、これらの言葉があなたの事を水場に連れていってくれただけなんです。イギリスのことわざに「馬を水場に連れて行くことは出来るが、水を飲ませる事は出来ない」ってのがありますが、まさにこれなんです。どんなにいい言葉、どんなに気持ちを盛り上げてくれる言葉であっても、あなたに水を飲ませる事は出来ないんです。
じゃあ水を飲んだのは誰でしょう。そう、紛れもなくあなたなんです。あなたが飲もうと勇気を出したから水を飲む事が出来たんです。水を飲むかどうかを決めるのは自分です。誰かに「この水を飲んだって大丈夫だよ」なんて言ってもらう必要もないですし、「水を飲みたいんだけど、いいと思う?」なんて他の誰かに同意を求める必要もないんです。
水が飲みたかったら、思い切って飲んでしまえばいいんです。それが間違っていたって、失敗だったってそんなの気にしなくていいんじゃないかと思うんです。
まとめ
いかがだったでしょうか?悩んじゃってる時って、誰かに背中を押して欲しいなぁって衝動にかられると思います。でも、それって基本的には背中を押して欲しいと言うよりは、誰かに責任を被って欲しいって気持ちが多いんじゃないかと思うんです。で、これって意外と相手にはバレてます。だから、相手が自分の思う様に答えてくれなかった(もしくは背中を押してくれなかった)としてもそれはそれでしょうがないと思っていた方がいいです。
まぁちょっと厳しい様ですが、自分の背中を押せるのは自分しかいないんです。だから、何かをやってみたいと思ったら、決断を他の人に頼らず思い切ってやってみるのがいいんじゃないかと思います。誰かに上手くいかなかった時の責任をなすりつけたい気持ちもわかります。でも、逆に上手くいった時もなんとなく手放しで喜べなかったりもします(まぁそんな事ないかもしれませんが(笑))。あとはほんのちょっとの勇気です!
ゆーすけ
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