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どーも、ゆーすけです。
皆さんの周りには、やたらと肩書きにこだわる人っていませんか?名刺とか、メールの署名とかにやたらといろんな肩書き載せてる人っていますよね。確かにその人たちは別に嘘はついている訳ではないので、悪い事はしていません。でもね、こう言う人って意外とめんどくさかったりするんです。
なぜかと言うと、この手の人って、自分の肩書きに誇りを持っていると言うよりは、それらの沢山の肩書きによって自分の権威を示そうとしていたりするからです。
それとは逆に本当に凄い人とかって、名刺やメールの署名の肩書きは非常にシンプルだったりします。そして、こう言う人たちは肩書きをひけらかすような事はしない事が多いんじゃないかと思います。
確かに肩書きって大事です。それは僕にもわかります。それがある事で信用されやすくなります。でも僕は肩書きってあまりこだわるもんではないんじゃないかと思います。そして、肩書きにこだわる人ってまぁまぁ嫌な人が多かったりもするんで、そう言う人の事はあまりまともに相手をしない方がいいんじゃないかと思っています。
もくじ
「肩書き=社会的地位の高さ」ではない
ここで1つ誤解をしておいて欲しくないのは、肩書きが凄いって事が社会的高さ(もしくはその人の偉さ)を示している訳ではないって事です。もしかしたら「えっ、違うの?」って思ったかもしれません。まぁ確かに肩書きがある方が上の役職である事は多いです。でも、それは偉いかどうかとは全く関係ないんです。
簡単に言うと肩書きってのは単なる役職です。で、役職ってのは、責任の所在がどこにあるかを示す為にあるのです。と言う事は、肩書きがあるって事は何かしらに責任を追う立場にあるってだけの事なんです。肩書きがあるから、偉いって事では全くないんです。これを勘違いしている人が多いんじゃないかと思います。だから肩書きなんかを自慢する人が出てくるんじゃないかと思います。
確かにいろんな事の責任を負う立場であるって事はそれなりに優秀である事は間違いないのかもしれません。だから、それなりに肩書きがない人より何かしらのインセンティブをもらっている事が多いんじゃないかと思います。例えば給料が人より高いとか、専属の秘書さんがついているとか。でも、それはやっぱり責任を取る事との引き換えであった、その人が偉いからそう言うインセンティブが与えられている訳ではないんです。
でもそこを勘違いして、自分では責任は取らず全て他人に押し付けるくせに、自分にはインセンティブが与えられているんだから、自分は偉いと勘違いしている人が多いんじゃないかと思います。そして、そう言う人に限って肩書きを使って偉そうに振る舞うんですよね。
まぁそんな感じなので、僕は、相手に肩書きがあるからってそこまでビビる必要はないんじゃないかと思うんです。確かに肩書きが凄い人には本当に凄い人もいますが、そう言う人は肩書きなんか振りかざしてきません。相当に謙虚な方が多いと思います。

確かに相手に敬意を示すのは大事だと思います。でも、肩書きがあるから下手に出るって必要は全くないんじゃないかと思います。そして、肩書きを振りかざしてくるような人はまともに相手をしなくてもいいんじゃないかと思います。
肩書きは作ろうと思えばいくらでも作れる
そして、僕がなんでそこまで肩書きにこだわらなくてもいいって言っているかと言うと、実は肩書きなんて作ろうと思えばいくらでも簡単に作れちゃったりするからです。ぶっちゃけて肩書きなんてそんなもんなんです。
だって、まず会社だってそうじゃないですか。会長、社長、取締役、部長、課長、係長、なんでもござれです。そして、それらに補佐をつけようと思えばつけられるし、副をつけたっていい訳です。で、会社によってCEOがいたり、COOがいたりと責任を分担させる為には肩書きなんていくらでも作りだせる訳なんです。
これは個人に当てはめたって同じです。僕だって、こんなブログを書いているので、ブロガーって肩書きを自分につけたっていいし、例えばブロガーじゃ嫌だったら作家って勝手につけたっていい訳なんです。もうね、本当肩書きなんて自分次第だったりするんです。
なので、やたらと沢山肩書きを持っている人にビビらなくてもいいんです。沢山あるからってその肩書きが本当に意味があるのかは正直よくわからないんです。下手したら、最悪の場合その肩書き自体が嘘って事も無きにしも非ずなんじゃないかと思うんです。だって作ろうと思えばなんとでもなるんですから(笑)。
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やたらと肩書きを押してくる人やり込めたかったたら、肩書きを利用してしまえばいい
で、肩書きにビビる必要はないって事はわかって頂けたかもしれませんが、それでも肩書きを前面に押し出してくる人っていますよね。もうね、そんな人はまともに取り合わないに限ります。
確かに肩書きを利用して上からこられたら頭にくるかもしれません。でも、いずれみんなもそう言う人にはあまり実力がないって事や、あまり人望がないって事に気がつきます。で、いずれみんなから総スカンを食らう運命になっているんです(てかそうである事を信じたい)。だからそれまで適当に流すんです。やらなきゃならない必要最小限の仕事のみを続けていればいいんです。決してその人の奴隷みたいになってはいけません。
で、もしそのような事を肩書きを使って要求されたのならば、その人より上の肩書きの人に訴えるといいと思います。まぁ要はその人より上の人にチクっちゃうんです。それはなぜかと言うと、自分の肩書きにこだわる人は、自分より下の人には強いけど、自分より上の人にはめっぽう弱いからです。簡単に言うと、彼らは自分に自信がないんです。自分自身ではなく、肩書きで勝負しようとするんです。だから、その人たちが大事にしている肩書きを逆に使ってしまえばいいんです。
で、そんな感じで、言う事を聞かないでいると、時々「私の事を誰だと思っているんだ?」なんて聞いてきたりする事もあるんです。そんな時はもうすっとぼけた感じで「○○さん」とその人の名前を言ってあげるといいと思います。でもこれは、相手を相当怒らす事にもなりかねないので、本当に頭にきた最後の手段にしておくのが無難かもしれません。
肩書きよりも自分が何者かの方が大事
まぁ長い人生を生きていれば、そのうち何かしらの肩書きがつく時はやってくると思います。そんな時に肩書きにこだわる人にならない様になるにはどう言う事に気をつけていったらいいのでしょう。それは肩書きなんかを誇るんじゃなくて、自分が何をやっているのかを大事にしていくといいんじゃないかと思います。
例えばどう言う事かと言うと、僕の場合には、一応肩書きとしては教授職を頂いてはいますが、誰かに「仕事は何をやっているんですか?」って聞かれた時に「自分は大学で教授をしています」と言うのではなく、「がんの研究をしています」と言うみたいな感じです。
まぁもしかしたら例えとしては分かり難かったかもですが、自分は何者なのかを他人に語る時に、肩書きではなく、自分は何をしていて、何を大事にしているかを言える様な人になっていけば、肩書きなんてどうでもよくなるんじゃないかって感じの事を言いたいのです。
まとめ
肩書きって確かに誰かに自分の事を信用してもらう為にはある程度有効ではあるとは思います。でも、それがあるからって自分を勘違いしてしまうのはちょっと違うと思います。まぁ肩書きなんて、責任の所在を明確にする為に誰がか都合よく作り出したものでしかないからです。そして、偉い人には肩書きが沢山ある事は多いですが、肩書きが多いからって偉いって事ではないんです。
まぁだから、何かを勘違いして肩書きを振りかざして偉そうにしている人の事なんてまともに取り合わなくていいんじゃないかと思います。だって、本当に偉い人や、本当に凄い人は肩書きなんてそんなに気にしない事が多いからです。
ゆーすけ
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