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どーも、ゆーすけです。
突然ですが、皆さんは誰かに「そんな人だとは思わなかった」なんて言われた事ないですか?なんかそんな感じでがっかりされた事ってないですか?
まぁ「そんな人だとは思わなかった」はいい意味で裏切られたって感じに使う時もなくはないので、必ずしも全てがネガティブって事はないのかもしれませんが、それを言われても基本的にはあまりいい印象はない感じがしますよね。
で、「そんな人だとは思わなかった」って言われた時って、なんか相手に申し訳ない気持ちにしませんか?でも、僕はそれってなんかしっくりこないんです。なんで、「そんな人だとは思わなかった」って言われている側が「なんか悪いことしちゃったかな?」なんて気を使わなきゃならないんだろうって思ってしまうんです。
だからと言う訳じゃないですが、僕はなんとなく「そんな人だとは思わなかった」って言われた所でこちらは何も気にする必要なんかないんじゃないかと思うんです。
もくじ
「そんな人だとは思わなかった」って言う人は、こちらの事を勝手に「こんな人」だと決めつけている
まず、「そんな人だと思わなかった」と言われている時点で感じる違和感として、じゃあ「どんな人」だと思っていたんだ?ってのがあると思います。自分としては、特に普段と変わらない事をしているつもりなのに、そんな事を言われてもなんか「?」って感じになりませんか?
そうなんです。「そんな人だと思わなかった」の裏には、それを言っている人が勝手に抱いている「こんな人」像ってのがあるんです。その人が、こちらの人物像に対して勝手に「こんな人」だと期待していたって事なんです。
確かに相手がこちらの事をどう言う人間であるかを勝手に想像するのは自由です。でも、それはあくまで想像です。本当にこちらがどう言う人かなんてわかっていない事の方が多い可能性が高いんじゃないかと思います。
でそれに加えて、相手が勝手に思っているこちらに対する人物像と実際の人物像が違っていたからと言って、そのギャップに対して「そんな人だと思わなかった」と言われたってどうしようもないんです。
もし、こちらが「自分はこう言う人です」と言っておいたのにも関わらず、全く違う人物であったのなら、相手に「言ってる事とやってる事が違うじゃないか」って指摘されても文句は言えないかもしれません。でも、相手が勝手に思ったこちらの像に対して、「それと違うじゃないか」って言われても、ぶっちゃけ知ったこっちゃないって感じになるんじゃないかと思うんです。
そして、その裏には「その人が勝手に思い描いているこちらに対する人物像に近づけ」って言う意味合いがこもっている様な感じがしないでもないんです。おそらくこれが僕が「そんな人だと思わなかった」に抱いている違和感なんだと思います。
「そんな人だとは思わなかった」って言う人は、こちらに罪悪感を植え付けようとしている
まぁちょっと上にも書きましたが、「そんな人だと思わなかった」って言ってくる人は、こちらの事をむこうが勝手に思っている人物像にこちらを導こうと思っている事が多々あります。要は、こちらを自分の思い通りにコントロールしようとしているって訳なんです。
で、人をコントロールしようとしたらどうするかって言うと、その手の人の多くは相手に罪悪感を植え付けようとするんじゃないかと思います。で、この「そんな人だと思わなかった」って言葉にはなんとなく罪悪感を感じさせる何かがあるんです。
だってなんとなくその言葉の裏には「お前が間違ってるぞ」って感じのニュアンスが含まれている様な気がしないでもないからなんです。で、結局「そんな人だと思わなかった」って言っている人が何を言いたいかってと言うと、「自分は何も悪くない、自分の思う様な人でない、お前が悪いんだ」って事なんです。
これを聞いたら「ハァ?」って感じになりませんか?本当に「ハァ?」って思っていんんだと思います。だって勝手にこちらの人物像を想像して、それと違ったらからって、こちらが責められても意味不明ですよね?
もしかしたらこれまでは、「そんな人だと思わなかった」と責められた時に、少しは「なんか申し訳ないなぁ」って思っていたかもしれませんが、もうこれからは申し訳なく思う必要なんかないと思うんです。いや、絶対に申し訳ないなんて思ってはダメなんじゃないかと思うんです。
だってこっちはただ普通に振る舞っただけで、相手を傷つける様な事なんて何もしてない訳なんですから。
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「そんな人だとは思わなかった」と言われたら「可哀想だな」と思えばいい
では、罪悪感を感じない様にするとして、それ以外にこの手の人に対応する方法はないのでしょうか。まず、ちょっと強気にいくつもりであるのなら、「そんな人だと思わなかった」と言われた時に、「じゃあ、どんな人だと思ってたんだ?」って聞き返すってのが出来るると思います。
基本的には、他人が考えている事なんて直接聞いてみるしか知る由はないので、相手がこちらに対して描いている人物像がどう言うものなのかは聞かない限りわかりません。結局、こちらが相手がどう思っているのかをまた逆に想像した所でおそらく相手が思っている人物像を言い当てる事は出来ないので、もしそれを知りたいのであれば、やっぱり聞くしかないと思います。
この方法は上手くいけば、相手はしどろもどろになって「じゃあいい」って事になる事もありますが、大抵の場合は相手も何か言い返してきて喧嘩になります。だから、よっぽど相手に対して期するものがない限りは「どんな人だと思ってんだ?」ってのはあまり聞かない方がいいんじゃないかと思います。これは、戦わずに逃げろって事ではなく、こんなくだらない事を言ってくる様な人と喧嘩するだけ時間の無駄って事が言いたいんです。
では、喧嘩しなかったとしたら、他にはどうすればいいでしょう。僕がオススメするのは、心の中で「想像と違っちゃったみたいで、可哀想な事しちゃったな」と思うってのがいいんじゃないかと思います。
これって上に書いた「申し訳ないと思う」事と同じじゃないかって思うかもしれません。でも、これが実は全く違うんです。それがどう違うかと言うと、「申し訳なく思う」ってのは自分が下からいってる感じがするんです。どちらかと言うと、自分を卑下している感じでなんです。
その反対に、「可哀想と思う」ってのは、自分が完全に上に立っています。上からちょっと見下しいる感じがあるんです。相手に見下してる感が伝わってはいけませんが、心の中で勝手に相手を見下す分には全く問題はないと思います。こんな風に罪悪感を植え付けようとしてくれる人になんか絶対に屈しはダメです。絶対に申し訳ないなんて思ってはダメなんじゃないかと思います。
まとめ
ここまでいろいろとお話してきましたが、「そんな人だと思わなかった」って言う事は気にしない方がいいって事はわかっていても、それでもやっぱり「そんな人だと思わなかった」って言われたら、なんとなく「自分が悪いのかな?」思ってしまう事ってあると思うんです。
なので、もし皆さんも誰かに「そんな人だと思わなかった」と言われたとしたら、一旦立ち止まって「それってどう言う意味なんだろう?」って考えてみるといいんじゃないかと思います。おそらく大抵の場合は自分が悪いんじゃなくて、相手が勝手に自分の人物像を想定して、それから外れている事をただ単に責められているってだけの事なんじゃないかと思います。
だから、絶対に「自分が悪い」とか「相手に申し訳ない」とか思わない方がいいと思うんです。それこそ本当に相手の思う壺です。そんな事を言ってくる人の事は基本的に相手にせず、心の中でちょっと見下しているのがいいんじゃないかと思います。
ゆーすけ
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