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「幸せ」は自分の感じ方次第で決まる

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どーも、ゆーすけです。

皆さんは「幸せ」になりたいですか?そりゃあ、もちろん「幸せじゃない」より、「幸せ」な方がいいですよね。僕も「幸せ」な方がいいです。

でも、「幸せ」ってなるものなのでしょうか?なんかそう考えている時点で、今が「幸せじゃない」って感じがしませんか?なんかそう言う風に考えてみると、「幸せ」って一体なんなのかな?って思ってしまったりもするんです。

今よりいい仕事について、いい家に住んで、いい車に乗ってなんてのが、世間一般で言われている「幸せ」像だったりするじゃないですか?でも、本当にそう言うものが手に入ったら「幸せ」になるのでしょうか?もしくは、今よりもって「幸せ」になれるのでしょうか?

僕にはどうもそう言う風には思えないんです。「幸せ」って何か手が届きそうにないものに手が届いたから手に入るって様なものではないような気がしてならないんです

幸せは向こうから勝手にやって来てはくれる事はない

まず最初の大前提として、「幸せ」が向こうから勝手に自分の方にやって来てくれる事はほぼありません。向こうから旗を振って「「幸せ」はここですよ」なんて教えてくれる事もありません。もし、そうやって教えてくれたらどんなにいい事か。でも、そんな事絶対にないんです。

これは少し古い歌になりますが、水前寺清子さんも「365歩のマーチ」と言う歌の中で歌っていますが、どうやっても「「幸せ」は歩いてこない」んです(笑)。まぁこれに続く歌詞の様に「歩いていく」かは別として、基本的に「幸せ」ってのは待っていはダメなんだと思います。

それと同様に誰かがあなたの元に「幸せ」を運んで来てくれる事もないんじゃないかとも思います。まぁ確かに誰かがあなたの事大事にしてくれたら、「幸せ」な気分にはなります。でも、残念ながらそれはたまたまなんです。その人があなたを大事にしてくれなくなったら、その「幸せ」もあっという間にどこかにいってしまいます。

だからと言う訳じゃないですが、僕は本当の幸せってそう言うものではないんじゃないかと思うんです。そう言う風に「幸せ」って他力本願で成り立つ様なものではないと思うんです「幸せ」って言うものはもっと自分でコントロール出来る様なものの様な気がするんです

もし誰かが必ず側にいて自分を大事にしてくれないと幸せになれないのだとすると、自分1人しかいなかったとしたら幸せになる事が出来ないじゃないですか。でも、世の中にはたった1人でも幸せを感じている人はいっぱいいると思います。

それを踏まえると、他人からもたらされる「幸せ」ってのもあるにはあるけど、それは2次的な「幸せ」って事なんじゃないかと思うんです

自分から掴みにいった幸せは一瞬しか続かない事が多い

待っているだけじゃダメって事は、「幸せ」は自分から掴みにいった方がいいのでしょうか。確かにそれもアリかもしれません。上に書いた、水前寺清子さんの歌でも「だから歩いて行くんだよ」なんて言っているぐらいなので、もしかしたら「幸せ」ってのは自分で掴みにいこうと思えば掴めるものなのかもしれません。

先ほどもちょっと触れましたが、いい仕事に就くとか、いい学校に行くとか、でかい家に住むとか、いい車の乗るとかそんなものが、掴みにいける「幸せ」なのかもしれません。確かにそう言うものを手に入れたら「幸せ」になるのかもしれませんでも、僕の印象だと、それを手に入れた一瞬だけはって言う条件がつくんじゃないかと思います

なぜかと言うと、その様に自分から向かっていって手に入ったものって、ほとんどの人がそこで満足出来ないからなんです。もっともっといいものをと次から次へと探していくことになってしまうからなんです。例えば、いい仕事に就いたとしましょう。でも、ほとんどの人はそこで終わりじゃないですよね。もっと給料を上げてもらってとか、もっと昇進してとか、どんどん欲が出てくるんです。

で、不思議な事にそ言う欲求にはキリがないんです。給料が上がったら、さらにもっと高い給料が欲しくなるし、昇進すれば、もっと上を目指したくなるものなんです。まぁそうやって「これが手に入ったら幸せになれるんじゃないかな?」って思って、自分から掴みにいった「幸せ」って結局長くは続かないんです

そんな感じなので、掴みにいけば捕まえられる「幸せ」ってのは確かに存在するとは思いますが、それだけに頼るのもどうなのかな?って思うんです。だって、どれだけ頑張っても確実に手に入る訳ではないですし、もし運良く手に入ったとしても一瞬でその「幸せ」は無くなってしまう訳なんですから。

結局、自分から掴みにいく「幸せ」ってのも、2次的な「幸せ」の範疇に入ってしまうんじゃないかと思います

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幸せは自分の感じ方次第

待っているのもダメ、掴みにいくのもダメってなったら、ではどうやったら「幸せ」は見つかるのでしょう。もうこれはありきたりな事になってしまうかと思いますが、「幸せ」ってのは自分の中に見つけるのがいいと思うんです究極的に言うと、「幸せ」かどうかなんて自分の感じ方次第なんです

まぁちょっと先程の仕事の話で考えてみましょう。おそらく誰でも自分にとっていい仕事に就く事が出来たら、その瞬間は「幸せ」を感じる事が出来るでしょう。問題はその後です。上にも書いた様にもっと上を目指すと言うのではなく、その仕事に就けている事に満足し続けるって事が「幸せ」を感じる(もしくは「幸せ」でいる)って事なんじゃないかと思います。

究極的な事を言えば、どんなに周りがどんどん出世しようが、自分の立場が降格しようが、そこに満足出来ていれば「幸せ」でいる事は可能なんです(まぁこんな状態でも「幸せ」を感じるのは正直難しいと思いますが、これは極端な例としてお付き合い下さい)。

まぁ簡単に言うと、そこら辺に転がっている「幸せ」を見つけて、それを心から「幸せ」だなぁと感じるって事なんじゃないかと思うんです

幸せはそこら辺に転がっているどーも、ゆーすけです。 「幸せって一体なんなんだろう?」って考えることありませんか?僕もよく考えます。てか今までもずーっと考えてい...

でも、これは今の現状に満足してもうこれ以上を求めるなって言っている訳ではないです。今以上を求めるのはもちろんありですし、「現状に満足して足を止めたら後は後退していくだけ」なんて言葉もある様に、常に何かしら行動は起こしていくべきです。

でも、僕がここで言いたいのは、さらに上は求めたとしても、今をちゃんと大事にした方がいいよって事です。今に満足して、今の状況にちゃんと「幸せ」を感じているなら、もっともっとを求めてもいいんじゃないかと思います。なぜなら、そう言う心境でいる限りは、そのもっとが手に入らなくても「幸せ」を感じる事が出来るからです。

まとめ

「幸せ」って見つけるのがとても難しいですよね。たぶんだから、多くの人が「幸せ」になりたいとか、「幸せ」がやって来ないかなとか思うんだと思います。でも、「幸せ」って勝手に向こうからやってくるもんでもないし、どこか遠くにあってそれを自分で探しにいく様なもんでもないんじゃないかと思うんです。

これはまさに童話の「幸せの青い鳥」の「幸せ」の捉え方に似ているんじゃないかと思います。青い鳥は向こうからやってきてはくれなし、探しにいっても見つからないし、でも家に帰ってみたら自分の鳥かごの中にいたって感じで、「幸せ」は意外と自分の身近に転がっているし、どんな事でも自分の捉え方次第で「幸せ」にする事が出来るんじゃないかと思います。「幸せ」なんてそんなもんです。

ゆーすけ

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ABOUT ME
ゆーすけ
アメリカ在住のがんの研究してる人です。自分の経験を元にした「よりよく生きるためのヒント」を発信し、読む人の心を少しでも軽くすることを目指しています。
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